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パレスチナ難民に将来の展望は…日本人保健局長が語った国連機関UNRWAの存在意義

World Now 更新日: 公開日:
ガザ地区で開かれたイベントに参加したパレスチナ難民キャンプの学生たち=UNRWA提供
ガザ地区で開かれたイベントに参加したパレスチナ難民キャンプの学生たち=UNRWA提供

中東・エルサレム在住の新田朝子です。

2年半前から中東・エルサレムに住んでいて、パレスチナの人たちを取り巻く状況やパレスチナ難民の置かれる状況に関心を持つようになりました。

それがきっかけで、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA、通称アンルワ)で半年間のインターンとして働き、昨年10月からはUNRWA本部の渉外・広報局でコンサルタントとして勤務しています。

UNRWAでは、渉外の仕事に加え、主に日本メディアへの連絡やコーディネート、日本語コンテンツの作成・発信、イベントの企画・運営などが主な仕事です。

実はUNRWAと日本のつながりはとても深く、長いんです。

現在も、12人の日本人がガザ地区、ヨルダン、エルサレム、レバノン、シリアのUNRWAオフィスで働いています。そして、2023年は日本政府がUNRWAに支援を始めて、70年目の年にあたります。

今回、UNRWAに11年間勤務する、日本人医師の清田(せいた)明宏保健局長にパレスチナ難民の置かれた現状、日本が行なってきたUNRWAへの貢献について、ヨルダンで話を聞きました。この記事では現在のパレスチナ難民が置かれた状況を中心にお伝えします。

――UNRWAとはどんな組織ですか。

UNRWAはヨルダン、レバノン、シリア、そしヨルダン川西岸とガザ地区に住むパレスチナ難民の支援と保護を行なっている国連組織です。

UNRWAは、建国を宣言したイスラエルに反発したアラブ諸国との間で勃発した第一次中東戦争(1948~49年)の後、1949年12月8日に採択された国連総会決議により、パレスチナ難民の救済と事業実施を目的として設置され、1950年に活動を始めました。

それから73年、「パレスチナ難民」という一つの難民グループに対し、長期的支援を継続している点においてUNRWAは国連の中でも特徴ある機関です。パレスチナ難民問題が依然、解決されていないため、支援は今や親・子・孫・ひ孫の4世代にわたります。

活動分野は、教育、医療保健、社会保障サービスの提供 、難民キャンプのインフラ整備、環境改善、保護、小規模金融、緊急支援など多岐にわたります。

――UNRWAの存在意義とは何ですか。

UNRWAは、パレスチナ難民が難民である前に、パレスチナ人の一員であるということを守り続けることに貢献してきたと思います。今日までその民族を守り続けることができたことが、まずUNRWAの一番の功績、存在意義と言えるのではないでしょうか。

パレスチナ難民は1948年に難民となりましたが、73年間が経過した今も「難民」である状態が続いていて、パレスチナ問題は解決から程遠い状態にあります。

難民の人たちにとってみれば、世界から、またこの中東の地からでさえも忘れられている問題になっているという思いが強いと思うんですけど、それをずっと支え続けているのが、UNRWAです。

この73年間、UNRWAは、人々に基本的な保健サービスや教育、生活インフラを提供してきました。子供が生まれるとワクチンを打ち、乳児検診を受けることで健やかに成長できて、学校に行くことができます。学校できちんと教育を受けて、高等教育機関へ進学し、社会に貢献して自分たちの生活を作っていく。さらには結婚して子供を授かり、家庭ができて、と大きな一つの輪が続いていっています。

昔のパレスチナの土地から来たパレスチナ人が、自分たちのアイデンティティーを守って子孫につながっているということが、パレスチナ難民にとって一番大きな意味を持つのではないかと思います。

UNRWAの学校に通うパレスチナ難民の子どもたち=UNRWA提供
UNRWAの学校に通うパレスチナ難民の子どもたち=UNRWA提供

――もしUNRWAの支援がなかったら、どうなっていたでしょうか。

パレスチナ難民たちは避難した先で定住したり、さらにどこか遠くへ逃げたりして、雲散霧消していたと思います。

その場合は、約70年の間に自分たちのアイデンティティーも伝統的生活も失われて、消えていたと思うんですね。そういった人たちがいろんなところで散り散りになってしまい、いなくなってしまった、ということを防げたのは、UNRWAがあったからなんじゃないでしょうか。

人道支援は、紛争から逃げた先でその人たちの最低限の生活と命を守るということがものすごく大切なことなんですが、それを最終的にどういう形で終わらせるかということもまた非常に重要です。

その先には、もといた土地に帰るのか、逃げた先で定住するのか、新しい場所に行くのか、いろんなパターンがあり、それは政治的な判断になるけれども、それが決まるまでは、その人たちの支援をすることが国際社会の務めだと思います。その点において、UNRWAは大きな功績を残しているのではないかと考えています。

――現在、パレスチナ難民はどんな状況に置かれているのでしょうか。

紛争が始まって70年以上が経過して、彼らは自分たちがなぜ難民になっているのか、難民生活がこの先どのくらい続くのか、今後どうなるのか、将来の展望が見えません。この現状が良い形で続いているのなら問題はないけれども、どんどん悪化して続いているんです。

パレスチナ難民が自ら解決するという政治的な状況にはないので、全体的にこの状況が続いていくと思います。そのため、彼らにとってはこの難民生活がどういう形で終わるのか、という展望が全く持てない状況です。

それとともに、難民の人たちが避難しているパレスチナ*、シリア、レバノンは過去10年、政治や経済、治安情勢がどんどん悪化しているので、現状の生活を続けることが自体が難しくなってしまっています。

*パレスチナ=1948年のイスラエル建国に伴い、当時のパレスチナ領土に住んでいた人々は故郷を追われることになり現在のパレスチナとされているガザ、ヨルダン川西岸にて難民として生活をしている。イスラエルは現在もパレスチナに入植を進めている。

UNRWA保健局オフィスでのインタビュー風景=2022年12月、ヨルダン・アンマン、UNRWA提供
UNRWA保健局オフィスでのインタビュー風景=2022年12月、ヨルダン・アンマン、UNRWA提供

――パレスチナ難民は将来の展望を全く持てない状況とはどういうことですか?

パレスチナ問題を解決するには、パレスチナとイスラエルが平和裏に共存し、それぞれの首都を定めて、難民の帰還権**を決めることが必要です。

**パレスチナ難民の帰還権=1948年のイスラエル建国やその後の紛争で故郷を追われたパレスチナ難民が、イスラエル領内となった故郷に戻る権利。

パレスチナとイスラエルの二国間解決は、現在は政治的な協議の議題にも本当の意味では上っていない状況です。600万人を超えるパレスチナ難民の帰還権もイスラエル側は認めないだろうし、認められる展望も全くないというのが厳しい状態を作り出しています。

その背景には、イスラエルとパレスチナの経済的格差の拡大や、今までパレスチナを支援してきた中東アラブ諸国の政治的な関心が変わり、パレスチナの相対的、絶対的な重要度が低くなってしまっていることが挙げられると思います。

今のままでは、厳しい言葉で言うならば、状況がよくなる可能性が一つもないのです。

――パレスチナ難民が置かれている状況はどんどん悪化しているということですが、それにUNRWAはどう対応しようとしているのでしょうか。プラスアルファの支援をしたり、働きかけをしたりすることはできるのですか?

UNRWAの仕事は人道支援なので、できることは、厳しい状況の中でも彼らが最低限の生活ができるように保健や社会保障などを続けていくことです。

パレスチナ難民が病気になったら最低限の治療を受けられるし、貧しくなったら最低限の保障を受けられるといったことになります。

清田明宏保健局長とUNRWAスタッフによるヨルダン・ザルカ難民キャンプ内のクリニック訪問の様子=2022年12月、ヨルダン UNRWA提供
清田明宏保健局長とUNRWAスタッフによるヨルダン・ザルカ難民キャンプ内のクリニック訪問の様子=2022年12月、ヨルダン UNRWA提供

それとともに、子供たちの教育もしっかり行うことで、高等教育、大学教育などに向かって将来の展望が開け、彼らが良い仕事が得られるように、UNRWAがパレスチナ難民を支えています。

パレスチナ問題の政治的解決はUNRWAの仕事ではなく、当事国の話し合いや国連の全体の仕事といえます。ただ、UNRWAがきちんと仕事をすることで、この地域の安定につながって、政治的な状況が変わった時に議論ができる状態に備えておくことができます。

そうでなければ、パレスチナ難民のコミュニティーが壊れてしまい、忘れられてしまうので、そういう意味ではUNRWAというのは人道支援をしながら、パレスチナ難民の問題が将来、解決する時まで状態を保っていく役割を果たしています。

――例えば、UNRWAの一つの活動地域であるレバノンでは経済破綻に陥っており、世銀は「レバノンの経済危機は19世紀半ば以降、世界最悪レベルだ」と報告しています。難民であるだけで大変な生活を強いられているのに、避難する国の経済危機により難民にはどのような影響があるのでしょうか?

レバノンでは、情勢が悪化する以前は、UNRWAからの食糧援助、キャッシュアシスタンス(現金支給)はそこまで大規模に行っていなかったのですが、今の厳しい状況では、貧しい人には現物・現金支給をして生活の維持を支援をするということに焦点が移っています。

UNRWA保健局オフィスでのインタビュー風景=2022年12月、ヨルダン・アンマン、UNRWA提供
UNRWA保健局オフィスでのインタビュー風景=2022年12月、ヨルダン・アンマン、UNRWA提供

その中で、医療や教育へのアクセスは保たれているので、元からあるUNRWAの基本的なサービス(クリニックや学校)は続けています。ですが、その支援だけでは足りず、生活が大変なパレスチナ難民の生活資金を援助していくことが現在のUNRWAの対応です。

UNRWAの資金の絶対額が足りないという問題と、レバノンのように通貨の価値が落ちて数年前の10分の1以下になってしまった国では、UNRWAの規模ではサービスが全く足りていないということになります。

私が担当している保健の分野でいえば、レバノン国内のパレスチナ難民は、レバノン政府からの保険のサポートがないため病院へ入院するには100%自費で病院にかからなければいけません。

自費診療になると、日本と同じく患者の負担額が跳ね上がり、なかなかパレスチナ難民が払うことができない状況です。そのためUNRWAが、分娩、骨折治療など入院や専門外来で医療を提供する「第二次医療」では医療費を9割、心臓カテーテルによる治療など、より特殊で先進的な医療を提供する「第三次医療」では6割を負担しています。残りは患者さんに負担してもらいます。

そうすることでパレスチナ難民が病院にかかってもなんとか、自分たちで払えるように財政的保護を行なっています。

問題は、レバノンでは現在、国全体の政治や経済が崩壊しているためにパレスチナ難民も、以前なら払うことができた自己負担分の医療費が払えなくなってしまっていることです。

UNRWAのクリニックで歯科治療を受ける患者の様子=UNRWA提供
UNRWAのクリニックで歯科治療を受ける患者の様子=UNRWA提供

自国の貨幣価値が暴落しているので、輸入品の価格が上昇し、物価が高騰しています。特に医療資材は輸入品が多いため、以前と比べ高騰していて、かつてと比べて10倍以上の医療費がかかるため、とてもじゃないけど払えないという人がかなり多く、入院するかどうかや、病院に行くこと自体をためらったりする人が出てきています。

今後、例えばパレスチナ難民の負担を減らすために、第三次医療のUNRWAの負担割合を現状の6割から9割に上げたり、自己負担の上限額を決めたりできればいいのですが、それには今の資金の4倍くらい必要になるため、今すぐ始めることは難しい現状です。

次回、清田保健局長インタビューの後編では、清田保健局長の専門分野である保健サービスについてや日本が70年にわたり、どのようにUNRWAの活動を支援してきたのか、について、お送りします。

UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)とは〜日本人職員インタビュー〜
UNRWAの公式サイトはこちら
※この記事はUNRWAの寄稿文として新田朝子さんが執筆しました。