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自由貿易礼賛に変化 エコノミストから聞こえる反省の弁

World Now 更新日: 公開日:
ラストベルト(さびついた工業地帯)の典型的な街の一つ、オハイオ州ヤングスタウン。2016年の米大統領選では、両党の候補が何度も訪れた=五十嵐大介撮影

「自由貿易はいいことだ」――。18世紀の偉大な英経済学者アダム・スミスをはじめ、大半の経済学者はそう考えてきた。しかし、トランプに対する批判のよりどころにもなってきた金科玉条は、行き詰まっている。自由貿易は経済全体にはプラスだけれど、恩恵を過大評価してきたのではないか。そんな「反省」が、一部の経済学者たちから聞かれる。

「私たちは何年も自由貿易の恩恵を訴えてきたが、誰も聞いてくれなかった」。昨年12月、世界貿易機関(WTO)本部での講演で、世界銀行チーフエコノミストのピネロピ・ゴールドバーグは嘆いた。「テクノロジーと同様、貿易は一部の地域にとても深刻な影響を与えている。貿易自由化で『勝ち組』と『負け組』がいることを認識し、どうしたら負け組の人を補償できるかを考えるべきだ」

ゴールドバーグはスライドで、ブラジルが1990年代に進めた貿易自由化の前後の、雇用や賃金のグラフを示した。安定して推移していた雇用のグラフは、自由化を境に右肩下がりになっている。ゴールドバーグは「短期的なものだという人もいるだろうが、長期的にみても回復がみえず、むしろ悪化した。ここから示されるメッセージは、従来考えられていた通念とまったく相反する」と話し、貿易の自由化がもたらす負の部分にも光を当てるべきだとの考えを示した。

米ブルッキングス研究所の調査では、米国の労働生産性は1947年以来で4倍以上に増えたにもかかわらず、労働者の給料は3倍ほどしか上がっていない。企業が効率化で得た利益が、労働者に行き渡っていない構図が浮かぶ。

エコノミストの「反省」

米ピュー・リサーチ・センターの2018年の調査では、貿易は「いいこと」と答えた割合は米国で7割超。だが、貿易が「雇用を増やす」と答えた人は、米国で36%、日本では21%にとどまった。

「関税が生んだ街」とも言われるイリノイ州グラニットシティーの住宅街。鉄鋼業の衰退を背景に、1970年代に4万を超えた市の人口は、2万人台に減った。近くのUSスチールの工場では昨年、約2年ぶりに高炉が再開した=五十嵐大介撮影

なぜ、自由貿易の恩恵は受け入れられづらいのか。

米国の中央銀行、連邦準備制度理事会(FRB)の元副議長で、プリンストン大学教授のアラン・ブラインダーは、フォーリン・アフェアーズ誌の寄稿「自由貿易のパラドックス」で、「エコノミストは人々が経済の何に価値を見いだしているかを、基本的に誤解しているかもしれない」と指摘。「消費者が安価な商品よりも実入りの良い雇用を望んでいるのなら、貿易に関する一般的理論で市民を説得することはできない」として、悲観的な見方を示している。

米国の中央銀行、連邦準備制度理事会(FRB)の元副議長で、プリンストン大学教授のアラン・ブラインダー=2018年1月、五十嵐大介撮影

貿易のルール(貿易協定)の決め方に問題があると言う人もいる。「今日のいわゆる『貿易協定』は、食品の安全や薬の入手のしやすさなど、私たちの生活のあらゆるものに影響を与えている。大企業が貿易協定を操ることで、国民の利益を制限していることに、人々は気づいているのです」。米消費者団体パブリック・シチズンの貿易ディレクター、ロリ・ワラックは、そう訴える。

貿易協定に対する批判は、米国では従来、労働組合や環境団体など民主党を支持する左派が訴えてきた。こうした主張に寄り添ったのが、トランプだった。

「政治家はしばしば、貿易自由化を好まない一部の業界の利益を代表していることがある。貿易の恩恵が理解されづらいのは、政治的な問題が大きい」。貿易の歴史に詳しい、米ダートマス大教授のダグラス・アーウィンはそう話す。ワラックの懸念に一定の理解を示したうえで、こう指摘する。「食の安全などの問題について、多くの国は一定のコントロールをしたいと考えている。市場を厳格に開き続けるのか、それとも国の権限で基準に合わないものの輸入を禁止できるようにするか。問題は、この線をどこで引くかだ」

ダートマス大学教授のダグラス・アーウィン=本人提供

これまでの自由化の進め方には、経済学者の中にも批判の声がある。ノーベル賞経済学者でコロンビア大学教授のジョセフ・スティグリッツは、17年の著書で、「米国の企業は、両方の政党を通じて、自分たちに都合の良いグローバル化を推進してきた。それは『自由貿易』と呼ばれたが、実際は企業の利益のために管理された貿易だった」と指摘。トランプの保護主義的な政策は「ひどい欠陥だ」と批判する一方、企業への課税などを通じて「負け組」の人への再配分などをすべきだとしている。

フランスの人類学者のエマニュエル・トッドは、さらに手厳しい。「自由貿易主義者は、関税をすべて取っ払うという完璧な世界を描いている。自由貿易は宗教に近い」としたうえで、「行き過ぎた自由貿易は、社会や国家を壊す。そして、ナショナリズムを生み出す」と話す。

取材を終えて 変わる貿易、広い恩恵を

2016年の米大統領選の時、トランプ支持者が多いラストベルト(さびついた工業地帯)とワシントンを行き来した。そこで目の当たりにしたのは、両者の間に横たわるめまいがするほどの「溝」だった。

「なぜ自由貿易は不人気なのか」。トランプの当選が現実味を帯びるなか、ワシントンの専門家らは、当時からこの問いと格闘していた。「製造業の雇用が減ったのは、自由貿易よりテクノロジーの要因が大きい」「自由貿易による悪影響は、恩恵と比べるとはるかに小さい」。何度も「正論」を訴えたが、彼らもトランプの支持者らが置かれた境遇を、正確に理解しているようには思えなかった。貿易の恩恵は潮の満ち引きのように気づきづらいが、失業などの悪影響は一部の人にピンポイントで打撃を与える面がある。

貿易の障壁をへらすことで国内の競争力がない産業の労働者が新しい産業に移り、生産性が上がって賃金も上がる。政府は職を失った人たちの再訓練を後押しする─。米国はそんな姿を描いたが、政府は安全網づくりを怠った。自由貿易の主導者だった米国は、自らその力を失ったといえる。

戦後続いてきた自由貿易の流れは、強い逆風下にある。米中という異なる秩序間の覇権争いは、安全保障もからみ合い、長期化が予想される。今回の取材で、世界の統合が進み、自由貿易が広がるという楽観論はほとんど聞かれなかった。

それでも、より自由な貿易をめざす意義はあるだろう。各地を訪れ、世界の貿易網がいかに密接につながっているかを改めて痛感した。世界銀行によると、世界の貧困層は過去25年間で10億人以上減った。エチオピアのようなアフリカの国にもさらなる恩恵が広がれば、世界経済への影響も大きい。

アディスアベバ近郊にある、中国企業が開発した東方工業団地。通りの名前も中国名がつけられている=五十嵐大介撮影

ハーバード大教授のダニ・ロドリックは、「行き過ぎたグローバル化、民主主義、国家主権を同時にすべて手にすることは不可能だ」と主張する。中国などの強権的な国家は民主主義を犠牲にできるが、欧米や日本などの民主国家がグローバル化を進めるには、民意の支持が不可欠だ。米国抜きの環太平洋経済連携協定(TPP)をまとめるなど、気づけば日本が自由貿易の「旗手」的存在になっているのも、米国などよりは社会が安定していることがあるといえる。

BMWの工場でみたように、すでに「貿易」の概念が変わりつつある。日本が今年議長をつとめる主要20カ国・地域(G20)の会合では、主戦場となりつつあるデジタル貿易のルールづくりや、大手IT企業への課税などについて話し合う。テクノロジーの進化で、ホワイトカラーの仕事も外国人や機械と奪い合う時代が来るとの予想もある。さらなるグローバル化には、幅広い人に恩恵を行き渡らせるしくみ作りが、今まで以上に求められるだろう。(五十嵐大介)

■エマニュエル・トッド氏はなぜ自由貿易に批判的なのか。彼の思考に迫るインタビュー詳報も読めます。

「自由貿易は民主主義を滅ぼす エマニュエル・トッドが訴える保護貿易」