エバ・モンセン(46)は、飲酒量の頂点と呼ぶ新型コロナウイルスの長くつらいパンデミック(感染症の大流行)の間、ワインを毎日ボトル半分ほど飲み干していた。彼女は、パンデミック以前はあまり酒を飲まなかったが、(パンデミックによる)ロックダウンの期間中とその後は、リラックスしたり緊張を和らげたりするためにグラス数杯のワインに頼るようになった。
そして2022年8月、モンセンの内分泌科医は彼女の糖尿病の治療にオゼンピック(Ozempic)を処方した。すると、彼女によると、たちまち酒を飲みたいという欲求を失った。グラスにワインを注いでも、「少しもうれしさを感じなくなった」と言うのだ。
あの心地良いほろ酔い気分が恋しくなる自分もいた。オゼンピックを服用している時にアルコールを摂取すると、酔っていないのにめまいや吐き気をもよおすようになった。「ほろ酔い気分を味わえなくなったわ」とモンセンは話す。米シアトルに住む彼女は現在、ほとんど酒を飲まない。
オゼンピックがより注目されるようになり、この糖尿病治療薬を適応外のダイエットに使う人が増えるにつれ、多くの患者が(モンセンと)同様の経験を報告していると医師は言っている。この薬の服用を始めると、アルコールを飲みたくなくなるのだ。
「確かに、多くの患者がおおむね肯定的な意味でそう言っているのを聞く」と医師のロバート・ギャベイは言う。彼はアメリカ糖尿病協会(ADA)の最高科学・医務責任者である。
米サンディエゴの博物館で働くティナ・ザールプール(46)は、夕食の支度をしている時、週に数回、ワインをグラスで1杯飲んでいた。しかし、2021年にオゼンピックの有効成分であるセマグルチドを含有する減量薬Wegovy(ウィゴービ)を服用し始めたところ、体がアルコールを「受けつけなくなった」ことに気づいたと彼女は言っている。アルコールを飲もうとしても、飲み切るのに苦労した。「うー、飲みたくない、という感じで」と彼女は言う。
これまでなら誕生日祝いの昼食会にはカクテルを1、2杯楽しんでいたのに、彼女は飲む気分になれなかった。結局、お茶を注文した。「まるで予期していなかった」と彼女はアルコールに対する新たな嫌悪感について語った。だが、断酒の後押しをしてくれたことに感謝しているとも言っていた。
科学者は、ザールプールらになぜこのような副反応が出たのか、解明に取り組んでいる。手がかりがいくつかある。
セマグルチドは、GLP―1(グルカゴン様ペプチド―1)受容体作動薬と呼ばれる薬物のクラス(分類)に属し、満腹感を与えるホルモンを模倣する成分だ。ノースカロライナ大学(UNC)医学部の内分泌学および代謝学の部門主任である博士ジャニス・ジン・ファンによると、セマグルチドはインスリンと血糖値の制御を助け、食欲をコントロールする脳内領域に影響を与える可能性もある。
オゼンピックを服用している人の一部は、以前は楽しんでいた食べ物にさほどワクワクしなくなるか、場合によってはうんざりした感覚になると報告している。なぜこうした反応がアルコールにまで及ぶのかは、はっきりしていない。
過去10年間にわたるGLP―1受容体作動薬とアルコールに関する既存の研究は、ほぼすべて動物が対象で、セマグルチドに類似しているが同一ではない化合物を使って実施されてきた。GLP―1受容体作動薬を投与されたラットやマウス、サルは、その薬を投与されていないものに比べてアルコールの消費量が少なく、アルコール摂取の欲求も少ないことが示された(これらの化学物質やニコチン、オピオイド、コカインなどの薬物が絡む動物実験でも、同じような研究結果が報告されている)。
しかしながら、動物実験による知見は多くの場合、人間には直接転用できないとクリスチャン・ヘンダーショットは指摘する。UNC医学部の精神医学准教授で、セマグルチドがアルコール使用障害のある人の飲酒量にどのくらい影響を与える可能性があるか研究している。だが、患者の体験が動物実験のデータと一致する場合は、「何かをつかんだという合図になる」と彼は言う。
人間を対象に、アルコールとオゼンピックのような薬に関するいくつかの臨床試験が進行中だ。
デンマークの研究者たち(その一部は以前、オゼンピックをつくっている製薬会社「Novo Nordisk〈ノボノルディスク〉」から研究資金を受け取っていた)は最近、アルコール使用障害の患者で、別のGLP―1受容体作動薬を調べた臨床試験の結果を発表した。
この研究は約130人近くを対象に、認知行動セラピーを受けてGLP―1化合物を投与された人たちが、同セラピーを受けプラセボ(訳注=臨床試験用の偽薬)を投与された人たちよりも飲酒量が少ないかどうかを調べた。
どちらのグループもアルコール消費量の減少を示したが、肥満と診断されてGLP―1化合物を投与され同セラピーを受けた患者は、プラセボとセラピーだけの人と比べて飲酒量が劇的に減少した。
研究者はまた、臨床試験対象者の一部について脳をスキャンした画像を調べ、アルコール飲料の写真を見た時に(彼らの脳に)何が起きるかを検査した。
コペンハーゲン大学の精神医学教授で今回の研究論文の共同執筆者Anders Fink―Jensenは、GLP―1化合物を服用した人だと「依存症に関わる脳の領域として点灯する部分が、大きく減少した」と言っている。
オゼンピックのような薬がアルコール消費にどう影響するかを判断するにはもっと研究を深める必要があるが、科学者たちはこれまでの研究結果に励まされていると言う。
「薬物使用障害の新しい治療法が切実に求められている」。ヘンダーショットは、そう指摘する。
オゼンピックを服用する人は、より明確な科学的指針ができるまで、この薬が及ぼす予想外の作用に悩まされることになる。オゼンピックを服用する前に適量しか飲んでいなかった人の中にも、飲酒を避けるようになった人もいる。
オクラホマ州クレイトンに住む73歳のJ・ポール・グレイソンは、いつも冷蔵庫の奥にビールを6本入れていた。ところが、オゼンピックを服用するようになってから3カ月後、外食の時以外はアルコールを買わなくなった。以前は、夕食時にいつもビールを2本飲んでいた。(食卓に)座った時にまず1本。そして、食事の途中にもう1本。しかし今は、最初の1本すらほとんど飲みきれないと言っている。
彼は、薬を服用し始めることで自分の食習慣に変化が起きると期待していた。期待したとおり、脂肪分や糖分の多い食べ物への関心が衰え、食事の量も減った。しかし、アルコールが嫌いになることまでは予期していなかった。
「それには驚かされた」と彼は言い、こう続けた。「これまでの人生で医者に言われたことをすべて、実行したいという気にさせてくれる」(抄訳)
(Dani Blum)Ⓒ2023 The New York Times
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