マリアナ・パホン(32)は世界で最も優れたBMX(バイシクルモトクロス)の選手の一人だ。コロンビア出身のこの選手が競技歴をさっと振り返るだけでも、18回の世界選手権優勝、それぞれ金メダルを獲得した2回の五輪(2012年と2016年)、銀メダルだった2021年の東京五輪と華々しい。
しかし、自転車競技で負った痛ましい代償はそれを上回る。骨折25回、ネジ(訳注=骨の固定に使う)12本、手術8回、それに数えきれないほどの靱帯(じんたい)や腱(けん)の断裂。左の腕とひざには多くの金属を使った医療器具が入っているから、旅をする時はいつもX線写真を携行してきた。ドアを開けたり、水を1杯飲んだりするのにも、痛みが走る。
「私の関節は、80歳を超えている」と言って、パホンは笑った。
4歳から競技に出場してきた彼女は、この発言で自分が負傷したことを嘆いていたわけではない。ケガは、運動選手の人生に付きものなのだ。
どんなに才能ある選手でも、消耗すれば肉体は衰える。しかし、とりわけ衝撃が強いレスリングやラグビー、体操などの五輪種目のトップレベルでの競技は、もともとリスクが高い。肩が壊れる。靱帯は切れる。金銀銅のメダルをずっと追い求めるとなると、人によっては金属製のネジやチタンプレートが単なる器具になってしまう。
パホンは、「夢をかなえ、母国のために何かを成し遂げるには、自分の肉体を含めて何を捧げるべきか」について語ってくれた。
「すごく簡単で、すごく速いようにみえる。パリでは、1周35秒だった」と彼女は振り返る。「そのためにたくさんのことを経験する。何度も手術室に入り、たいへんな痛みを乗り越えるけど、それは簡単なことではない」と言う。
パリ五輪でパホンらアスリートの競技を観戦したファンは、そこに到達するまでに出場選手たちが耐えてきた痛みや苦しみには気付かなかっただろう。この夏のはるか先まで、場合によっては生涯続くだろう選手たちの不調を、ファンは決して目にすることはない。
「五輪選手の多くは、自分がどこまでやれるかを確かめるために、肉体を限界まで追い込むのだ」とカイル・デイク(33)は言う。東京五輪のレスリングのフリースタイル74キロ級で銅メダルを獲得し、パリ五輪にも出場(訳注=銅メダルを獲得)した米国人だ。
彼は何年もかけて、「肉体の限度と限界を見つけようとした」と言う。
「私は限界を発見し、今ではどこへ行き、どこへ行くべきではないか、わかっている」と彼は言い、「でも、スポーツでベストを尽くすために私たち選手みんなが経験することは、驚異的なことなのだ。だけど、それは誰にでも勧められるものではない」と続けた。
競技の性質上、パホンやデイクのような五輪選手は多くの困難に耐えてきた。BMXレーシングでは、競技用の自転車が硬いので、ジャンプの反動のほとんどは肉体が吸収することになる。選手によっては時速35マイル(56キロ超)に達することもある、とパホンは言っている。
「私たち(の競技用自転車)には、サスペンション(訳注=衝撃の吸収装置)がない」とパホン。「私たちの関節がサスペンションだ。手首、ひじ、肩、背中、ひざ、足首もそうだ。テクニックがそれを補うのに役立つ。しかし、このスポーツの高水準のパフォーマンスは健康的であるのと同時に健康的ではないのだ」と彼女は言う。
体操競技では、関節に常に大きな負担がかかる。ボクシングだと、身体はパンチを受ける。レスリングは、身体がねじれ、マットにたたきつけられる。7人制のラグビーでは、選手はしばしば全速力で走っている最中にお互いにタックルをする。フィールドホッケーでは、スティックで指が強く押しつぶされ、切断につながりかねない。
馬術競技では、落馬が騎手の身体に大きなダメージを与える。米国のボイド・マーティン(45)は22回も手術を受け、19回も骨折をし、身体には5枚のプレートと2本のネジ、それに金属棒も入っている。
東京五輪で銀メダルを獲得したニュージーランドの7人制ラグビー選手アンドリュー・ニュースタブ(28)は、「朝起きると、体がすごく痛い」と言っている。パリ五輪出場に向けて、2回の前十字靱帯の断裂と左ひざの感染症を克服した(ニュージーランドのチームは今年、準々決勝で敗退している)。
パリの五輪選手村にある食堂で、ニュースタブは選手たちのさまざまな体形や体格だけでなく、たくさんのケガや手術の痕も目の当たりにして衝撃を受けたと話してくれた。
パホンの選手歴は、疾患の多様さと、それを克服する強い意志(あるいは頑固さ)という点で最も劇的なものの一つかもしれない。例をいくつか挙げてみよう。
彼女はコロンビアの郷里メデジンで2008年、トレーニング中に左腕を負傷した。開放骨折という重傷だった。動脈も損傷し、治癒には2枚のプレートの埋め込みが必要だった。
2012年には衝突であばら骨を折り、腎臓を打撲した。彼女は、これが最も危険な負傷だったと振り返った。
2018年には左のひざを負傷。ジャンプ後に足がアスファルトに激突し、前十字靱帯が断裂したのだ。その手術と回復中の合併症があまりにひどかったので、引退を考えた。
また、2019年には右のひじにケガを負った。関節が脱臼し、靱帯がすべて断裂。競技を続けたために症状はさらに悪化した。2023年は、パリ五輪出場に向けて、12月までに3回の手術を受けた。
「もっと責任を持ってやれることがあったかもしれない。もっとうまく回復を図ることとか、若い時から肉体を酷使しないとか」とパホンは言う。「でも、勝つこと、ベストを尽くすこと、そしてトレーニングをすることへの情熱や執着があった。限度を設け、将来のことも考える必要もあるけれど――。若いうちは、そんなことは考えもしない。私は、すべてを捧げた」
デイクによると、レスリングは常に肉体的にきついスポーツではあるが、テクノロジーやトレーニング、医学の進歩で、ケガを予防し、回復を助けることがある程度可能になった。
「かつては氷を入れたゴミ箱に飛び込み、それで良しとしていたものだ」。デイクは肩甲骨だけでなく、すべての指を少なくとも1回ずつ、あばら骨は少なくとも4回折ったとざっと振り返った。足の手術を2回受け、肩やひざの再建手術もした。
「今はもっと洗練されていて、本当にそれぞれの人のニーズに合わせて調整できる」とデイクは言う。「探せば助けてくれる人が見つかるし、競技生活をより楽しいものにしてくれる今の環境はいいよね」
パホンは、自転車に乗る時はもっと防具を着用し、ウォーミングアップをすることを学んだと言う。若い人たちに対して、自分と同じ失敗をしないようにと呼びかけてもいる。夫のビンセント・ペルアード(元五輪BMX選手で現在はコーチ)やメンタルコーチのジョナサン・ブスタマンテなど、厳しい状況を乗り切るために頼りにしてきた人たちから学んだことだ。
しかし、彼女はまた、毎日感じる痛みを受け入れることも学んだと言う。負傷したために、走っている時はアスリートらしく見えないかもしれないし、階段をのぼる時は身体がきしむかもしれないが、その価値はあったと彼女は思っている。そして、競技を続けていきたいと考えている。
「私は多くを得るために、多くを捧げた。それは、何物にも代えがたい」(抄訳、敬称略)
(James Wagner)©2024 The New York Times
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