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中国で深刻だったPM2.5、今は別の国が世界最悪 専門家「寿命が6.8年短くなっている」

World Now 更新日: 公開日:
ダッカ市内の幹線道路は常に渋滞し、行き交う人々や露店でごった返していた=2024年5月9日、荒ちひろ撮影
ダッカ市内の幹線道路は常に渋滞し、行き交う人々や露店でごった返していた=2024年5月9日、荒ちひろ撮影

あるのが当たり前、ないと生きられない――。そんな存在である大気が、毎年700万人もの命を奪っている。大気汚染が2023年に「世界最悪」とされたのが、バングラデシュ。中でも特に影響が心配されるのが、子どもたちだ。

生後3週間から咳が止まらない

警報が出るほどの熱波に見舞われた5月上旬、バングラデシュの国立ダッカ子ども病院の受付で、ぐったりとした赤ちゃんが家族に抱かれ、順番を待っていた。私立病院に比べて格段に費用が安く、優秀な医師が集まるとあって、連日、受診に訪れる親子連れで廊下や建物の外までごった返している。

隣県からやってきた母タフミナさん(26)と父シシールさん(29)の長男タシュリフちゃん(7カ月)は、生後3週間から咳(せき)が止まらず、地元の病院で肺炎と診断された。いくつも病院を転々としてきたが、一向に症状は良くならず、ここならば治るかもしれない、と訪れたという。

「死んでしまうのではないかと思うくらい咳がひどく続き、眠れずミルクも飲めない。心配でたまらない」とタフミナさん。「良くなるよう、祈ってください」と我が子を見つめた。

大気汚染の原因である微小粒子状物質(PM2.5)の濃度が「世界最悪」とされるのがバングラデシュだ。

スイスの空気清浄機メーカー「IQAir」の2023年の調査によると、データがある134カ国・地域別でワースト1位(人口を加味した年間平均で1立方メートルあたり79.9マイクログラム)。パキスタン(同73.7)、インド(同54.4)と、南アジアの国が続く。

世界の大気汚染度ランキング

PM2.5は、肺の奥深くまで入り込みやすく、ぜんそくや肺炎などの呼吸器疾患や、脳卒中や心臓発作などのリスクを高めるとされる。世界保健機関(WHO)は、大気汚染によって年間700万人が亡くなっていると推計する。

米シカゴ大エネルギー政策研究所は同年、バングラデシュでは寿命が国平均で6.8年、ダッカ近郊では8.3年、大気汚染で短くなっていると推計した。

臓器や免疫システムが未発達の幼い子どもは、特に影響を受けやすい。ダッカ市内にある山形ダッカ友好総合病院(山形大学医学部に留学した医師らが創立)の呼吸器内科医アブドゥラ・マスードさん(37)は「ぜんそくや気管支炎など大気汚染に関連する疾患で受診する子どもは、年々増加傾向にある」と話す。

患者の一人、マビシャ・ザマンさん(8)は、5歳のころからアトピーやアレルギーに悩まされてきた。特に乾期(11~3月ごろ)は、咳やくしゃみ、皮膚のかゆみが出やすく、ひどい時には呼吸が苦しくなるという。 砂埃や煙の原因となっている街中や道路脇のごみを指摘し、「街をきれいにする必要があると思う」と訴えた。

ダッカ市内に住むマビシャ・ザマンさん(右)は、5歳のころからアトピーやアレルギーに悩まされてきたという=2024年5月5日、ダッカ市内の病院、荒ちひろ撮影
ダッカ市内に住むマビシャ・ザマンさん(右)は、5歳のころからアトピーやアレルギーに悩まされてきたという=2024年5月5日、ダッカ市内の病院、荒ちひろ撮影

大気汚染源の正体

ダッカ首都圏の人口は約2400万人でこの20年で倍増。道路には車やバス、バイクやオートリキシャがあふれている。渋滞で「車で20分の距離に2時間かかった」ということも日常茶飯事だ。

5月9日、幹線道路の陸橋から車の群れの先を眺めると、遠くに霞んだビルが見えた。最も大気汚染がひどい乾期を過ぎ、雨が降ったばかりだったが、IQAirのアプリで周辺のPM2.5の濃度を調べると109.7マイクログラム/立方メートル。大気質指数は189で「健康に良くない」と表示された。撮影で20分ほどいただけで、喉がガラガラしてきた。

スイス企業「IQAir」の大気汚染度を見るアプリの画面
スイス企業「IQAir」の大気汚染度を見るアプリの画面

バングラデシュ独立大の環境科学・マネジメント学部のムハマド・アブドゥル・カレク教授(49)は、大気汚染の要因について、こうした交通の状況や、れんがを焼く窯から出る煙、無計画な都市の拡大や建設ラッシュなどを挙げる。

バングラデシュでは、家やビル、道路の建設に主に焼いたれんがが使われ、国内でほとんどとれない砂利の代わりに、砕いたれんがも多用される。政府によると、れんが工場は全国に7000~8000カ所あり、焼く際の煙などがダッカの大気汚染源の58%を占めるとの研究もある。

ダッカ近郊の幹線道路沿いでは、赤茶色のれんがが積まれ、何本もの煙突が黒い煙を吐いていた。約200人の作業員が、一日5万個のれんがを焼いているという工場の男性は、「ほこりがすごいので作業員にマスクを渡すが、暑くて着用する人はほとんどいない」と言う。

煙突から黒い煙を吐き出す旧式のれんが工場=2024年5月3日、ダッカ郊外、荒ちひろ撮影
煙突から黒い煙を吐き出す旧式のれんが工場=2024年5月3日、ダッカ郊外、荒ちひろ撮影

周辺の住民は、れんが工場が稼働する乾期に「ビニールを燃やしたような嫌な臭いがすることがある」「子どもに肌の異常や咳が出る」と話し、農作業をしていた男性が「でも、工場との因果関係を知らない人が多い」と付け加えた。

大気汚染を研究するダッカ大学大気質・環境汚染研究室のヌールル・フダ上級研究員(44)は、従来のれんが工場について「煙突から汚染物質がそのまま排出されている。フィルター設置の徹底など対策が必要だ」と指摘する。

大気汚染の原因、家庭内にも

政府は対策として2019年、れんが工場の立地条件や認可の厳格化を発表。2025年までに道路を除く公共事業で、従来の製法のれんがの使用を禁止するとしている。

環境に配慮した工場も生まれている。アジア開発銀行の支援を受け、2013年に創業した「Stone Bricks」は、れんがを焼く炉内の空気を吸い上げ、フィルターで浄化。きれいになった熱風は焼く前のれんがの乾燥に再利用している。

環境に配慮した「Stone Bricks」の工場で働く人々=2024年5月7日、バングラデシュ、荒ちひろ撮影
環境に配慮した「Stone Bricks」の工場で働く人々=2024年5月7日、バングラデシュ、荒ちひろ撮影

「焼かない技術」にも期待が集まる。日本の床施工会社「エイケン」(本社・東京都世田谷区)は、現地の土と海砂、セメントと同社が開発した無機質固化材(ECO5000)を混ぜて圧縮・乾燥させる「焼かないれんが」を提案。焼いたれんが並みの強度を実現した。提携する工場では製造が始まり、道路や河川などの工事で利用が予定されている。

大気汚染は家庭でも起きている。主な原因は調理や暖房の器具だ。WHOは2023年、約23億人が調理用の燃料に木材や石炭などを使っていると発表した。

電気や天然ガスなどを利用した効率のよいコンロへの転換が必要だが、人々の行動を変えるのは簡単ではないようだ。

ダッカ近郊のモモタジュ・ベグンさん(50)の家には、室内と、家の脇に建てたトタン小屋の二つの台所がある。室内では圧縮天然ガスのコンロを使うが、屋外では木の枝などが燃料の古いコンロで調理する。

長男の妻は室内の台所を使う一方で、ベグンさんは「ガス代を節約するため、たいてい外の台所を使っている。煙で頭が痛くなったり咳が出たりするけど、火力が強いし、私は外の方が好き」と話した。

家の外にある台所で、枝を燃やして調理するモモタジュ・ベグンさん=2024年5月6日、ダッカ近郊、荒ちひろ撮影
家の外にある台所で、枝を燃やして調理するモモタジュ・ベグンさん=2024年5月6日、ダッカ近郊、荒ちひろ撮影

大気汚染は、途上国だけの問題ではない。先進国で消費するものの多くは、コストの安さなどから途上国でつくられている。そのための経済活動が、途上国で大気汚染を引き起こす。私たちは製品を輸入する代わりに、汚染源を「輸出」しているとも言える。

日本の国立環境研究所などが2021年に発表した論文は、主要20カ国・地域(G20)のうち欧州連合を除く19カ国の消費活動で生じたPM2.5で、世界で年間約200万人が平均寿命より早く死亡していると推計。バングラデシュは、G20以外で最も影響を受ける国だった。