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「野球の神様」を見て学ぶ、自由貿易とはそもそも何か

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ニューヨーク・ヤンキースタジアムにあるベーブ・ルースのモニュメント=ロイター(2009年撮影)

国境を越えた自由な貿易が、人々を豊かにするという考えは、今から約200年前、英経済学者デビッド・リカード(17721823)が唱えた「比較優位論」に基づいている。英国の毛織物と、ポルトガルのワインを交換すれば、両方の国に恩恵がある――。リカードは当時、そう説いたと言われている。

偉大な経済学者が唱えた理論なのだから、間違いないとは思うけど、素人にはいまひとつ分かりづらい。そこを分かりやすく説明してくれているのが、2008年にノーベル経済学賞を受賞した米経済学者ポール・クルーグマンだ。彼は、国際経済学の教科書で、「野球の神様」と称された米史上最強の強打者ベーブ・ルース(18951948)の逸話を引き合いに出している。

1915年ごろのベーブ・ルース=ロイター

ルースは、大谷選手と同様にピッチングにも打撃にも非凡な才能を発揮した「二刀流」だった。ボストン・レッドソックスでの新人時代には、6シーズンで89勝をあげ、アメリカンリーグで最も優れた左腕の投手だった。ところが、当時の監督は、ルースの打撃の方が他のチームメートより秀でていると判断し、ルースを投手から外野手に転向させた。その決断が、年間本塁打50本以上が4回、本塁打王が12回という、後の打者としての活躍につながったといわれている。

二つの才能が他の人に比べてピカイチな人でも、自分の中でどちらか優れた方に力を集中させた方が、結果として良いときもある。ルースの場合は打撃の方に特化し、自分よりも劣ってはいるけれど、他の投手たちにピッチングを任せた方が、チーム全体としてはメリットが大きいと監督が判断したのだった。

この理論を貿易に当てはめれば、それぞれの国が得意な産業に特化すれば、競争力が低い産業から高い産業にお金や労働者が流れ、生産性があがって賃金もあがる――というわけだ。この「比較優位」という考えからは後世、多くの経済学者たちに支持されてきた。

パナマ運河近くの港に積まれたコンテナ群=五十嵐大介撮影

自由貿易は実際、消費者にとってもメリットがある。最近、今年発効した日本と欧州連合(EU)との貿易協定にからめて、スーパーなどで欧州産ワインの「還元セール」を目にする人も多いだろう。自国内では手に入らないものが貿易によって安価で手に入るようになって、選択肢が広がる。赤道付近でしか育たないコーヒーや南米産のワインを日本で手頃な値段で楽しめるのは、貿易のおかげといえる。

とはいえ、理想と現実には開きがある。関西国際大学教授(慶応大学名誉教授)の渡辺頼純(国際政治経済論)は、「完全な自由貿易という理想は、教科書の上にしかない。各国がめざしているのは『より自由な貿易』だ」と話す。各国は自国の産業を守るため、多かれ少なかれ「障壁」を設けている。外国産品にかける関税や、国内産業の保護のための政府による補助金などだ。

■自由化への反発も

かつて貿易の自由化が著しく進んだとされる時代が、英国が覇権を握った19世紀だ。「2000年代半ばまでと並ぶ貿易自由化のピークだった。完全な自由貿易を100点とすれば、65点ぐらいまで行った」と、米ピーターソン国際経済研究所のゲリー・ハフバウアーはそう話す。

ただ、貿易の自由化で安い製品が外国から入ってくれば、一部の競争力のない製品をつくる人たちの雇用を減らす悪影響もある。過去数百年にわたり、世界では自由化が進み過ぎることへの反発がしばしば起きた。

1930年、米共和党の大統領フーバーは、当時困窮していた農家を守るため、農産品や工業製品などに幅広い関税をかける「スムート・ホーリー法」に署名した。その後、世界恐慌下で各国に保護主義が広がり、第2次大戦の一因になったとされる。

そうした反省から、各国は戦後、GATT(関税貿易一般協定)のもとで行われた東京ラウンドやウルグアイ・ラウンドなどの多国間貿易交渉の中で関税を下げるなど、より自由な貿易を推進してきた。世界貿易機関(WTO)によると、95年以降、世界の平均的な関税はほぼ半分に下がった。

■急激な新興国の台頭

90年代以降は、インターネットの広がりで通信コストなどが下がった。モノだけでなく、お金やアイデアの動きも飛躍的に増えた。先進国の企業は、自分たちの生産工程の一部を賃金の安い国などに分散し、利益を最大にする動きを加速させた。環太平洋経済連携協定(TPP)などの貿易交渉で、知的財産の保護やデータ流通の自由化などのルールの重要性が増しているのは、こうした企業が事業活動をやりやすくするためだ。

スイス・ジュネーブにある世界貿易機関(WTO)の本部=2月28日

ジュネーブ国際問題高等研究所教授のリチャード・ボールドウィンは、90年代以降に主要国から中国など一部の新興国に所得の「衝撃的なシェアシフト」が起きたと指摘する。産業革命で世界の富がアジアや中東から欧米に移ったのと逆の動きが起きているとして、「大いなる収斂(しゅうれん)」と呼んだ。先進国の富裕層や新興国の人々の所得が大きく伸びる一方、先進国の中・低所得層の所得が伸び悩む状況とも重なる。

ただ、2000年代半ば以降、貿易自由化のとりくみは停滞している。WTOによると、世界のモノの貿易量は、90年代は国内総生産(GDP)の2倍以上の伸びをみせていたが、金融危機以降はGDP並みの伸びに鈍化している。

新興国の台頭とテクノロジーの進化で、さらなる変化が起きつつある。コンサルティング会社マッキンゼーの報告書では、中国などの新興国が輸出より自国で消費するモノの割合が増え、モノの貿易への依存度が世界的に下がっていると指摘。一方で、ソーシャルメディアなど貿易の統計にあらわれないデジタルサービスなどの価値を加味すると、サービス貿易はすでにモノの貿易を超える規模になっているという。

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