8月5日、ロンドンのオリンピック・スタジアムで行われた男子100メートル決勝。5万人を超える観衆を待ち受けていたのは、予想外の結末だった。
大本命のボルトは、スタートの遅れが響き9秒95で3位。優勝は9秒92で駆け抜けた米国のジャスティン・ガトリン。9秒94のクリスチャン・コールマンが2位で続き、米国勢が2001年のカナダ・エドモントン大会以来16年ぶりに1、2位を独占した。「うまく勝利をさらえた」とガトリンは胸を張った。
約10年君臨した「ボルト王朝」の崩壊は、翌日の女子100メートル決勝にも影響した。ボルト敗退を見て、「不可能なことはない」と勇気づけられた米国のトリ・ボウイが、今季自己最高の10秒85で優勝。リオデジャネイロ五輪の金メダリスト、ジャマイカのエレン・トンプソンは5位に沈んだ。
米国が、世界選手権の男女100メートルで金メダルを獲得したのは、05年ヘルシンキ大会以来。ここ約10年はジャマイカ勢のほぼ独壇場だったが、再び威光を示した。ロサンゼルスとソウルの五輪で100メートルを連覇したカール・ルイスは「陸上がさらに発展していくチャンス」とメディアに語り、喜んだ。
100メートルは、かつて米国の「お家芸」だった。男子は世界記録保持者が続出し、1980年代以降、ルイスを筆頭に、シドニー五輪金メダルのモーリス・グリーン、リロイ・バレルら才能の宝庫だった。女子も、薬物疑惑が絶えないとはいえ、ソウル五輪金メダリストで世界記録10秒49を持つフローレンス・ジョイナーら世界を席巻した選手は多数いた。
「絶対的スター」は必要か?
近年も、ガトリンら世界的な選手はそろっていたが、ジャマイカ勢に押され、五輪や世界選手権で金メダルがとれなかった。今夏の世界選手権を制し、リオデジャネイロ五輪で銀メダルに終わった雪辱を果たしたボウイは言う。「いつか自分たち米国の番が来ると信じて耐えていた。ようやく努力が報われる」
米国で次々と陸上選手が育つ背景には、全米大学体育協会(NCAA)の存在もある。大学生たちは主に毎年12月ごろから室内競技の試合に参戦し、3月ごろから屋外競技にも出る。高いレベルで実戦をこなし、技術を磨きつつ自信をつけている。
最たる例が世界選手権100メートル2位の21歳のコールマン。今季は全米の大学の大会二つで4種目を制し、100メートルでは今季世界最高(9月27日時点)の9秒82をマーク。身長175センチ、体重72キロと大きくないが、抜群のスタートダッシュが売りだ。
米プロフットボールリーグ(NFL)のドラフト候補生の選考会でダッシュ力を測る40ヤード(約36メートル)走のタイムは、練習で4秒12をマーク。参考ながらNFLの選考会記録を0秒1上回り、関係者がSNSに投稿すると、知名度が上がった。
ボルトが去り、男子では絶対的なスターがいない。人気衰退を心配する声もあるが、国際陸上競技連盟会長のセバスチャン・コーは、ボクシング界の伝説モハメド・アリを引き合いに、言い切った。「新しいアリは生まれていないが問題は起きていない」。米国の復活は、短距離界の人気を左右するカギの一つ。「陸上王国」の力が試されている。(文中敬称略)