7月21日にジョー・バイデン大統領が大統領選からの離脱および、ハリス副大統領を民主党の大統領候補として推薦すると発表して米国内を驚かせた日から、わずか32日。その間、ハリス氏は全米の激戦州を回り、自身の選挙戦を開始した。そしてこの日、党からの正式な指名を受け、11月5日までの残り75日間を、共和党の対立候補ドナルド・トランプを相手に闘い抜くと宣言した。
民主党、共和党、共に党大会は大統領/副大統領の候補者を正式指名するための集会だが、同時に党の大物政治家の演説によって選挙キャンペーンの機運を盛り上げる目的がある。加えて各州の主だった政治家、"ライジングスター"と呼ばれる若手の有能な政治家を全米に向けて紹介する場でもある。当時はイリノイ州選出の上院議員だったバラク・オバマが全米の注目を集めたのも、2004年の党大会での演説による。
ラッパーやDJが盛り上げた「ロールコール」
今年の民主党大会では「Joy」(歓喜)という言葉が多用された。トランプ打倒を悲願とし、しかしバイデン大統領の高齢化に身もすり減る思いだった民主党支持者たちは、若く活気のあるカマラ・ハリス氏の登場に大いに触発された。大会はその空気を最大限に生かすべく、"ロールコール"にかつてない演出がなされた。
大会2日目に行われたロールコール(roll call)とは、全米各州とプエルトリコやグアムといった自治領からの代議員団が、自州称賛の口上と共に「我々はカマラ・ハリスに投票します!」と発表する、いわば儀式的なもの。アメリカがとにもかくにも州の集合体であることを再認識させられる瞬間でもある。
今年はこのロールコールに、ビヨンセとJay-Zの結婚式でターンテーブルを操った大物、DJキャシディを採用し、各州ゆかりのミュージシャンによる有名曲が流された。カリフォルニア州であればラッパーのドクター・ドレー/スヌープドッグ~2パック~ケンドリック・ラマーのメドレー(政党の大会でギャングスタラップが使われるとは!)、ハワイ州はブルーノ・マーズ、ニュージャージー州はブルース・スプリングスティーンといった具合。
ジョージア州の番になると同州出身のラッパー、リル・ジョンが突如、会場に躍り出た。場を盛り上げるラップ・スタイルで知られるリル・ジョンにつられ、スーツ姿の高齢な政治家でさえ腕を振り上げ、今大会のキャッチフレーズの一つである「We are not going back!」(後戻りはしないぞ!)を繰り返した。
民主党政治家や著名人、総勢150人以上が応援演説
しかし、党大会の主眼は各政治家の演説と言える。大会は4日間、終日行われるが、夕方5:30~夜10時のプライムタイム(高視聴率帯)は大物政治家とセレブが目白押しとなり、テレビ放映とストリーミングがなされた。
今年はバラク・オバマ、ミシェル・オバマ、ビル・クリントン、ヒラリー・クリントン元国務長官、ジョー・バイデン、ジル・バイデンと、6人の現職と元職大統領と歴代のファーストレディーがそれぞれスピーチを行った。
また、将来、大統領選に立候補する可能性があるとされ、かつ今回の副大統領候補とも言われたピート・ブティジェッジ運輸長官とグレッチェン・ウィトマー・ミシガン州知事、有権者によって、やはり近い将来の大統領選出馬が望まれているAOCことアレクサンドリア・オカシオ・コルテス下院議員(ニューヨーク州選出)といったそうそうたる顔ぶれに加え、国民的テレビ・パーソナリティーのオプラ・ウィンフリー、27歳と最年少の国会議員であるマックスウェル・フロスト下院議員(フロリダ州選出)、共和党議員と丁々発止にやり合う舌鋒の鋭さで一躍注目を浴びたジャスミン・クロケット下院議員(テキサス州選出)なども含め、総勢150人を超すラインナップだった。
その150人の最後に登場したのが、カマラ・ハリス副大統領だ。女性の「自由」を力強く訴えるビヨンセの「フリーダム」をBGMにステージに現れたハリス氏は、鳴りやまない喝采にトレードマークの晴れやかな笑顔を見せ、手を振り続けた。
やがて「オーケー、では仕事に取り掛かりましょう」と話し始めたハリス氏は、まずは観衆席にいる夫、ダグ・エンホフへの感謝と、この日が2人の結婚記念日であることを告げた。エンホフ氏はこれに投げキッスで応えた。
弁護士だったエンホフ氏は、妻が副大統領となった際に自身の仕事と政府の間に利害が生じる可能性を考慮し、引退した。今、エンホフ氏は米国史上初のファースト・ジェントルマンになり得る立場に置かれている。
続いてハリス氏は幼い頃からの生い立ち、今は亡き母親が自分をどう育てたか、その自分が検事、後にカリフォルニア州司法長官として積んだ実績を語った。副大統領として名を知られてはいるものの、その人となり、キャリアの詳細をまだよくは知らない国民に向けての、改めての自己紹介だったと言える。そしてハリス氏は大統領候補指名を受諾した。
「国民を代表して、すべてのアメリカ人を代表して(中略)、私はアメリカ合衆国大統領への指名を受け入れます!」
以後は中絶禁止、銃による暴力、環境問題、国境警備と移民問題、ロシアによるウクライナ侵攻を取り上げ、トランプ氏の政策を厳しく批判した。
「中絶権利」復活を求める女性たちの期待
ハリス氏自身も、他の主だった女性演説者たちも、ハリス氏が「初の女性大統領」となることはほとんど語らなかった。もっとも、各州からの代議員団の女性たちは何人もがロールコールの際に「初の女性大統領」を口にした。
大会初日にヒラリー・クリントン氏が登壇した際には、女性たちからの拍手が2分間も鳴りやまなかった。8年前に初の女性大統領になるかと思われたものの、対立候補のトランプからのみならず、国務長官時代に公務で私用メールアドレスを使った「Eメール問題」について、これが男性ならここまで追及されるだろうかと思われるほど厳しく、かつ執拗にバッシングされ、結局は「初の女性大統領」の夢が頓挫した。会場の女性たちには、あの時の有権者としての無念さ、女性としての無念さがよみがえり、そして今、ハリス氏を「初の女性大統領」とするべく、自身の悔しい過去を乗り越えて強力な支援者となったクリントン氏への敬意の念が入り交じっての複雑な思いが見て取れた。
だが、キルステン・ジルブランド上院議員(ニューヨーク州選出)が壇上で指摘したように、クリントン氏がトランプに破れた2016年当時、「人々は目前のリスクを認識していなかった」と言える。
トランプが最高裁判事の顔ぶれを保守化し、それによって人工中絶の権利を認めた1973年の「ロー対ウェイド判決」が覆された今、妊娠可能年齢の女性の3分の2が中絶禁止州に住んでいるとされている。今大会に登壇した女性政治家は、その多くが中絶問題を語り、自身の体験から中絶禁止を覆す運動に参加している女性たちも登壇した。
流産後の処置は中絶処置と同じであるため、中絶禁止州の医師は流産処置をして罰せられることを恐れる。そのため患者の命が脅かされるほどの重症に陥るまで処置を行わない。ルイジアナ州の女性は2カ所の病院で処置を断られ、テキサス州の女性はそのために敗血症を起こしている。ケンタッキー州の女性は12歳で継父にレイプされ、妊娠。結果的に流産したものの、同州ではレイプや近親相姦によるものであっても中絶が許されていない。
尋常とは思えないこうした事例が全米で起きている。身体的にも精神的にも非常につらい体験をした女性たちが、他の女性たちのために立ち上がり、自らの体験談を語ったのだった。
当選すれば、ハリス氏は大統領として、アメリカ人として、そして女性として、文字通り命に関わるこの問題に対峙せねばならず、女性ではあっても「初」にこだわる時期はもう過ぎたということだ。
大会に参加していた女性の多くが、女性の参政権を表す白いスーツを着ていた。ハリス氏も最終日は白いスーツで登場するかと思われたが、モニター画面では黒にすら見える、濃いネイヴィーブルーのブラウスとスーツ姿だった。ブラウスの大きなボウがハリス氏のフェミニンさを損ねることなく、しかし肩のかっちりとしたシルエットと相まって、「大統領性」を見事に醸して出していた。
副大統領候補ウォルズ氏がつなぐ、都市部と「スモール・タウン」
民主党は「中西部の労働者階級(言外に白人)」への訴求力が弱いとされてきた(実際には共和党の元大統領のブッシュ親子とトランプ氏はそろって富裕層)。これを解消したのが、ハリス氏の副大統領候補となったティム・ウォルズ氏だ。
ハリス氏だけでなく、バイデン大統領、オバマ元大統領も豊かな家庭の出身ではないが、政界に転身する前は法科出身の法律家だった。特にオバマ夫妻はそろって米国で最も優秀とされる有名8大学「アイヴィーリーグ」の出身。アイヴィーリーグ校は米国東部にあるため、卒業後に政界や司法に進む卒業生には実際の出身地にかかわらず、「東部のインテリ」のイメージが定着する。ハリス氏もリベラルな西海岸カリフォルニア州の出身だ。かつハリス氏、オバマ夫妻は人種的マイノリティーだ。
ウォルズ氏はアーカンソー州出身。陸軍州兵隊に入隊し、GIビル(復員軍人援護法)によって大学に進み、教師となった。結婚後、妻の故郷である中西部ミネソタ州に移り、高校教諭となって勤務校のアメリカンフットボール・チームを州大会出場に導いている。2006年に同州選出の下院議員となり、2019年より同州知事。
ウォルズ氏の登壇に先駆け、ステージに当時のアメフト・チームのメンバーがジャージを着て現れた。今や40代となった男性たちが恩師の応援に駆け付けたのだった。続いて、1980年代の大ヒット曲、ジョン・メレンキャンプの「スモール・タウン」をBGMにウォルズ氏が登場した。
アメリカのライフスタイルは「都市部(urban or big city)」「郊外(suburbs)」「田舎(rural)」によって大きく異なる。それぞれに特有の文化があり、支持政党にも密接に関わってくるため、大統領選の候補者たちは3地区のバランスを考えたキャンペーンを行う。
田舎に多数ある小さな町は「スモール・タウン」と呼ばれ、個々の人口は少ないものの、全米のスモール・タウンの総人口はニューヨーク市やロサンゼルス、シカゴなど大都市の人口を上回る。
中西部インディアナ州に生まれ、今もそこに暮らすメレンキャンプの「スモール・タウン」の歌詞は、「オレはスモール・タウンで生まれた、学校に行った、仕事に就いた、大した可能性もないが。教会に通った、夢を見た、結婚した、多分、ここで死ぬ」「友達も両親もここにいる」「オレにはこれで十分だ」と、スモール・タウンに暮らす人々の人生を綴っている。
その中に一節だけ、大都市とそこに住む人々を「大きな町を悪く言うつもりはないが、田舎者だから言わせてもらう。おい、大きな町に誰がいるっていうんだ(大したやつはいないじゃないか)」と揶揄する箇所がある。それがスモール・タウンを愛し、そこに暮らす人々の心情なのだ。この曲を使ったことが、ウォルズ氏の存在とメッセージを物語っている。
そのウォルズ氏が中絶禁止問題を語った際、当人も思わぬ"事件"が起きた。自身と妻も不妊治療を受け、長年の心労の末に授かった長女を「Hope(希望)」と名付けたと言い、続いて長男ガス君と妻グウェンさんの名を上げ、3人が「私の全世界だ」と語った。会場にいた17歳のガス君は立ち上がり、泣きながら壇上の父を指さし、「あれが僕のお父さんだ!」と言った。
このシーンは受け手によってまったく異なる反応を引き起こした。SNSには父を誇りに思う息子を見て「心温まる」「涙ぐんでしまった」というコメントがあった一方、共和党支持者である著名コメンテーターや独立ジャーナリストたちは、ここに書くのもはばかられる言葉でウォルズ氏とガス君を罵倒、嘲笑した。
ガス君が非言語性学習障害(NVLD)、ADHD、不安障害を持つことが報じられると、そうした悪意あるコメントは謝罪されることなく、こっそりと削除された。
かつてなく強い口調でトランプ氏を追及したミシェル・オバマ氏
ミシェル・オバマ氏の演説は、ヒラリー・クリントン氏、もしくはカマラ・ハリス氏本人をも上回る強烈な印象を残した。
過去のいくつもの演説において、ミシェル氏は自身の言葉「相手がどれほど低俗であっても自身は高潔であれ」(When they go low, we go high.)を貫いた。しかし今回は違った。あからさまな中傷こそしなかったものの、ストレートにトランプへの批判を繰り返し、かつ自身の黒人性を強調した。
ミシェル氏はハリス氏を紹介するにあたって、「マイ・ガール、カマラ・ハリス」と呼んだ。「マイ・ガール」は親しい黒人女性同士がお互いを呼ぶ際の言葉だ。今年5月に母親を亡くしたばかりのミシェル氏はハリス氏の母親について触れ、2人の共通項と女性の強さを強調した。また、自身もIVFによって子を授かったことも明かした。
ハリス氏がインドとジャマイカのミックスであることをトランプは揶揄しており、ミシェル氏は「私も夫もこの件について、少しは知っている」と、過去にトランプが「バラク・オバマはケニア生まれで大統領の資格なし」と執拗に繰り返したことを聞き手に思い出させた。
また、トランプの支持者もオバマ夫妻が黒人であることを散々に侮辱し、さらにはパイプ爆弾を送り付けられる事件も起きている。黒人初の大統領の妻として夫の暗殺、2人の娘の身を案じていたミシェル氏のトランプに対する怒りは、ミシェル支持者には周知となっている。
ミシェル氏はトランプの黒人差別をさらに追及した。
トランプが「たまたま黒人である、勤勉で高学歴で成功した2人の存在に脅威を感じていた」と、夫と自分についての事実を謙遜することなく言い切り、また、難民希望者が「ブラックジョブ」(低学歴の黒人が就く低賃金の仕事の意)を奪うとする発言に対し、トランプがなりたがっている大統領職は、(かつて黒人であるオバマ氏が務めた)ブラックジョブであるとも言った。
大統領候補であるハリス氏が口に出せない部分を、ミシェル氏が代わりに全て吐き出したのだった。
そして「相手がどれほど低俗であっても自身は高潔であれ」ではなく、ハリス氏を当選させるために「何かしろ!」(Do something!)を繰り返した。
ほとんど語られなかった対イスラエル支援問題、会場外では抗議デモも
巨大なアリーナ会場、人気ミュージシャンによる音楽、セレブ・ゲスト、派手なサイン、そろいのTシャツ、雨あられと天井から降る風船...... アメリカは政治とエンターテインメントが常に混然一体となる国だ。今回の民主党大会では、そこに人間の性善性が強く浮き出た。
誰もが笑顔でカマラ・ハリスの名を呼び、ハリス氏の姪の子どもにあたる幼い少女たちが「Kamala の発音の仕方」を指南してくれた。多くの女性が、女性と家族を守るために中絶禁止への反対を繰り返し、聴衆は発達障害を持つティーンエージャーと、その父親を擁護した。銃規制についてもしかり。10代の息子を銃暴力によって亡くしたことから政界に進んだルーシー・マクベス下院議員(ジョージア州選出)は、コネティカット州にあるサンディーフック小学校と、テキサス州のユバルディにある小学校で起きた乱射事件のサバイバーと共にステージに立った。
しかし、党大会でほとんど語られなかった問題がある。アメリカ合衆国のイスラエル支持だ。
会場内が大いに盛り上がっていた最中、外ではガザ支援者による抗議運動があった。「非コミットメント・ナショナル・ムーブメント(Uncommitted National Movement)」によるものだった。今年2月、全米でアラブ系人口が最も多い中西部ミシガン州にて大統領選の予備選があった際、「バイデン大統領がイスラエル支持を止めない限り、どの候補者にも投票しない」とする運動が起こり、それが今や全米に広がっている。
同団体は民主党大会にパレスチナ系アメリカ人の演説枠を設けるよう、大会本部と交渉を続けたものの、直前に「ノー」の回答を突き付けられたことからデモ抗議に踏み切ったのだった。
ハリス氏は受諾演説の中で、かつてない強い語調で「イスラエルの自衛権を擁護し、イスラエルが自衛能力を持つことを常に保証する」ことを「はっきりさせておきたい」と語った。
そして、「過去10カ月間にガザで起こったことは壊滅的です。多くの罪のない命が失われました。絶望し、飢えた人々が安全を求めて何度も逃げています。苦しみの大きさは悲痛です」と続けた。
ハリス氏は「多くの罪のない命」(So many innocent lives)と言い、「子供たち」(children)とは言わなかった。ガザについて世界が最も怒りを感じているのは子供たちが惨殺され続けていることであり、 ハリス氏はそれをもちろん知っている。だからこそバックラッシュを避けるために、あえて「子供たち」とは言わなかったのだろう。
それでも民主党大会は成功したと言える。だが、アメリカ政府と大統領候補者としてのハリス氏がイスラエル支持を続ける限り、パレスチナを含むアラブ系、イスラム教徒、そしてガザ支援者の票を得ることはできない。
しかし国政もまた外交政策と等しく重要な大統領の任務であり、トランプ再選となれば富裕層に便宜を図り、庶民が苦しむことになるのは明らかだ。この点において多くの有権者がハリス支持を表明している。とはいえ、いきなりの出馬決定から日も浅く、先に書いたようにハリス氏は党大会にてようやく"自己紹介"が済んだと言える状態。国民の最大の関心時である経済問題、それに次ぐ国境及び難民問題に対する明確な政策は、まだ発表されていない。
ハリス氏は大統領候補への指名後、初となるメディア・インタビューを29日に行い、9月10日にトランプとの大統領選討論会に臨む。有権者が大統領候補者としてのカマラ・ハリスをより知るには、それを待つことになる。
(敬称略)