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金利の「主権」手放した中米エルサルバドル 自国通貨あきらめ「ドル化」した恩恵と弊害

World Now 更新日: 公開日:
エルサルバドルの首都サンサルバドルにある中央市場で、国民食「ププサ」を作る女性
エルサルバドルの首都サンサルバドルにある中央市場で、国民食「ププサ」を作る女性=2022年8月、軽部理人撮影

第一印象は「雑多」だった。

とにかく、何でもある。生鮮食品、乾物、香辛料、お菓子、おもちゃ、洋服、靴、スマホのケース、殺鼠(さっそ)剤……。すべて個人営業の露店だ。

中米エルサルバドルの首都サンサルバドル。その一角にある中央市場は、国民の約3割が貧困層の国で「庶民の味方」として愛されている。2022年8月に中央市場を歩いた。各店から様々なかけ声が公用語のスペイン語で聞こえてくる。

エルサルバドルの首都サンサルバドルにある中央市場で、殺鼠剤などを売る男性
エルサルバドルの首都サンサルバドルにある中央市場で、殺鼠剤などを売る男性=2022年8月、軽部理人撮影

「卵1ダース、2ドル(約320円)、2ドル」「今ならシャツ3枚で15ドルだよ」

売っているものの値段はすべて米ドルで表示されている。エルサルバドルで日常使われているのは、米ドルだ。

米ドルを法定通貨に、自国通貨は事実上廃止

自国通貨「コロン」と並ぶ法定通貨として米ドルが位置づけられたのは、2001年1月1日。それまで使われていたコロンは現在も法定通貨の一つだが、流通は停止しており事実上廃止されている。エルサルバドルのように、自国通貨と併存、もしくは自国通貨にかわって米ドルが利用される現象は、「ドル化」と呼ばれる。

エルサルバドルは東西冷戦下の1980年代から、米国の支援を受ける国軍と、左翼ゲリラとの内戦が1992年まで続いた。その2年後の大統領選で勝利した親米政党「民族主義共和同盟」は、内戦で疲弊した経済の立て直しに取り組んだ。

主要産業はコーヒー生産や繊維のみ。ドル化の主な狙いは、米経済との統合を強めて外国投資の誘致を図り、経済を活性化させることだった。

「この20年間、ドル化によって様々なメリットがもたらされた。最も大きいのはインフレが安定したことだ」。エコノミストのカロライン・マロキンさん(40)は語る。自国通貨の為替レートが下落するリスクがなくなり、輸入品の物価上昇を抑えることができるという。

世界銀行によると、エルサルバドルの1986年のインフレ率は31.9%を記録した。内戦後の1993年に1ドル=8.75コロンに為替レートが固定されてからインフレは落ち着いたが、1994、95年のメキシコ通貨危機でコロンの脆弱(ぜいじゃく)性が露呈。ドル化後は為替変動がなくなり、物価がさらに安定した。

エルサルバドルの首都サンサルバドルにある中央市場。様々な商店が並んでいる=2022年8月、軽部理人撮影
エルサルバドルの首都サンサルバドルにある中央市場。様々な商店が並んでいる=2022年8月、軽部理人撮影

多くの国民が米国で「出稼ぎ」をしていることも、ドル化した理由の一つだ。エルサルバドルにとって、米国から郷里への海外送金は貴重な収入源になっている。現在の年間送金額は75億ドル(約1兆2000億円)で、国内総生産(GDP)の25%を占める。通貨が米ドルになることで、送金時の為替差損もなくなった。

ビットコインも法定通貨に

ブケレ現大統領はさらに、2021年にビットコインも法定通貨に加えた。海外送金での米ドル使用は、手数料が大きい。そのため、手数料が格安のビットコインを導入し、政権は国民全体で年4億ドル(約640億円)が節約できると主張する。

ただ、ビットコインを受け付ける看板を出す店は数えるほどで、利用者はまったく見かけなかった。市場のほとんどの店も現金しか受け付けていなかった。

ビットコインでの支払いが可能であることを知らせる店舗の貼り紙
ビットコインでの支払いが可能であることを知らせる店舗の貼り紙=2022年8月、エルサルバドルの首都サンサルバドル、軽部理人撮影

米ドルもビットコインも、もちろん自国で発行する通貨ではない。エルサルバドルにも中央銀行はあるが、紙幣の発行や、政策金利を上げ下げするといった一般的な中央銀行の役割はなく、主な仕事は国内の経済統計や予測などにとどまる。民間銀行は米国の政策金利に合わせて、独自の住宅ローンや企業融資の金利を決める。

エコノミストのラファエル・レマスさん(60)は、「もはや、エルサルバドルの中央銀行に存在価値はない。自国経済の悪化に対して、何も対処できないからだ」と断言する。たとえば自国の経済が低迷していても、米国がインフレ抑制のために金利を引き上げている場合、金利を下げて景気を刺激することはできない。逆に自国景気が過熱して高インフレになっていても、米国が景気が悪く低金利にしている局面では、利上げすることもできない。つまり金利を調節する「主権」がないわけだ。

米国は2008年のリーマン・ショック後、政策金利を8年ほど1%以下に抑えた。2022年からはインフレ抑制のため段階的に引き上げ、現在は5.5%にのぼる。「エルサルバドル経済は米国の金融政策の影響を大きく受ける。そして米国は、エルサルバドルの経済を考慮して政策金利を決めることは絶対にない」。レマスさんはそう話した上で、こう問題提起する。「インフレを安定させるという意味で、ドル化は必要だったと思う。しかし米国の顔色をうかがい、その一方で我々の思い通りになることはないこの関係性は健全なのだろうか」

中南米で進むドル化

「米国の裏庭」とも称される中南米では他に、パナマやエクアドルが公式にドル化している。ベネズエラは反米左派のマドゥロ大統領が独裁化を強めるが、自国通貨が破綻しており事実上のドル化が進む。

パナマが米ドルを法定通貨としたのは1903年。自国通貨のバルボアは硬貨のみで、1ドル=1バルボアに固定されている。ハブ空港として南米と北米の結節点になっているトクメン国際空港はもちろん、パナマ市ではほぼすべての値段がドルで表示されている。パナマには中央銀行が存在しない。

2023年12月に就任したアルゼンチンのミレイ大統領は「中央銀行の廃止」や「ドル化」を訴えている。現在のインフレ率が250%を超えるなど慢性的なインフレに悩むアルゼンチンで、物価の安定は悲願だ。だが大量のドルを調達する必要があるなど、実現性は不透明である。

アルゼンチン中央銀行
アルゼンチン中央銀行=2022年10月、ブエノスアイレス、星野眞三雄撮影