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アフガニスタン、イラク…「テロとの戦い」元負傷兵ら出場 東京パラリンピック開会式

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パラリンピック・リオデジャネイロ大会で銅メダルを獲得したメリッサ・ストックウェル選手=2016年9月11日、ロイター
パラリンピック・リオデジャネイロ大会で銅メダルを獲得したメリッサ・ストックウェル選手=2016年9月11日、ロイター

傷痍軍人のアスリートがパラ選手団に含まれるのは、日本にはない現象だ。20年前の2001年の9月11日、米同時多発テロが発生して以降、各国のパラリンピックの出場選手の出自に顕著な変化が現れた。対テロとの戦いで、泥沼の戦争が起きたアフガニスタンやイラクに派遣され、現地で負傷した兵士の参加が増えたからだ。

オーストラリア選手団カヌー代表、カーティス・マグラス選手(31)が人生を変える大けがを負ったのは今からちょうど9年前の2012年8月23日、アフガニスタン中部ハース・ウルズガーンだった。

パラリンピック・リオデジャネイロ大会で金メダルを獲得して喜ぶカーティス・マグラス選手(右)=2016年9月15日、ロイター
パラリンピック・リオデジャネイロ大会で金メダルを獲得して喜ぶカーティス・マグラス選手(右)=2016年9月15日、ロイター

9・11以降、同地域はイスラム主義組織タリバンと侵攻した米軍との戦いが激化。オーストラリア軍は国際治安支援部隊(ISAF)の一員として兵士を派遣し、現地の治安維持を担わせた。

当時、24歳のマグラス選手は工兵としてアフガンに従軍。任務中に手製の地雷を踏む悲劇に見舞われた。なんとか一命はとりとめたものの、ひざ下から両脚を失う大けがを負い、車いす生活を余儀なくされた。

もともとカヌーの選手でもあったマグラス選手は帰国後、リハビリテーションの一環として、パラカヌーに取り組んだ。めきめきと頭角を現わし、大けがから2年後の2014年には、モスクワで行われた国際大会で初優勝。2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックでは、スプリント男子カヤックシングル(運動機能障害KL2)で金メダルを獲得した。

マグラス選手は当時、リオ大会の公式サイトの取材に対し、自身の生涯について、このように振り返った。

「アフガンで両足を失った30分後には、パラリンピアンとしてのキャリアを築こうと考えた。リオまでの道のりは長く、多くの出来事があったけど、今はとても気分がいいんだ」

マグラス選手はパラ2連覇を目指し、東京大会にも参加する。しかし、大会直前、アフガニスタンでは駐留米軍が撤収を進める中で攻勢を強めたタリバンが首都カブールを制圧。アフガンの市井の人々に平和で安定した生活をもたらそうと現地に任務したマグラス選手は当時を思い出し、来日前にオーストラリアのラジオ局「2GB」の取材に応じ、複雑な心境を語った。

「アフガンの人々の現状を思うと、とても悲しい。私たちの任務が、彼らの平和や繁栄をもたらしたと思いたい。実際に、少女は学校に行ったり、職に就くことができたりして、自由なアフガンで生活を送ることができた。状況の変化の早さにとても驚いている」

アメリカのトライアスロン代表、メリッサ・ストックウェル選手(41)も9・11により、運命が変わったパラリンピアンの一人だ。

スポーツ万能で、幼いころは体操のオリンピック選手を夢見ていた。2002年、大学卒業後にアメリカ陸軍に入隊。すぐにイラク戦争に派遣された。ところが、2004年4月、首都バグダットで任務中に路肩爆弾が爆発し、左脚を失ってしまう。退役後、リハビリのために水泳を始め、2008年には競泳種目で北京パラリンピックに出場。閉会式ではアメリカ代表の旗手も務めた。

その後、しばらくパラリンピックの舞台から遠ざかっていたが、2015年に長男を出産後に現役復帰を果たした。2016年のリオ大会では、正式採用された女子トライアスロン競技に参加。ブランクを感じさせない激走を見せ、見事に銅メダルに輝いた。奇しくもこのレースが行われたのは、9月11日だった。喜びを爆発させたストックウェル選手は現地のメディアにこう語った。

「私がいつも考えていたのは、バグダットで負傷した日ではなく、今日のレースの日である9月11日のことだった。足を失っても夢を叶えることを証明できた」

ストックウェル選手はコロナ禍でもしっかりと調整し、東京大会にも参加。5日目の28日、トライアスロン女子(運動機能障害PTS2)に出場する。リオでは成し遂げられなかったパラ金メダルを目指す。

アフガニスタンやイラクに派遣され、負傷した傷痍軍人アスリートはリオ大会では10人ほどいた。リオ大会にも出場したイタリアのパラ陸上代表のモニカ・グラツィアナ・コントラファット選手(40)は東京大会で、女子100メートル(義足T63)にエントリーしている。

世界パラ陸上選手権の女子100メートル(T63)で2位に輝くモニカ・グラツィアナ・コントラファット選手=2019年11月13日、ドバイ、ロイター
世界パラ陸上選手権の女子100メートル(T63)で2位に輝くモニカ・グラツィアナ・コントラファット選手=2019年11月13日、ドバイ、ロイター

アフガニスタンで負傷したコントラファット選手は2012年ロンドンパラリンピックでの活躍を見て、障がい者スポーツを始めた。「9・11」がなければ彼らは決して、パラリンピアンになることはなかった。

もともと、パラリンピックの原点は1948年に英国のストーク・マンデビル病院で行われたアーチェリー大会だった。おりしもその年、第二次世界大戦で中断されたオリンピックがロンドンで開催。病院には、ナチス・ドイツとの戦闘行為で負傷した多くの兵士たちが入院しており、アーチェリー大会は兵士のリハビリのために行われたのだ。

このアーチェリー大会を主催したストーク・マンデビル病院のルードウィッヒ・グットマン医師は「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」と懸命にアーチェリーの競技を行う選手たちを鼓舞した。

その後、ストーク・マンデビル大会にはほかの国の負傷兵士も参加し、国際大会へと発展した。パラリンピックの傷痍軍人アスリートの参加は、平和を願うグットマン医師らの原点でもあるのだ。