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チェルノブイリ事故で障害のオクサナ・マスターズ、パラの自転車競技で金 9個目に

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左は今回のパラリンピックで自転車競技で優勝したオクサナ・マスターズ。右は2012年ロンドン・パラリンピックで銅メダルと獲得した際の同選手=ロイター/朝日新聞
左は今回のパラリンピックで自転車競技で優勝したオクサナ・マスターズ。右は2012年ロンドン・パラリンピックで銅メダルと獲得した際の同選手=ロイター/朝日新聞

東京大会はオクサナにとって、夏3回、冬2回目のパラリンピックの出場だった。しかも開催100日前には脚の外科手術をして、今大会に臨んでいた。

9個目のメダル獲得について、アメリカメディアは相次いで速報。アメリカでは有名人であるパラスリートの快挙に、Twitterでは「いつも彼女には驚かされる」「レジェンドのアスリート。おめでとう」の祝福の声が相次いだ。

オクサナは自身のTwitterにレース前、富士スピードウェイに笑顔で立つ写真を掲載し、「手術から100日目の日。私はゴールへの視界を決して失わなかった。自分自身を疑うこともあったかもしれない。だけど、スタートラインに立つ瞬間を思い浮かべることを決してやめなかった。結果がどうなるかわからないけど、ここに来たこと自体が、勝利だ」とメッセージを送っていた。

オクサナが最初にパラリンピックに出場したのは、2012年夏季ロンドン大会のボート・混合ダブルスカル。「9.11」後のテロとの戦いでアフガンに派遣され、路肩爆弾の被害にあい両足を失った海兵隊員アスリートとペアを組み、銅メダルを獲得した。

その後、背中を負傷し、ボート競技を断念せざるをえない不運に見舞われたが、今度はクロスカントリースキーに挑戦。出場した2014年冬季ソチ大会では、銅メダル2個。翌18年冬季平昌大会ではクロスカントリーだけでなく、パラバイアスロンにも出場し、金2個、銀2個、銅1個のメダルを獲得した。

今回の東京大会には16年夏季リオ大会に初めて出場した自転車競技で、アメリカ代表のエースとして臨んだ。31日の一つ目の種目、女子タイムトライアルで見事に優勝を果たした。

これで、オクサナのメダル獲得数は9個。金3個(夏・自転車1個、冬・クロスカントリー2個)、銀3個(冬・クロスカントリー1個、冬・バイアスロン2個)、銅3個(冬・クロスカントリー2個、夏・ボート1個)となる。

オクサナは、パラリンピックのスポンサーとなったトヨタのYouTubeチャンネルの取材に対し、大会前にこう語っていた。

「アスリートとして(その後パラリンピアンになるために)最大だったことは、コーチから私はアスリートとしては小さすぎて、トップレベルの選手になることはできないと言われた時のことです。それが私の小さな情熱に火をつけ、アスリートにはさまざまな体系、サイズ、力の人がいて、全てが違うし、どれほど持ち上げることができるかとか、どれほど強いかだけがアスリートの資質ではないことを、コーチだけでなく社会に示すことが私のパッションになりました」

「そして今、幸運にもやりたいことを成し遂げられるのかどうかを決めるのは、あなたの身体ではなく、心であるということ、それを社会に示して少しでも貢献できていればいいなと思います」

オクサナは1989年、ウクライナ西部の中都市フメリニツキーで生まれ、先天性の重度の障害を持っていた。

この3年前、チェルノブイリ原発事故が起きており、母親が被曝したことが影響しているとみられる。

両脚の脛骨が欠損し、左脚は右脚より約15センチ短い。腎臓や胃の一部もなく、産みの親はソ連崩壊直前の国内の混乱を悲観。自ら育てることをあきらめ、孤児院に預けた。

オクサナは三つの孤児院を転々とした。発育状態は悪く、医師は「ウクライナにいたら10歳までは生きられなかっただろう」と言った。

転機が訪れたのは1996年の7歳の時。アメリカ人女性研究者のゲイ・マスターズさんが国際養子縁組の枠組みでオクサナを引き取ったのだ。

オクサナがアメリカにやってきたとき、とても小さく3歳ぐらいの身体の大きさでしかなかった。オクサナはアメリカの雑誌ニューズウィークにおいて、自身が聞いたという当時のエピソードをこう振り返っている。

「アメリカに到着した時、栄養失調状態で初めて風呂に入った際にはバスタブが茶色になった」

ゲイさんは女手一人で娘を懸命に育てた。オクサナは成長とともに不ぞろいの足が痛みだし、9歳と14歳の時の2回にわけて両脚を切断する手術を受けた。

リハビリのために始めたのがボート競技だった。無心になって船を漕ぐと、心が解放された。

パラリンピックと出会ったのは2008年の北京大会。

「なんてかっこいいんだろう」

負けず嫌いの性格に火がついた。

東京大会100日前にはさらなる困難が待ち受けていた。脚の外科手術をしなくてはいけない状況になったのだ。自身のインスタグラムにこう振り返った。

「私の東京への道は、回り道を余儀なくされた。スポーツをめぐって私の健康を最優先するために、難しい選択をしなくてはならなかった」

それでも奇跡的な回復を成し遂げた。見事に予選を好タイムで出場権を獲得。「東京大会へ出場するにはドアが少し開いてできた隙間でしかなかった」

ゲイさんは娘がくじけそうになるたびに「孤児時代の経験があなたを強くしたのよ。あなたなら何でもできる」と言って、鼓舞したという。

オクサナは「母は視野をひろげてくれ、おかげで自分のやるべきことに全力を傾けることができた」と語る。

数々の困難と逆境を乗り越えて、夏冬同時大会の代表選手になったオクサナこそが「パラリンピックの申し子」だろう。

オクサナは大会前、組織委員会の公式サイトに「私の望みは期待通り、かなえられて、表彰台に近づき、チームUSAのためにメダルを持ち帰ることだ」と語っていた。

アメリカは世界有数の国際養子の受け入れ大国である。アメリカ政府当局の統計によれば、海外諸国から国際養子縁組を受けた子どもは2002~2006年の年間2万人以上をピークに、国内の里親に引き取られてきた。

パラリンピックには国際社会の過酷な現実を反映し、壮絶な経緯を持つ選手たちが多数、出場している。

オクサナのように、重度の障がいを持って生まれ、孤児院で育てられた子どもが養子として他国に引き取られ、のちにパラアスリートとなったケースも少なくない。

戦争や貧困、災害…。そんな逆境を乗り越えてきた「超人」たちの人生に、パラリンピックは改めて光を当てている。