アメリカは世界有数の国際養子の受け入れ大国である。アメリカ政府当局の統計によれば、海外諸国から国際養子縁組を受けた子どもは2002~2006年の年間2万人以上をピークに、国内の里親に引き取られてきた。
1989年、ウクライナ西部の中都市フメリニツキーで生まれたオクサナ・マスターズ(32)は先天性の重度の障害を持っていた。
この3年前、チェルノブイリ原発事故が起きており、母親が被曝したことが影響しているとみられる。
両脚の脛骨が欠損し、左脚は右脚より約15センチ短い。腎臓や胃の一部もなく、産みの親はソ連崩壊直前の国内の混乱を悲観。自ら育てることをあきらめ、孤児院に預けた。
オクサナは三つの孤児院を転々とした。発育状態は悪く、医師は「ウクライナにいたら10歳までは生きられなかっただろう」と言った。
転機が訪れたのは1996年の7歳の時。アメリカ人女性研究者のゲイ・マスターズさんが国際養子縁組の枠組みでオクサナを引き取ったのだ。
オクサナがアメリカにやってきたとき、とても小さく3歳ぐらいの身体の大きさでしかなかった。オクサナはアメリカの雑誌ニューズウィークにおいて、自身が聞いたという当時のエピソードをこう振り返っている。
「アメリカに到着した時、栄養失調状態で初めて風呂に入った際にはバスタブが茶色になった」
ゲイさんは女手一人で娘を懸命に育てた。オクサナは成長とともに不ぞろいの足が痛みだし、9歳と14歳の時の2回にわけて両脚を切断する手術を受けた。
リハビリのために始めたのがボート競技だった。無心になって船を漕ぐと、心が解放された。
パラリンピックと出会ったのは2008年の北京大会。
「なんてかっこいいんだろう」
負けず嫌いの性格に火がついた。
「9.11」後に派遣されたアフガンで路肩爆弾の被害にあい両足を失った海兵隊員アスリートと一緒にペアを組んだ。
練習を積んで代表切符を勝ち取り、ロンドン・パラリンピックではボート・混合ダブルスカルで銅メダルに輝いた。
オクサナの真骨頂はそこからだった。背中を負傷し、ボート競技を断念せざるをえない不運に見舞われたが、今度はクロスカントリースキーに挑戦。2014年ソチ・パラリンピック大会への出場を果たす。
ソチ大会では銅メダル2個。翌18年平昌大会ではクロスカントリーだけでなく、パラバイアスロンにも出場し、金2個、銀2個、銅1個のメダルを獲得した。
ゲイさんは娘がくじけそうになるたびに「孤児時代の経験があなたを強くしたのよ。あなたなら何でもできる」と言って、鼓舞したという。
オクサナは「母は視野をひろげてくれ、おかげで自分のやるべきことに全力を傾けることができた」と語る。
数々の困難と逆境を乗り越えて、夏冬同時大会の代表選手になったオクサナこそが「パラリンピックの申し子」だろう。しかも、今回の東京大会には自転車競技(8月31日、女子H4-5タイムトライアル、9月1日、女子H5ロードレース)で出場するのだ。
すでにこの競技で16年リオデジャネイロ大会にも出場しており、惜しくも表彰台を逃している。夏2回、冬3回でそれぞれ違う4競技に出場し、総メダル獲得数は8個にもなる。
オクサナは大会直前に自身のインスタグラムを更新し、こんなメッセージを書いている。
「自らつかんだチャンスは、新たな視野をもたらし、その好機がまた大きな再起を生む」
アメリカにはオクサナと同い年の32歳で、ロシア・サンクトペテルブルクの孤児院から引き取られたタチアナ・マクファデンというパラ陸上界のスーパーアスリートがいる。
腰から下が麻痺した先天性の障がいを持つタチアナは、ロシア語で「私は自分でできる」という意味を持つ「Ya sama(ヤ・サマ)」をモットーに掲げる。
運動機能障害T54クラスでは短距離からマラソンを含む長距離まで、すべての種目で他選手を凌駕する「鉄の女王」。
2004年アテネ大会から今回で夏季パラリンピックには5大会連続出場しており、東京では5種目にエントリーし、総メダル数16個のさらなる上積みを狙っている。
タチアナも冬季パラスポーツにチャレンジし、14年ソチ大会ではクロスカントリー競技に出場。ロシア人の産みの母親とアメリカ人の育ての母親を会場に招待し、両家族が一緒になって愛娘を応援した。レース終了後、タチアナはこういった。
「今日は、ただ家族のためにレースを行った。これがずっと夢見ていた瞬間でした。私はアメリカ人ですが、自分の中にはロシア人であるという意識もある」
今大会では、ロシアの孤児院からアメリカに引き取られたジェシカ・ロング(29)も出場する。
ジェシカもアテネ大会から連続出場しており、総メダル獲得数は23個(金13個、銀6個、銅4個)。アメリカでは今年、トヨタのCMに採用され、歩行器の訓練を始めた少女が水泳を始め、代表チームに入って女王に成長するまでの彼女の人生が描かれる。
CMでは、何事にも決してあきらめなかったジェシカへのオマージュを込めて、「私たち誰もが皆、内に希望と強さが備わっていることを信じている」とのメッセージが流れる。
ジェシカは東京パラの開会式の直前、ネイビーのフォーマルスーツを凛々しく着た写真をインスタグラムに公開し、「さあ大会が始まるよ」とつづった。
競技用車いすレーサーに乗ったタチアナは最終日の9月5日に行われる女子マラソンにも出場し、東京大会を終える。
ジェシカは自由形、バタフライ、平泳ぎ、背泳ぎ、個人メドレーの5種目を泳ぎ切る。タチアナもジェシカも鮮明な姿を東京に残すに違いない。
パラリンピアンが懸命にレースや試合に臨む姿は多くの人たちの心を打つ。それは苦難に決してひるまない、人間のたくましさと勇気を我々に教えてくれるからだろう。