――フェイスブックが今年6月に構想を発表したデジタル通貨「リブラ」をどう見ていますか。
1年ほど前、著書「金融政策に未来はあるか」で、リブラのように見合い資産を持つ仮想通貨について、手に触れたものすべてを黄金に変える能力を与えられたギリシャ神話のミダス王にちなみ、「ミダス」と名づけて議論を展開しました。ドルや円などの法定通貨に対する競争者としてミダスを位置づけましたが、リブラはミダスのようなもので、他にもミダスはいくらでも出てくるでしょう。ミダスや中央銀行のデジタル通貨など様々な通貨が競い合う時代が到来すると思います。
――リブラは世界共通通貨になりえますか。
フェイスブックは「金融包摂」という言葉を使って、金融サービスを受けられない人たちにリブラを提供する、と言っているが、ひとつひとつの国・地域で事情が違うのを、まったく理解していない。自分が主導するという発想で、独裁者になろうとしているフェイスブックに、世界通貨を提供する資格はない。フェイスブックがそんな賢さを持っているとは思えないし、プライバシーの厳密な扱いができるとも思えません。
ミダスがどんどん出てきて、競争すればいいと思うが、リブラはドルやユーロ、円など他の通貨にぶら下がって、価値を借りてくる以上、競争相手にならない。国境を越えた出稼ぎの人には、リブラのような送金の仕組みがいいと考えていたが、なぜリブラが主要通貨のバスケットにしなければならないのか、まったく理解できない。たとえばシンガポールに出稼ぎに行っているフィリピン人にとっては、主要通貨に結びついたリブラより自国通貨建ての方が欲しいでしょう。
――たとえば日本の人が円をリブラに換えた場合、円の価値は下がりますか。
バスケットの通貨の為替レートがきちんと計算されていれば、変わらないはずです。フェアバリュー(適正価格)で円とドルを換えても、それ自体では為替相場が変わらないのと同じことです。円を売ってリブラを買うということは、リブラのバスケットが5通貨だとしたら、円を売って割合に応じて他の4通貨を買うのと同じ。まったく裏付け資産を持たずにリブラを発行したら、それは影響するかもしれないが、そんなことをすれば誰もリブラに換えようと思わない。
リブラに換えることで為替相場が変動すると思うのは、日銀の異次元緩和と同じ錯覚です。貨幣の量が物価を変動させると思うからですが、「FTPL」(物価水準の財政理論)では先進国の中央銀行は政府が発行する国債を買い入れて貨幣を発行しているので、貨幣価値、その逆数である物価水準は、財政のありようで決まります。なぜ異次元緩和が効かないで、私が「無益無害」と言うかというと、フェアバリューで国債を買っているからです。フェアではないバリューで国債を押しつけていれば変化します。
同じように、フェアバリューではなく為替管理をしている国の通貨をフェイスブックが価値の裏付け資産バスケットに入れるとしたら、それは影響するでしょう。
――でも、リブラのバスケットに入っていない、弱い国の通貨が、どんどんリブラに両替されれば、価値が下がってしまうのではないですか。
そういう国の通貨がリブラに換えられれば、影響は受けます。つまりフェイスブックの金融包摂という主張はおかしいということです。
――弱い国の通貨から強い国の通貨に所得移転が進んでしまうということになり、搾取のようなものですね。
そうです。バスケットに入っていない国の通貨からリブラに換えれば、その国の通貨は安くなるので、貧しくなるといえます。だから、フェイスブックという会社を軽蔑しています。
――リブラを基軸通貨のようにしたいのでしょうか。
それだったら、主要国の通貨にリンクしないで、フェイスブックの株価にリンクさせればいい。それが通用したらおもしろい。ただ、フェイスブックはエリート意識丸出しで、多くの人の心をとらえる通貨をつくれるとは思えません。
――リブラが広まれば、フェイスブックにお金の動きの情報が集まります。
いまの銀行システムが秘密をそこそこ守れているのは、勘定の詳細をその銀行と金融当局しか見ることができないからです。フェイスブックは情報を管理すると言っているが、仮想通貨と同じ仕組みでやれば、イスラエルも中国も米国も見ようと思えば見られるでしょう。銀行が管理している勘定と、預金口座として客に見せているものが一致しているかどうか、金融当局がチェックしている。そんな銀行は信用できなくて、フェイスブックが信用できるという理由がどこにあるのか。フェイスブックの方がもっと怪しいでしょう。
――ドル基軸通貨体制は続くと見ていますか。
基軸通貨になれば、ドルを持つ人が世界で多くなる。財政収支を悪化させればドルが安くなり、国内だけでなく海外のドル保有者に課税したのと同じ効果がある。アメリカはそういうことをしなかったから、長いこと基軸通貨の地位を保っています。アメリカ政府全体が、約束を守ろうとする、正義に忠実であろうとする、短期的には自分に損になるようなことでも実施しようとする。ただ、いまのアメリカの方向感を見るとそうではなく、自国中心主義の国になってしまっているので、長期的にはドルを信用できるかどうか怪しくなってきている。
――トランプ大統領になって、基軸通貨国の振る舞いではないように感じます。
ないですね。ただ、ドイツもフランスもイギリスも、世界中でその負担に耐えられない国が多いですから、基軸通貨という概念がなくなっていくかもしれない。基軸通貨に意味がなくなる方向に、アメリカがどんどん突き進んでいる感じです。
――リーマン・ショックの後、米国があれだけ金融緩和をやってドル安政策を進め、緩和をやめたら今度は逆流しました。
一国の金融政策に振り回されるのは、やめた方がいい。日銀にいたときに、西ドイツ(当時)は金融政策の方向性が違いました。西ドイツの中央銀行の信念は「マルクはドイツ人のためにある」、なのでマルクが国際通貨になるのを嫌がっていました。欧州共通通貨ユーロを導入し、ECB(欧州中央銀行)に取り込まれたのは、ドイツ人は後悔しているかもしれない。通貨は統合するのは比較的簡単だが、戻るのは難しい。分解する手順はありません。
――通貨の未来はどうなるでしょうか。
通貨は、分散して、たくさんあるから安全なんだと、そういう制度をつくりあげた方がいいのであって、一極集中という考え方はやめた方がいい。経済学では、実態が同じ人たちが同じ通貨を使う、同じでないのなら別の通貨を使う方がいいし、選べた方がいいのです。
――通貨が競い合う時代、どんな金融政策がありえますか。
日本はバブル崩壊後、自然利子率が大きく下落し、ケインズの「流動性の罠」にはまり込んでしまった。名目金利はゼロ金利の銀行券(紙幣)の存在に阻まれ、マイナスにはできないからです。ただ、ドイツ生まれの社会思想家ゲゼルが20世紀初頭に、スタンプをつけることで紙幣にマイナス金利をつけるというアイデアを提唱したように、中央銀行がデジタル通貨を発行すれば、マイナス金利をつけるのも難しくない。そうすれば中央銀行は名目金利と貨幣利子率の二つを操作できることになる。また、通貨間の競争が始まれば、通貨発行の独占に依存した裁量的な金融政策はできなくなる。中央銀行は、「インフレで景気を良くせよ」などという政府の意向を忖度することなく、「価値尺度の提供者」としての使命に徹するほかなくなるでしょう。
岩村充(いわむら・みつる) 1950年生まれ。日本銀行を経て98年から現職。著書に「貨幣進化論」「中央銀行が終わる日--ビットコインと通貨の未来」「金融政策に未来はあるか」など。