米陸上男子短距離のトレイボン・ブロメルは、ささいなことでイラついていた。競技場中のファンが待ち構えていたが、控室の本人は準備に手間取っていた。たった数本の安全ピンが見つからなかったからだ。
「競技に集中したかったのに」とブロメルは振り返る。2021年の東京五輪米国代表選考会を兼ねた全米陸上選手権(訳注=オレゴン州ユージーンで2021年6月に開催)でのことだ。ゼッケンをウェアに留める4本の安全ピンを気も狂わんばかりに探さねばならなかった。見つからなければ五輪への出場も消える。「紙一枚ほどの大きさのゼッケンみたいなものが、集中力をそぐ最大の原因になることがあるんだから」といまいましそうに語った。
競技用のゼッケンは選手を識別し、追跡するのに使われる。レース本番の必需品の中の要であり、スポンサー名が入ることから競技会の主な収入源にもなっている。しかし、プロの走者の多くは、ハイテクの粋を集めたウェアを着て出場するのに、なぜそれに着ける大きな紙切れ一枚の重荷を負わされねばならないのか、と首をかしげている。
陸上競技では、タイムを正確に記録することがまず問われ、極めて重要になる。ブロメルは結局、この選考会で100mを0.05秒差で制した。東京五輪に出場できるのは3位までだったが、4位とは0.03秒差だった。
実は、競技用の紙のゼッケンには超広帯域無線のブルートゥース技術を用いた10グラムほどのタグが貼り付けられ、走者の位置を1センチ単位の精度で追跡している。走者間の距離やそれぞれのスピードを計測し、心拍数すら把握できる。この装置は、順位とタイムを正式に決めるゴールでの写真判定に加えて使われている。
ただ、絶対にゼッケンに着いていなければならないということはない。
リストバンドでもよいし、選手のウェアに直接着けたっていい、とコーディ・ブランチはいう。全米陸上競技連盟(USATF)主催の大会で使われるテクノロジーを管理・運営するウィスコンシン州のPrimeTime Timing社で、主要な大会を担当する責任者だ。ただし、その実現には「競技の主催者側とウェア業界との緊密な協力が必要になる」とブランチは指摘し、それさえあれば「可能」と見ている。
USATFでスポーツ科学とデータ分析を担当する上級マネジャーのタイラー・ノーブルも、ゼッケンが必要不可欠のものではないことに同意する。「理論的にはゼッケンなしでも競技会を開けるかって? もちろんさ」といいつつ、こう続けた。「ただ、競技用のゼッケンって、このスポーツの一部みたいになっているからねえ」
感謝祭にあわせて各地で開かれる長距離レースからプロ選手の競技会まで、ゼッケンは開催当日の「儀式用具」の一つとしてすっかりなじんでいる。競技が終われば、トップ選手を含めて多くのランナーが記念品として持ち帰る。
「自分のゼッケンを集めて楽しんでいる」とプロの米女子長距離選手ネル・ロジャスは笑う。そして、観客が名前を叫んで応援してくれるのも、ゼッケンあってのことだと付け加える。選手の姓が書き込まれていることが多いからだ。
マラソンの大会では、ゼッケンは実用性の面からも欠かせない。何千人、何万人もが競い合うので、個々の選手を追跡できる統一的なシステムが必要になる。しかも、使い捨てにできるものがよい。無線自動識別装置がその一例で、コース上に点々と置かれたマットの上を選手が走り抜けることで、その位置が発信されていく。
それでも、今のゼッケンはデザインを改めた方がよいとロジャスは考えている。とくにそのサイズだ。「大きくなるばかりで、スポーツブラより大きくなっちゃったんだから」
選手が全力を出し尽くすことに集中しているときに、ゼッケンは邪魔物以外の何物でもないとマイケル・ジョンソンは首を振る。米代表として五輪の陸上短距離で金メダルを四つ取った彼には、この競技のトップレベルにあるべきプロ意識の欠如を映し出しているようにすら見える。「世界中で最も速く走り、そのための技術にたけている選手たちが、紙一枚を安全ピンで留めて競い合うなんて、アマチュア主義のあしき名残にすぎない」と容赦ない。「安全ピンを接着剤に変えるだけでも、一歩前進だと思うよ」
しかし、ゼッケンの頑強な抵抗力は、大会主催者側にとっての集金力を備えていることに根ざしているのかもしれない。「ゼッケンは、いわばカネを生む不動産のようなもの」とクーパー・ノールトンは例える。米国で競技会を運営するTrials of Milesの創設者だ。「カネを払わずして、いかなるブランドもその名をゼッケンに載せることはできない」
ときに選手たちは、競技中でなくてもゼッケンを着けるよう求められることがある。「世界選手権の表彰台に上がるとき、実際にそういわれた」とジョンソンは話す。最近の(訳注=世界最高峰の陸上競技のリーグ戦の幕開けとして毎年5月に開かれる)ダイヤモンドリーグのカタール・ドーハ大会では、一部の選手たちは記者会見にもゼッケンを着けて現れた。
選手たちは、主催者側から出演料という名目で報酬を得ることもある。ただし、着けているゼッケンのスポンサーからの実入りはないようだ。
これについて、冒頭のブロメルは、しかるべき報酬がスポンサーから選手にも直接支払われるべきだと異を唱える。「自分がカネをもらってもいないスポンサーの宣伝をしてやるなんて、おかしい」
さらに、先のロジャスは、自分には独自のスポンサーがあるのに、別の企業名が入ったゼッケンを着けるのには抵抗がある、と率直に話す。「ナイキが私のスポンサーなのに、ボストンマラソンではライバル社のアディダス一色にされてしまった。ゼッケンに企業名が入っていたからだが、違和感がとても強かった」。だから、この大会の写真のうちゼッケンが写り込んでいるものは、自分のSNSには載せないことにした。
ゼッケンをめぐる心情には濃淡があり、おしなべて同じではないとロジャスも認める。でも、ほとんどの選手が一致していることが、一つある。
「安全ピンだけは、もうやめて」(抄訳)
(Nell Gallogly)Ⓒ2023 The New York Times
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