カリフォルニアのウォルナット・クリークに住むホスピスのスタッフ、ジーン・ウェイスさん(61)は2010年、1歳11カ月のダマリオさん(13)と養子縁組した。
「子どもを育てたかったけれど、母が精神疾患を患っていて苦労したので、その遺伝子を受け継いだ子を産むのが怖かった」
ジーンさんも幼い頃に4人のいとこと暮らした経験があった。「精神的に救われ、前向きなきもちでいられた。大人になったら子どもたちの可能性を引き出すために養子の子どもを愛し、育てたいとずっと思っていた。実の子がいたとしても、養子縁組をしていたと思う」
ジーンさんは養子を紹介してもらいやすい人間になれるようにと、キャリアを積み、10以上の世帯が暮らすコレクティブハウスに住んだ。子育てに協力的な親族も周囲にたくさんいた。
養子縁組を申請して2週間後、ダマリオさんを紹介された。当時は生後11カ月。初めて会ったとき、下半身は動かせず、視力も光と影の見分けがつくくらいだったという。
ダマリオさんは薬物やアルコール依存症の親の元に生まれた。生後、すぐに高齢の里親のもとに預けられていたが、そこでは育児放棄をされていた。ジーンさんは「発達は遅れ、感情も平坦だった」と話す。
法的な手続きを経て、ジーンさんのもとに来ることができたのは1年後。親族や、共同生活を送る仲間は、ダマリオさんを抱きしめ、一緒に歌ったり踊ったり、いろいろなところに連れて行ったりしてくれた。
固形物を食べたことがなかったダマリオさんに、五感を刺激するような食事も作った。「他の子どもたちときょうだいのように育ち、大人たちも喜びや苦しみを分かち合っていた。週に3回、共同スペースに集まってみんなで食事をとるのも楽しみだった」と話す。
ダマリオさんはよく寝て、よく食べ、すくすくと成長していったように見えた。嫌がっていた愛情表現もするようになり、スキンシップを求めるようにもなった。
しかし、一緒に暮らして3年ほど経った頃、感情のコントロールがうまく出来ず、攻撃的になったり暴れたりすることが増えた。様々な医療機関やセラピーなどを受診し、(母親が妊娠中にアルコールを摂取していたことで起こるとされる)胎児性アルコール症候群を患っていたことが分かった。
9歳の頃には、治療薬の副作用で暴力的な行動がますます増えた。2人はやむなくコレクティブハウスを離れ、犬を飼って暮らし始めた。
ジーンさんは「ダマリオには愛していると伝え続けたけれど、私もどうしたらいいか分からなくて感情的になることも多かった。2人でセラピーにも通った。本当につらかった」と振り返る。
今では、ダマリオさんのヒップホップダンスの発表会に行ったり、ダマリオさんが好きなベイエリア高速鉄道「BART」に乗ったり、生活を楽しめている。
休日の朝食は、必ずダマリオさんの好きなフレンチトーストかパンケーキを焼く。ジーンさんは今、ささいなことでダマリオさんと冗談を言い合って笑う時間が何より幸せだと感じる。
ダマリオさんは「自分のトラウマのせいで衝突もたくさんしたけれど、(ジーンさんは)いつも一生懸命理解しようとしてくれた。他の誰とも、これ以上の人生は送れなかったと思う。自分のような荒れている親のもとに生まれた子どものためにも、養子縁組制度は必要だと思う」と話した。
ジーンさんは「養子を考えたとき、子どもたちのほとんどは特別なニーズをもっていることを忘れてはいけない。乗り越えていこうという強い意思が必要。それでも私のようにうまくいかないときがある。そんなときは周りに助けを求めて欲しい」と話す。
「私は子どもをもうけて、安心できる場所が欲しかった。ダマリオからは、思いやり、無償の愛、忍耐、信頼することの大切さを学んだ。自分の人生が何千倍にも深まり、今はこれ以上の喜びはないと感じている」