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女子砲丸投げソーンダーズ選手がハルクのマスクつける理由 ボルトにみたアスリート像

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
砲丸投げのレーベン・ソーンダーズ
砲丸投げのレーベン・ソーンダーズ=2021年1月29日、ドイツ・カールスルーエの室内競技場、DPA/Picture Alliance via Reuters Connect

レーベン・ソーンダーズ(26)は、ウサイン・ボルトが高みに上りつめていくのを間近で見ていた。

女子砲丸投げのソーンダーズ(米国)は、ボルト(ジャマイカ)のようにはなれないことをよく分かっていた。

陸上競技では、右に出る者がこれからもいないだろうといわれるほどの人気を誇り、最もよく知られる選手の一人となったあの男だ。それでも、ソーンダーズはボルトの手法を頭に刻み込んだ。

ボルトは短距離選手として数々の世界記録を打ち立てた。

しかし、陸上競技界では例がないほどの裕福さを築き上げることができたのは、単にその速さのおかげだけではなかった。人を引きつけるカリスマ性。それに、勝利を祝うあの独特なポーズ。これらが相まって、人気と市場価値を生み出した。

A Tim Tebow (L) and Usain Bolt-themed Soul SL300 noise canceling headphones displayed at the opening press event of the Consumer Electronics Show (CES) in Las Vegas January 6, 2013. The headphones retail for $299.00. REUTERS/Steve Marcus (UNITED STATES - Tags: BUSINESS SCIENCE TECHNOLOGY)
ウサイン・ボルトをあしらったヘッドホン(右)=2013年1月6日、米ラスベガス、ロイター

砲丸投げは短距離と違ってテレビに登場することはあまりない。だから、「注目されるには目立つしかないのは明らかだ」とソーンダーズはいう。

「この競技では自分は最高の選手なのに、なぜ画面に映らないのか。映るには、何をすればよいのか」。あれこれ考えることがよくあった、とソーンダーズは振り返る。

2021年の東京五輪。ソーンダーズは髪を紫と緑に染め、(訳注=米コミックのスーパーヒーロー)「超人ハルク」をあしらった緑のマスクをして銀メダルに輝いた。

2位を確定させると、誇らしげに腰を振って踊り、喜びを爆発させた。ハルクの愛称を持つソーンダーズは「腰振りダンスをして五輪のテレビ放映に登場したのは自分だけ。それが気分をいっそう高めてくれた」と語る。

「陸上競技で稼げるお金の出どころは限られている。自分の種目ではなおさらのこと」とソーンダーズ。「自らの個性と競技中の行動が、市場価値を生むことは自覚している。自身の価値は、世界の短距離トップクラスの何人かと同じぐらいはある。『世界の』が大げさなら、少なくとも『米国の』ね」

ソーンダーズは2021年、応用科学・エンジニアリングのレイドス社(米国)とスポンサー契約を結んだ。(訳注=自分のうつ病経験を明かしており)メンタルヘルスの意識について正面から論じるのに、こうした枠組みをよく利用している。

陸上競技の選手が稼ぐには、自分の種目を制するだけではしばしば不十分となる。多くの選手は自分の市場価値も問われることを意識する。勝利の祝い方や髪形、ファッションが独自ブランドを高める要素となる。

ボツワナの男子短距離選手レツィレ・テボゴ(19)も、ボルトの手法を研究した一人だ。2022年8月初め、20歳未満の100メートルで世界記録を出した。9.91秒。陸上競技界に衝撃が走った。

タイムのすごさとともに、フィニッシュのスタイルも目を見張らせた。そのパフォーマンスは、急速に世界に伝わった。

フィニッシュラインまでまだ半分近く。テボゴは、二つ離れたレーンを走っていた2位の選手(ジャマイカ)の方を向いた。指をこきざみに動かしながら、この選手に向かって大声を上げ、残る40メートルを疾走した。2位以下は、引き離されまいと必死だった。

テボゴは、滑るようにラインをかけ抜けた。手をこぶしに握り直し、それを活発に振って勝利を祝った。自分のシャツを掲げ、両手を上げて観客の声援を求めながら、さらに100メートルを走った。

その姿は、世界記録の走りが終わる前から勝利のポーズに入るボルトを連想させた。

大きなレースでは、石のように無表情な顔になる選手が多い。ボルトなら、中継カメラをのぞき込み、自宅でテレビを見ている視聴者に語りかけようとしたり、五輪のボランティアとこぶしを突き合わせてあいさつをしたりするだろう。

勝利を決めると、ボルトは胸を張りながら弓を引くようにして手で空を示した(母国の国旗をまとっていることが多かった)。そして、その勝利のポーズを2022年8月、商標として申請した。

「自分の個性をさらして楽しんだだけ」とボルトはメールで筆者に答えた。とくに指摘したのは、勝利のポーズを最初に披露したときのことだった。2002年の世界ジュニア選手権。200メートルを制し、このパフォーマンスで観客に応えると大きな歓声がわいた。

「みんな楽しもうと思って見にくる。もし、速く走って、勝って、楽しければ、ショーとしてもよりよいものになる」とボルトはいう。

2018年の米経済誌フォーブスの「スポーツ選手長者番付」で、ボルトは45位になった。年収3100万ドルのうち100万ドルを除けば、すべては数十ものスポンサー契約によるものだった。陸上競技から番付に入ったのはボルトだけ。この競技では、年に5千ドルしか稼げない仲間も多い。

シャカリ・リチャードソンは2021年の米五輪代表選考会でスターになった。女子100メートルの準決勝。まだフィニッシュははるか先なのに、長いネイルで時計を指し示し、オレンジ色の髪をなびかせて走った。

決勝も制し、今度は(訳注=インスタグラムなどSNSで話題の)「that girl(その娘)」とは自分だということを世界中に知ってもらいたい、と話題を振りまいた。

FILE — Sha'Carri Richardson wins the women's 100-meter at the U.S. Olympics trials in Eugene, ore., on June 19, 2021. Winning is important when it comes to making a living in the sport. But so is finishing in style. (Chang W. Lee/The New York Times)
東京五輪の米代表選考会で女子100メートルを制したシャカリ・リチャードソン=2021年6月19日、米オレゴン州ユージーン、Chang W. Lee/©The New York Times

しかし、東京五輪への出場はかなわなかった。薬物検査で大麻使用の陽性反応が出たからだ。にもかかわらず、そのスター性がむしろ高まったかのような展開になった。

米スポーツ用品大手ナイキのコマーシャルに出て、自分の思いを表す決まり文句を再び唱えた。「なぜ自分が『THAT GIRL』なのか。みんなに明かす機会が来るのを待っている」と。

さらに、東京五輪が始まる数日前には、ラッパーのカニエ・ウェストが編集した(オーディオブランドの)Beats by Dr. Dreのコマーシャルに出演し、ウェストのアルバムのプロモーションに一役買った。

陸上競技の女子で、トラックを(訳注=ニューヨークのメトロポリタン美術館で毎年開かれるファッションの祭典)メットガラ同然にした最初の一人はフローレンス・グリフィス・ジョイナーだろう。

100メートルと200メートルの世界記録保持者。スタートに着くと、6インチ(15センチ強)もあるカラフルなネイルが目立った。上下のトラックスーツの下は片足しかなく、顔には濃いメイクをしていた。

スポーツとポップカルチャーに与えた影響は大きかった(2018年のハロウィーンで、世界的な歌手ビヨンセはスプリンターに扮した)。触発された選手としては、リチャードソンや(訳注=やはり短距離の)シェリー・アン・フレーザープライス(ジャマイカ)らを挙げることができるだろう。

その中には、米国のタラ・デイビス(23)も入る。東京五輪の女子走り幅跳び決勝で、デイビスはカウボーイハットをかぶり、ゆっくりとカメラの前に歩み出た。帽子に沿って大きくなぞるように指を動かしながらほほ笑むと、カメラに向かってウィンクしたのだった。

Athletics: Olympics, long jump, women, final at Olympic Stadium. Tara Davis from USA reacts.
東京五輪の女子走り幅跳び決勝に出たタラ・デイビス=2021年8月3日、DPA/Picture Alliance

グリフィス・ジョイナーと、やはり米国のブリトニー・リース(訳注=女子走り幅跳びで2012年ロンドン五輪では金、2021年東京五輪で銀を獲得)に刺激され、東京にはパフォーマンスをする気でやってきた。

「これは私たちの仕事でもある。仕事をしようと思えば、メイクアップだってする。競技者なのにメイクをするなんて、変な人たちと思われるかもしれないけれど」とデイビス。「そう、これは仕事。よく見えれば、気分もいい。気分がよければ、やることもうまくいく」

デイビスは、東京五輪では6位に終わった。自分のショーマンシップがもたらすかもしれないお金のことは、「それほど深く考えてはいない」と話す。「いずれにせよ、選手は祝うスタイルも着こなしも、思うように決めればよい。成功すべき者は、成功するのだから」

そして、こう続けるのだった。「みんながどう考えるかをあれこれ気にするのは、もうやめた。そのとき、その瞬間を楽しめれば、それでいいんじゃないの」(抄訳)

(Kris Rhim)©2022 The New York Times

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