――流山市長になった当時と現在、まちの様相は大きく変わりましたね。
そうですね。緑豊かな「良質な住環境」「快適な都市環境」が整うまちに変貌してきました。でも、私が思い描く目標は、日本はもとより、海外でも「流山って、住みやすいまち」と言われる、多様性に富み、市民が良質で健康的な生活を送れる「住み続ける価値の高いまち」を目指しています。
――そもそも、流山出身ではないのに、流山市の市長に立候補したのはなぜですか?
約35年前、私がアメリカの都市計画コンサルタントで働いていた時、私の妻から渡された日本での求人広告で、日本企業が新たに都市政策や都市計画の研究所を新設すると知りました。自分のやってきたことを活かし、やりたいことが出来そうだと考え、応募し、採用されました。
日本帰国が決まり、居住地探しの中で、緩やかな起伏のあり、安全な子育てができ、将来性のある地域として、流山市を選びました。
当時、つくばエクスプレス(以下、TX)が計画中でしたので、将来性の高いエリアだと考えました。
私は仕事柄、流山市も含めて各地域のさまざまなデータにアクセスすることができましたので、流山市の社会・財政データを見たところ、低下、悪化を示していました。
私が将来を託した流山市ですが、まちとして可能性はあるのに、引き出す仕組みができていないため、衰退モードに突入していたのです。
私が市長になる5年前、「これから発展する街、衰退する街」という本を著した時、流山市の二つの危機を明確に認識しました。その危機を回避し、流山市の可能性を顕在化する手段として市長に立候補しようと思いました。
――二つの危機とは?
一つが少子高齢化です。私が21年前に市長になった時、流山ではすでに少子高齢化が進んでいっていました。流山をはじめとする東京周辺の都市は、高度経済成長期に地方から上京してきた団塊世代の人たちが家庭を持ち、移り住んだ地域なんです。
これらの大都市圏の郊外は、団塊世代の比率が全国平均よりも高く、少子高齢化が日本全体よりも少し早く訪れ、一気に進みます。これが流山市の置かれた状況でした。
これをなんとかしないと財政悪化が進み、市民サービスの維持ができなくなってしまいます。
二つ目が、TX沿線の大規模土地区画整理事業でした。宅地を造成し、販売する計画ですが、TX沿線11市区の中で流山市の知名度は最低グループにあり、家を建てる場所の選択肢に入らない可能性が高い。すると区画整理された土地を売れない、または造成費用分を回収することができず、その結果、市の財政危機を招きかねない状況にありました。
――そうした課題に対し、何から取り組んだのですか?
まずは知名度と地域イメージを上げる必要がありました。そこでマーケティング課を新設し、民間人のマーケターを採用し、マーケティング戦略を立案しました。その際、「SWOT分析」を行い、流山市として何を目指し、どのようなまちとして売り込むかを考えました。そして流山市の都市イメージを「都心から一番近い森のまち」とすると同時に、メインターゲットを「共働きの子育て世代」に定めたのです。
このマーケティング戦略に基づき、仕事をしながら子育てができるまちづくりを進めてきました。代表的な施策として、待機児童ゼロの保育環境と、駅前送迎保育ステーションの開設です。
この15年間に保育園数を17園から104園まで増設。保育定員数を1789人から8669人まで整備しました。ただ、2023年度まで待機児童数はゼロになりませんでした。理由は子育て世代が増え、合計特殊出生率が平成16年は1.14であったのが平成30年には1.67と4割以上増えたからです。
また保護者の方と話をする中で、「朝晩の送迎が大変だからどうにかならないか」という相談を受けて実現したのが駅前送迎保育ステーションです。
市内で複数路線が乗り入れる二つの駅前に、駅前送迎保育ステーションを設置。利用者は通勤途中で駅前送迎保育ステーションに預けると、市内の小規模の保育事業所と園であっても、市内2カ所の送迎保育ステーション近辺の保育園を除くすべての認可保育園がバスで結ばれていて、事業者がバスでそれぞれの園まで登園・降園するシステムです。
流山市は現金給付や無料化の補助、助成についても他の自治体と同程度に行っていますが、市が注力してきたのは、仕事をしながら子育てできるインフラ整備です。子育て世帯がキャリアと子育てを両立できるように、整備しています。
――保育所増設にあたって、住民から反対はありましたか?
流山は閑散としたまちだったので、土地の確保は難しくはありませんでした。しかし保育園が建設される前に住宅が建っているエリアでは反対意見もありました。
子育て政策をするのは、若い人を増やしたいからだけではなく、同時に高齢社会を支えるためだと説明し、ご理解を得てきました。結果的に、税収が増えたおかげで高齢者施設も増え、保育園だけでなく高齢者施設も充実した環境を実現しています。
――市長就任当時から少子化が問題になっていました。子どもが少なくなると分かっていたのに子育て政策を打ち出すことに、市民や議会から反発はありましたか?
ありました。議会でよく議論になったのは、「若い子育て世代に絞るのか」「税金は公平にするべきじゃないか」「今まで流山を支えてきた高齢者を大切にすべきだ」ということでした。でもそれは誤解ですね。子育て世代の方々に選んでいただける流山を作ろうと言っているのです。その結果、安心の長寿社会も実現できるのです。
実は親子三世帯が移住した事例もあるんです。数年前、流山市に住む姉夫婦を訪ねた妹夫婦が流山市を気に入り、そのまま移住したケースがありました。その姉妹のご両親は当時神戸に暮らしていましたが、流山市へ孫に会いにくるうちに流山が好きになり、ご両親も移住しました。
流山市のPRのメインターゲットは子育て世代としていますが、ご高齢の方もどの世代ももちろん歓迎です。
――政策を進める上で大変だったことはありますか?
人口構成や動態、市の外部環境の変化から、長期的な経営視点に立った市政における課題や問題が市役所の中で認識されていなかったことですね。
私はアメリカで鉄道やバスレーンなどの公共交通計画のための地域計画の事業を担当していました。実際に複数の鉄道計画案を作ってシミュレーションし、費用対効果の高いルート設定、20年、30年後のデータを基に問題がいつ顕在化するか、問題が顕在化しないためにどのように改善するかなどを調査し、計画を立てる仕事でした。
私が市長になる前にも、自分で洗い出した、将来的に大きな問題になりかねない課題を、当時の市長や執行部、議員などに説明したのですが、「TXが開通したら、すべてどうにかなる」との認識で、問題意識が全くありませんでした。
TXが開通したら、沿線11市区の地域間競争が始まることを、認識していなかったのです。
問題や課題を認識されていないと対策も取れません。私が市長就任後、人口動態や推計グラフを職員に作ってもらい、読み込むことで、今後の市政の問題を共有するようにしました。
――税金の使い道として、市長になった当時と今で変化はありますか?
税収は、人口増や2018年に完成した日本最大級の物流センターなどにより、市長就任時の2003年と比べて市民・企業からの税収は8割増えました。
しかし支出も増えてます。高齢者と子どもの急増で、福祉や教育部門の支出が急増しています。この20年で約7倍になり、支出も倍増しています。
――今の子育て政策を続けることで、今後もますます人口が増えるとお考えでしょうか?
現在、約21万2千人ですが、市民が快適に生活するためには、人口の適正規模もあります。市の人口推計では、人口増加のピークは2027年に来る予定です。ただし、国立社会保障・人口問題研究所の推計では24万人と予想されています。
――人口が頭打ちになると空き家の問題などが出てきませんか?
少子高齢化というのは不動産的には買い手市場になるので、土地を分割して小さな家をたくさん作るのは空き家を作るのと同じことになります。
流山市のまちづくりでは、量より質を優先する方針は、20年前から変わっていません。そこでマンションであれば、小さな部屋を300戸作るのではなく、最上階に大きめサイズの部屋、中階層にやや広めの部屋を作るなど専有面積の幅を持たせて作ってもらうように、事業者に協力してもらいながら進めています。
買い手の年齢層を変えることで、一気に同じ年代の人が高齢化せず、むしろ若者から高齢者までが同じコミュニティーで暮らすことができるからです。
また、今後、80代、90代の人が暮らす住宅が、相続物件として出てきます。そうした物件は比較的住環境がよく、広いので、やみくもに土地を分割せず、広い区画のまま市場に出してもらうように地区計画を策定し、若い方々に買ってもらうようにすると、空き家問題を防ぐことができると考えています。
――人口分布の変化でマーケティング戦略も変わりますか?
流山市はこれまで大規模区画整理により売らなければいけない土地があるためマーケティング戦略に基づき情報発信してきましたが、これからはブランディング戦略が鍵となります。流山のブランドである「都心から一番近い森のまち」や、「市民の知恵と力が活きるまち」など市民主体で色々なことができそうなまちだという流山ブランドを浸透させるんです。
流山市に住みたいという人を全国で増やし続け、売却物件が出てきたときに買い手がつけば、流山市に空き家は増えない。
ですから住環境を悪くしないということが大切です。楽しく美しい都市環境を作ること、そしてブランディング戦略を展開することでコミュニティーも地域経済も持続できる。そのために細かい施策にもこだわりながら、取り組みを進めているところです。
――住環境をよくするためには、自然が重要だと思います。ただ宅地開発で沿線などの森が失われ、「都心から一番近い森のまち」なのに森が少ない状況になりつつある点はいかがですか?
私が引っ越してきたときには、TX開通にあたり、沿線の区画整備事業で森が切られることは決まっていました。市長になった後もどうにもできず、私の子どもがカブトムシを採った木も伐採されてしまいました。
ではこの状況で何ができるか。そこで取り組んでいるのが「グリーンチェーン認定制度」です。開発エリアの森や林はそのまま残すことはできない。しかし開発により少しでも緑を回復することは可能と考え、開発事業者に、開発の際に、接道面(沿道など)に緑地帯を設けていただくようお願いすることにしました。
例えば以前はマンション1階分ぐらいの、目隠し程度の高さの木が植えられていたところを、グリーンチェーン認定を受ける場合は5、6階までの高さの木にしてもらうことで、景観をよくしました。
この認定制度の前には、一戸建て、マンションともに木が一本もない開発が多かったのですが、現在では多くの企業などが協力してくれるようになり、18年間で60万本植えられました。建物は経年劣化しますが木々は経年優化します。
この制度は景観価値、環境価値が高まる策として、また、地球温暖化対策として、展開してきました。その結果、資産価値にも影響しているんです。グリーンチェーン認定されている建物は、認定を受けていない建物より中古販売価格が数百万から中には1千万円近く高くなっています。
――今後取り組みたいことは?
子育て政策に戻りますが、これまで保育園に関しては質より量の確保が優先されました。子育て政策が充実しているとはいえど、市民対象の調査で、満足していると感じる人は約7割。子どもはそれぞれ違うので、支援の仕方も異なることから数字が上がりにくいのはわかっているので、今後はきめ細かい支援策を立てていきます。
その一つが、障害のある子どもやその保護者への配慮です。2022年までは保護者が自分で保育園の入園先を見つける必要がありました。保育園によって空き状況や受け入れ態勢が異なるため、保護者が子どもの障害や配慮について直接保育園の担当者に説明し、その内容によって園から受け入れが可能か否かを示されます。
すぐに園が決まれば良いのですが、中には何園も断られることがあります。断られるのが何度も続くと、強いストレスが生じます。
保護者の負担軽減を図るべく、「要配慮児童保育コンシェルジュ」という制度を始めました。行政が保護者と保育園の仲介を行うもので、保護者は市と相談し、その後、市が保育園と相談するという流れです。2024年度から一部開始しています。
また、流山市民を対象に毎年行う調査では、「住み続けたい」と答えた人は91%にのぼっていますが、生きづらさを抱える市民にもきめ細かい施策を実施していきたいと思います。
そして流山市に住んでいてよかった、もっと住み続けたいという数字を増やしていきたいです。「住み続けたい」という人はすでに91%に達しているので、さらに上げていくためには、流山市民で生きづらさを感じている人を減らすため、市民に寄り添う行政を前進させます。そのために流山市はすべての市民に「住み続ける価値」の高い、良質なまちづくりを進めていきます。