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なぜ「大東亜戦争」と呼んだのか 戦没者追悼式で自衛隊が投稿、浮き彫りにした課題

揺れる世界 日本の針路 更新日: 公開日:
硫黄島で行われた日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式
硫黄島で行われた日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式=2023年3月25日、東京都小笠原村の硫黄島、代表撮影

4月8日に再投稿された戦没者慰霊追悼式の投稿=陸上自衛隊第32普通科連隊公式アカウントより​

1941年12月の日米開戦直後、当時の東條英機内閣が「大東亜戦争」という呼称について閣議決定した。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が使用を禁じ、「太平洋戦争」という米側の呼称が日本に広まった。自衛隊内で行われる戦史研究では大東亜戦争という呼称を使うことはあるが、史実を忠実に再現する意図からで、政治的な思惑などは含まれていないという。

組閣、初閣議を終えた後、記者団に囲まれカメラのフラッシュを浴びる東條英機首相。1941年10月に首相に就任。陸相、内相を兼務し、12月の対米開戦を決定した
組閣、初閣議を終えた後、記者団に囲まれカメラのフラッシュを浴びる東條英機首相。1941年10月に首相に就任。陸相、内相を兼務し、12月の対米開戦を決定した=1941年10月18日、東京市麹町区(現・東京都千代田区)永田町の首相官邸、朝日新聞社

日本政府は新たな呼称を正式に定めてこなかったため、戦争の呼称を巡っては様々な意見がある。

「満州事変(1931年)以降、ずっと侵略を続け、最後に米国と衝突した」と考える人々は「アジア・太平洋戦争」と呼ぶ。連続性を強調したい人は「アジア太平洋戦争」と呼ぶ。戦争の開始時期も明治維新(1868年)以降とする人もいるし、終わりを「日本の侵略と関係がある」として、朝鮮戦争やベトナム戦争までと区切る人もいる。

今の世の中にも、全く関心がない人が多い一方、大東亜戦争と呼ぶことに肯定的な意見と否定的な意見がある。

鹿児島県にある知覧特攻平和会館には、この異なった立場の人が訪れ、全く違った理由から同じように感動する。大東亜戦争と呼ぶことを肯定的に受け止める人々は、日本を守るために若い命を散らした人々に感動し、哀悼する。大東亜戦争に否定的な人々は、若い命を散らす結果を生んだ戦争や軍国主義に怒り、同じように哀悼する。

知覧飛行場跡の一角に建つ知覧特攻平和会館
知覧飛行場跡の一角に建つ知覧特攻平和会館=朝日新聞社

大東亜戦争という呼称を使ったことについて、一部では侵略戦争に対する内外の批判を受け止めていないという指摘が出た。逆に大東亜戦争と呼ぶことが、戦没者の慰霊につながると考える人々もいる。

日本の歴史学者だった家永三郎氏がかつて、戦争を繰り返さないためにという文脈で戦死者について「犬死にだった」だったと評論したため、戦死者の遺族会などが反発し、亡くなった人々は無駄死にではなく、国や家族を守るために死んだという主張を強調する意味で、大東亜戦争という言葉を積極的に使うようにもなった。

生前の家永三郎氏
生前の家永三郎氏=1996年12月2日、東京都内の自宅で、朝日新聞社

元陸将の一人は「自衛隊は過去、(大東亜戦争の呼称を肯定的に受け止める)一方の側の人たちとしか付き合ってこなかった」と語る。

遺族会の関係者らも参加する自衛隊協力会や防衛協会の人々は、概して、大東亜戦争と呼ぶ。戦史研究でも大東亜戦争という呼称は使われている。自衛隊員も生死をかける必要がある仕事である以上、自分たちの存在価値を確認しやすい大東亜戦争という呼称を素直に受け入れる。この元陸将は「50代以上の政治的な意識が強い隊員ならいざ知らず、若い世代は戦争の呼び方に論争があることも知らない」と語る。

元海将は「部隊のトップに立つと、部下を危険な場所に送るときがある。そんなとき、わらにもすがる思いで過去の戦史を参考にしたことがあった。でも、我々が参考にするのは戦術や部隊の運用であって、戦争の呼称をどうすべきかではない」と語る。

現役の海佐は「我々は過去、国会答弁に立つことがなかった。下手に政治意識を持つべきではないが、政治的に無関心になりすぎている側面もある」と語る。

問題は、政府・自衛隊が国民の団結を何よりも必要としている状況に置かれているという現実だ。

米国と米軍は現在、中国が台湾に侵攻する事態が2027年に起きる可能性があるとして、様々な準備を進めている。10日の日米首脳会談でも、様々な安全保障協力の強化で合意した。台湾有事の際、戦域が完全に重なると言われている南西諸島など、沖縄県では「防衛力を強化してこそ、中国の侵略を抑止できる」という主張と「防衛力を強化すれば、戦争に巻き込まれる」という主張の対立が先鋭化している。

参院外交防衛委で答弁する木原稔防衛相
参院外交防衛委で答弁する木原稔防衛相=2024年3月21日、朝日新聞社

木原防衛相は11日、南西諸島の防衛力強化の一環として沖縄県うるま市に陸上自衛隊の訓練場を整備する計画を断念すると発表した。木原氏は「住民生活と調和しながら、訓練の所要等を十分に満たすことは不可能と判断した。地元の皆様におわびを申し上げる」と述べ、地元の理解を得られなかったことを明らかにした。

現役の陸佐は「国民に自衛隊に対する不信感を持たれるのは良いことではない。私だったら、先の大戦とか、無難な言い方でおさめておく」と語る。元空将は「国民の理解は、戦ううえでの重要な要素になる。命をかける自衛隊員が戦争を望むはずもない。今回の事件で、国民が自衛隊を誤解したとすれば残念なことだ」と語った。