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「いい教育をしない人はいい研究者とは言えない」東大の副学長が考える大学教員の変革

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東京大学のシンボル、赤門=2021年5月、東京都文京区本郷7丁目
東京大学のシンボル、赤門=2021年5月、東京都文京区本郷7丁目

――新型コロナウイルスの感染拡大に加え、最近では円安も追い打ちをかけ、海外留学のハードルは高くなっています。日本の若い世代の内向き志向も強まっているともいわれます。

私はそれほど感じません。最近の学生は、海外経験がなくても20年前に比べると、ものすごく英語がうまくなっています。東大の場合、帰国枠の入試もありますが、海外在住経験のある学生が一般入試で入ってくるケースも非常に多い。

ある程度、グローバルな基礎をもっていて自分自身でチャンスをつかみ、羽ばたける力を持っています。こうしたトップ層は2割くらいで、多くは留学を希望しています。

私のミッションの一つは、ずっと日本の社会で育った学生でも、同じようにグローバルな経験をするチャンスを与えるということです。そういう学生たちが変われば、大学全体が変わるはずです。そのため、大学では1週間、半年、1年の留学など、たくさんの機会を用意しています。大学本部が交換留学協定を締結している大学は80校以上あり、英語圏だけでなく、中国や韓国をはじめとするアジア圏、中東やヨーロッパの非英語圏もあり、好きなところを選べます。

非英語圏では現地の言葉のみならず、英語による授業も増えています。留学する学生は増加傾向で、コロナが一段落した今、応募数はこれまでにないくらい増えました。とはいっても、年間200人から300人くらい。学部生が1学年3千人で、院生を含めると全体では3万人弱の学生が在籍していることを考えれば、割合は低いですね。

一方、外国人留学生については、大学を卒業したあとに、そうした人たちの価値を日本社会がどのように認識するかという問題があります。

たとえば、海外からきた優秀な学生は卒業後、残念ながら日本に残らない場合が多い。学生のせいではなく、日本語がけっこうできて優れた能力をもっていても、日本の会社で働くかというと、選ばないことが多い。

英語での就活の情報量は少なく、エントリーシートをはじめとする、日本独特の就職活動のシステムについていけません。

また、入社後にどこに配属されるかわからないというのは、海外のスタンダードではありません。「自分はこういうことがしたい」と仕事を探すので、何をするかわからないまま会社に入ることがありません。

同世代が他国では桁違いの給料で即戦力として働いているのに、望まない部署に配属されることに納得して日本で働く人がどれだけいるでしょうか。そこが変わらずに高度人材を育てても、結果的に流出してしまいます。

――2020年、コロナ禍で小学校から大学までが一時期休校となったことをきっかけに、政府内で「秋入学」の導入が議論されましたが、結局実現しませんでした。30年以上、議論が続いていますが、学事暦は留学を難しくする要素の一つです。

たしかに欧米は秋入学が多いですが、韓国やオーストラリアは欧米とも違います。学事暦だけが国際化を阻む理由かといえば、そうではないですが、できるだけ世界と入学時をあわせた方が学生にとっても、私のような国際化を進める立場からも楽なのはたしかです。

ただ、この議論はいろんな意見があります。3月に高校を卒業した後、秋の大学入学まで何をするのかという意見もあるし、秋学期、春学期の半年単位の授業設定にしてしまうと、各学部が組んでいる、1年を要するカリキュラムはどうなるのか、とか。

また4月と10月に学期がスタートするとなると、リソースは2倍かかります。授業担当者を大幅に増やさないといけないし、教室も足りなくなる。そうなると、学びの質が落ちるのでは、と。現状では何かを変えようとしても基本的にリソースは増えないという大前提があるのです。

もう一つは就職活動に影響するという問題があります。大学内の問題だけであればまだ改善の余地はありますが、現在の日本の就職文化では秋入学は難しい。海外留学をためらう学生がいるのも就職活動がひとつの要因です。

秋入学への移行素案を発表する浜田純一・東京大総長(当時)
秋入学への移行素案を発表する浜田純一・東京大総長(当時)=2012年1月、東京・本郷

――米中の緊張が高まり、トランプ政権下で中国人留学生のビザ発給の条件が厳格化され、コロナの影響もあり、米国への中国人留学生は減少しています。

日本でも専攻分野や出身地域などによって条件が厳しいこともありますが、東大では受け入れる学生を国籍で差別することはありません。中国はものすごい優秀な学生が本当に多いですから、ぜひ東大に来てほしい。

一方、もっとほかの国や地域からの留学生にも来てほしい。そうすれば必然的にバランスがとれてきます。たとえば、インドから日本の大学と大学院に入学するのは全体で1600人くらいと言われています。東大でみると、今は100人になっていません。それでは足りないと思います。

インドもそうだし、バングラディシュやインドネシアからももっと多くの留学生にきてもらいたいと思います。

――岸田政権は優秀な大学教員を雇ったり、若手研究者を支援したりして、世界トップクラスの研究者が集う大学をめざそうとしています。日本には世界の研究者をひきつける魅力がありますか。

東大のような国立大学は報酬面で国際競争力がありません。特に理系の場合、研究室のスタートアップ費用などが欧米の一流大学に比べ、ケタがちがい、予算の制約から優れた研究者を獲得する競争では厳しいのが現実です。

また、基本的に学内の使用言語は日本語です。バイリンガル化は東大としての方針ではあるけれども、「言うは易く行うは難(かた)し」です。たとえば、年金など行政書類ひとつとっても、書類はほぼ日本語なわけです。小さなバリアが積み上がり、海外からくる教員は疎外感を覚え、長い期間働いてもらえません。

――「研究力」というと、論文執筆や本の出版、学会発表など研究実績で評価されがちで、学生に対する教育とのバランスで悩む教員は多いようです。

研究と教育は車の両輪であり、いい教育をしない人は最終的にはいい研究者とはいえません。自分の専門を、自分の専門でない学生に教えるということは楽しいことと思わなければならない。

一流の研究者は、学生に考えてもらうためにどうしたらいいか、学生から自分が学ぶにはどうしたらいいかという思考回路をもつべきです。

本人が一生懸命に指導しているつもりでも、十分に指導してもらっていないと思う学生が一定数いれば、何が問題かを考えないといけません。

多くの教員は手探りで、自分の経験をベースに試行錯誤しながらやっているわけですが、教育の質を個人にまかせるのでなく、大学全体のビジョンとして、どういう人材を輩出するために、どんなカリキュラムが必要かと常に問うべきです。

その点でいえば、日本の大学は意識が弱いといえます。米国はプリンストンやハーバードなどの一流大学を訪ねると、学部教育が最も大事だという意識がとても強いことに驚かされます。学部生がノーベル賞級の先生のオフィスドアをオフィスアワーにコンコンとノックし、いつでも気軽に話すことができる環境がちゃんと確保されています。

たとえば、教員をもっとサポートする制度があってもいい。Professor of the Year といった良い教育者を表彰し、教育姿勢に対する評価を積極的にしていく。でないと、結局、論文の数や著書の数が評価の基準に偏ってしまいます。また学生の評価が給与等に反映されるということを考えてもいい。

またアメリカでは、若手の教員の合意のもと、評判のいい教員に授業に入ってもらい、ビデオなどで記録して、あとから一緒に見て「ここはこうしたほうがいい」というアドバイスをもらうという取り組みもあります。

ただ、我々にとって教室は聖域のようなもの。同僚に見られるのは気恥ずかしいし、嫌だという人がほとんどでしょう。

こういう改革は、海外からきている教員が多いと、案外、拒否感が低いんです。多様な人たちが集まると、そもそも考え方が違うのでお互いから学ぼうという姿勢が根底にあるからです。そういう意味でも、外国人教員をはじめ、多様な教員を増やしていかなければなりません。