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大谷翔平の「呪い」恐れるエンゼルス? 重なるベーブ・ルースの「バンビーノの呪い」

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投手として試合に出場し、空振りで三振を奪って叫ぶエンゼルスの大谷翔平選手=2021年9月26日、アメリカ・アナハイムのエンゼルスタジアム、加藤諒撮影
投手として試合に出場し、空振りで三振を奪って叫ぶエンゼルスの大谷翔平選手=2021年9月26日、アメリカ・アナハイムのエンゼルスタジアム、加藤諒撮影

野球の神様、ベーブ・ルースの再来――。メジャーリーグ(MLB)のロサンゼルス・エンゼルスに所属する大谷翔平は2021年シーズンの二刀流の活躍でアメリカン・リーグ最優秀選手(MVP)を獲得し、MLB史に残るレジェンドに比類する評価を確立しつつある。

この結果、2年後の2023年オフに大谷がフリーエージェント(FA)を宣言する際に、他球団との激しい争奪戦が繰り広げられるのは必至だ。契約交渉が失敗に終わって、エンゼルスが大谷を放出した場合、ルースの伝説にならって、何十年もチームを苦しめる「大谷の呪い」のジンクスがかけられる恐れもある。 

11月18日、全米野球記者協会(BBWAA)所属の記者による投票で、満票のMVPを獲得した大谷。エンゼルスとの関係は相思相愛とも言われているが、「エンゼルスが彼をコントロールできるのはあと2年」(MLB公式サイト)とされ、その後の大谷争奪戦がどのように繰り広げられるか、すでに注目が高まっている。

今後、エンゼルスを襲いかねない「大谷の呪い」は、ベビーフェイスであったことからルースにつけられた愛称をもとにした「バンビ―ノの呪い」に由来する。27歳の大谷もアメリカ人の感覚にしてみれば、ベビーフェイスに映っており、それも奇妙な一致である。

ベーブ・ルース=1919年、Library of Congress/Wikimedia Commons
ベーブ・ルース=1919年、Library of Congress/Wikimedia Commons

バンビーノの呪いは、東海岸マサチューセッツ州の学術都市、ボストンの野球ファンを1918年から86年間も苦しめた。呪いはいつしかボストン文化の一つとなり、世紀をまたいだ2004年、市内の名所になっていたロングフェロー橋の「呪いを解け」看板が、当時のミット・ロムニー州知事(2012年の共和党大統領候補)によって取り外された際のニュースは世界各国に打電されたほどだ。

MLBファンなら誰もが知るこのジンクスとは一体何なのか。そして「大谷の呪い」がなぜエンゼルスにかけられる可能性があるのだろうか?

MLBのレジェンド、ルースは今からさかのぼること107年前の1914年、19歳でボストン・レッドソックスに入団した。初年度は数試合の出場に止まったが、2年目から才能が開花し、1915年からの3年間は主に投手として活躍。1916年には主力投手として23勝を挙げ、リーグ最優秀防御率を獲得、チームのワールドシリーズ2連覇に貢献した。

ルースは打撃面でも非凡なセンスを見せ、この3年間にも通算打率3割以上の成績を残し、二刀流の素質を存分なく発揮した。そして18年には今季の大谷が果たせなかった「2桁勝利、2桁本塁打」(13勝、11本=本塁打王)を達成し、レッドソックスに再びワールドチャンピオンの称号をもたらしたのである。

成長著しい翌1919年には出場試合も増え、シーズンを通して二刀流の役割をこなした。投手としては15試合に先発出場し、133回1/3を投げて9勝5敗1セーブ、防御率2.97の成績を残した。

一方、野手としても111試合に先発出場し、シーズンの打撃成績は打率.322、本塁打29本(リーグトップ)、打点113点(リーグトップ)だった。

ちなみに今季の大谷は投手として、23試合に先発出場し、130回1/3を投げて、9勝2敗。防御率3.18。打者としては打率.257、本塁打46本、打点100点の記録で、時代による違いはあるが、ルースの1919年の成績に匹敵する。

バンビーノの呪いを招いたのは他でもなくレッドソックスのチーム自身だった。スター選手になったルースとの年俸交渉が失敗に終わり、1919年オフシーズンにあろうこうとかライバルのニューヨーク・ヤンキースにトレードで放出したのである。

1920年シーズンからヤンキースの一員となったルースは二刀流をやめて打者に専念し、「野球の神様」への階段をのぼっていった。ピンストライプユニフォームの背番号3は試合で打ちまくった。1920~1931年の12シーズンで本塁打王10回、打点王5回、最高打率1回の驚異的な成績を残し、ヤンキースは黄金時代を迎えた。そして、ルースが基盤を作ったチームは、その後ワールドシリーズ制覇を27回も果たすMLB随一の人気球団として君臨していくのである。

来日して交流試合に臨む前に練習をするベーブ・ルース。捕手は東京倶楽部の手塚寿恵雄=1934年11月、東京・神宮球場
来日して交流試合に臨む前に練習をするベーブ・ルース。捕手は東京倶楽部の手塚寿恵雄=1934年11月、東京・神宮球場

一方で、ルースを失ったレッドソックスの成績は下降線をたどった。勝率はルースの打率にも及ばない3割台前半の時(1926年は勝率.301)もあり、優勝争いにさえからめないシーズンが何十年も続いた。何度かリーグ優勝をするシーズンはあるものの、ヤンキースの栄光とは裏腹にワールドチャンピオンには決して届かない。いつしかこれは、ルースを放出したことが原因のジンクスなのだと言われるようになった。

ヤンキースのファンは、そんな勝てないレッドソックスをこき下ろした。ホームで対決の時は、「バンビーノの呪い」などとメッセージを書いたルースの写真を掲げたり、ルースのいたレッドソックスが最後にワールドチャンピオンになったシーズンをもじり、「1918!」と叫ぶなどしたりして、揶揄するようになったのだ。

レッドソックスのファンは、市内中心部のチャールズ川に架かり、頻繁に起こる渋滞で多くの人の目に留まるロングフェロー橋の道路標識「Reverse Curve」に落書きし、「Reverse the Curse」(呪いを解け)として、愛するチームの勝利を祈り続けた。

そして、ついに呪いが解かれる時が訪れた。

2004年、リーグ2位のワイルドカードでポストシーズンに勝ち進んだレッドソックスは、ディヴィジョンシリーズで宿敵のヤンキースと対戦。先に3勝を挙げられ、ホームの第4戦も9回裏まで3-4と負けていた。

総立ちのファンが両手で祈りを捧げる中で同点にした後、延長戦で4番、デビッド・オルティーズがサヨナラ本塁打を放って逆転勝利。第5戦以降も奇跡的な勝ち方を演じ、ついに4連勝を果たしてヤンキースを振り切った。

当時、ヤンキースに所属していた松井秀喜もこのジンクスが崩れる瞬間を球場で味わったのだ。

レッドソックスは勢いそのままにワールドシリーズでも4連勝。ポストシーズンでMLB史上初の8連勝という快進撃を遂げ、ついに1918年以来のワールドチャンピオンとなったのだった。名脚本家でも描けない劇的なシナリオに、ロングフェロー橋にかかる「呪い」の看板が取り払われる時、どれだけファンが歓喜したかがわかるだろう。

シーズンMVPで「ベーブ・ルース2世」の称号をほしいままにした大谷は今後のシーズンで、幾度となくルースの成績と比べられることは間違いない。来季も大谷が二刀流を続けて好成績を残せば、年俸はリーグトップレベルへとはね上がり、2年後の2023年オフ、エンゼルスが大谷と契約延長するかどうかは、各チームの勢力図を変えうるMLBの最大のネタの一つとなるだろう。

マリナーズと対戦した2021年のシーズン最終戦、先頭打者として46号本塁打を放つエンゼルスの大谷翔平=2021年10月3日、アメリカ・シアトルのT-モバイルパーク、加藤諒撮影
マリナーズと対戦した2021年のシーズン最終戦、先頭打者として46号本塁打を放つエンゼルスの大谷翔平=2021年10月3日、アメリカ・シアトルのT-モバイルパーク、加藤諒撮影

エンゼルスには2019年3月に当時の北米スポーツ市場最高額となる12年総額4億2650万ドル(485億円、年俸換算だと40.4億円)で契約したマイク・トラウトがいる。エンゼルス生え抜きのトラウトもリーグMVPを通算3度獲得したスター選手だ。

エンゼルスのペリー・ミナシアン・ゼネラルマネージャー(GM)は今季終了後の10月初旬、報道陣の取材に応じ、「We love Sho」(私たちは翔平を愛している)と答えて、契約延長への期待感を示した。しかし、トラウト、大谷の2人の巨額年俸を抱えた際に、他のメンバーのチーム構成のバランスを崩すことになりはしないだろうか?

そして、仮に、他球団が大谷にエンゼルスを上回る契約額を提示した場合、「エンゼルスが好きですし、長くやりたい」と語っている大谷自身が将来のキャリアを踏まえて心変わりし、移籍を志すことはないだろうか?

もし、金満球団のヤンキースに放出してしまい、エンゼルスがその後、低迷することになってしまえば、それこそ、目の肥えたMLBファンは新たな「バンビーノの呪い」つまり、「大谷の呪い」を喧伝することになるだろう。

英語表記するのなら、大谷の愛称「ショー」にならって、「Curse of the Sho」ということか。

大谷は11月15日、日本記者クラブで会見し、「二刀流の元祖ベーブ・ルースと比べられることについて」の記者の質問にこう答えた。

「比較していただけるだけでとても光栄なことというか、もちろん残した数字だけではない方だと思うのでそこが一番凄いのであって。そういうふうになるっていうのが一番選手としてもいつまでも覚えてもらえる選手というのはなかなかいることではないので、そこが選手として目指すべきもののひとつかなと思いますし、そういう方だなっていうことです。実際やっているところを見てるわけではないけど、多くの方が知っているっていうのはすごいことだなと思います」

日本記者クラブで会見するエンゼルスの大谷翔平選手=11月15日、東京都千代田区、加藤諒撮影
日本記者クラブで会見するエンゼルスの大谷翔平選手=11月15日、東京都千代田区、加藤諒撮影

ルースのシーズンを通じたての二刀流は1年しかなく、大谷は今後も投打で活躍すれば、ルースとは違う記録を刻んでいくことになるだろう。

ちなみに1961年に球団が創設されたエンゼルスがワールドシリーズを優勝したのは2002年の一度しかなく、今季までの5年間、勝率5割を突破していない。

個人的には、筆者と同郷の大谷がマンハッタンに移り住み、ピンストライプのユニフォームを着る姿を見てみたい。ヤンキース・スタジアムの記念試合などで、すでに永久欠番となっている背番号3をつけて登場し、スタンディングオベーションで迎えられる光景を夢として抱きたい。

それでこそ、大谷が「ルースの再来」となりうるのだから。

もし、そうなったら呪いをかけられるかもしれないエンゼルスファンのみなさん、ごめんなさい。