皆さんこんにちは。エルサレム在住フリーアナウンサーの新田朝子です。
前回に続き、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA、アンルワ)のインターンの仕事の一環でガザ地区を訪問した際に見聞きしたことを中心にお伝えします。
今回は、現地で支援を続ける日本のNGOの活動やそのニーズについて、つづります。UNRWAや他の国連機関のみならず、ガザ地区で活動するさまざまな団体があります。
1.日本国際ボランティアセンター(JVC)
1980年にインドシナ難民の救援を機に立ち上げられ、40年以上にわたり、世界各地で活動しているNGOです。
問題の根本に取り組むことや現地の人たちと共に考えることを大切にしていて、現在は日本を含む七つの国・地域で活動しています。そのうちの一つがパレスチナのガザ地区です。
ガザ地区では、子供の成長を支えるため、栄養失調の予防・改善、発達や教育の面から支援を行うために、現地のパートナー団体であるNGOと一緒に活動をしています。
ガザ地区で約40人の女性ボランティアを募集して、子どもの栄養や発達に関する研修・トレーニングを実施し、研修を受けた女性たちが地域のお父さんやお母さんに知識や技術を伝えるという活動をしています。
ガザ地区は2007年から続くイスラエルによる封鎖によって、失業率が高く、貧困児状態にある人が多いことを、以前の記事でもお伝えしました。
例えば、栄養状態が良くないお母さんから生まれたために栄養不足になったり、貧困から栄養失調に陥ったりする子どももいるため、JVCによれば、現地の5歳以下の子どもの4割は貧血状態にあるとも言われています。発達・発育不良や骨が十分に育たない「くる病」などになる子どもも多いそうです。
そのため、このような支援を現地の団体と協力しながら続けています。
私がガザを訪問した際に、JVCのパートナー団体であるNGO「アルデルインサン」が運営するガザ市内の病院を訪ねました。
このクリニックは母子保健、主に栄養の分野に特化していて、ガザ地区でも有名です。
そのため、JVCの他にも国連機関や国際NGOなどの約10のパートナー団体と、クリニックや幼稚園などでプログラムを提供しています。
2013年からアルデルインサンで働くラナ・アルウィシャーリーさん(31)に話を伺いました。彼女はガザ地区出身の保健師で、地域の保健促進を担当しています。3人の幼い子供のお母さんでもあります。
ガザの経済状況が悪いために貧困によって十分な食事が取れていない子どもたちを、私たちがサポートしなければならないとラナさんは話します。
そのため、薬や栄養を補うサプリメントなども、基本的には無料かそれに近い価格で提供しているということです。
アルデルインサンは、このクリニック以外にも、ガザ地区のさまざまなエリアで活動を行っていて、地域ごとにボランティアを採用しています。
ラナさんによれば、その理由の一つは、その地域の事情や人たちのことをよく知っている人が必要だということ。二つ目は、地域のボランティアの人たちに研修を通して母子保健や栄養に関する知識を身につけてもらえれば、プロジェクト自体は数年で終わっても、その後もその地域にこの分野のエキスパートが存在することになり、学んだことを地元の人たちに伝えてもらえるからです。
年齢層は20代から60代まで幅広く、若い世代のボランティアの方は主に研修を受けて知識を得ることがモチベーションになっていて、シニア世代の方々は地元の人たちに貢献したいという思いから参加している人も多いようです。
JVCエルサレム事務所に駐在する大澤みずほさんによれば、ボランティアとして働いている人たちは、人の役に立ちたいという強い意志を持っていると言います。
ガザ地区では、大学や大学院を卒業したり、看護師などの資格を持っていたりしてもなかなか働く場を見つけられない現状があります。
特にアラブ特有の家父長制の文化が根強い地域では、女性が社会に出て働きづらい環境もあります。こうしてボランティアとしてスキルを身につけて世の中に貢献することで、家族から尊敬されるようになったという人も多いようです。
ラナさんは、母子の健康を支える仕事にやりがいを感じていると、自信を持って話してくれました。
母親として自分自身や子供のためにもなる上に、自分も母親だからこそ困っているお母さん方を見ると、とても見捨てられない、助けたいという気持ちがモチベーションになっているそうです。
2.パレスチナ子どものキャンペーン
イスラエル建国後、パレスチナ問題に関心を持つ日本人たちによって設立されたNGOです。
パレスチナと、その周辺地域で困難な状況にある子ども、家族、コミュニティーに人道的支援を行い、子どもの権利を擁護して生活向上に貢献するための活動を続けています。
彼らのガザ地区での活動の一つが、障がい者支援です。
ガザ地区で初めてのろう学校「アトファルナろう学校」を1992年に地元の人たちと開校し、支援を続けています。
ガザ地区には、2017年時点の統計で約4万8000人の障がい者がいます。その後の度重なる軍事衝突で、その数はさらに増えていると考えられています。
またガザ地区を含めたパレスチナ自治区全体では、約半数の障がいがある子どもが学校に通っておらず、約40%の障がい者が失業しています。
「パレスチナ子どものキャペーン」の独自の調査によれば、実際にはこれよりはるかに多くの障がい者が仕事に就けていないといいます。
中には、障がいがあることが恥だと本人やその家族がとらえて、なかなか家の外に出られないという人がいるのも現状です。
そこで、ろう学校を設立し、3〜15歳の子どもに勉強を教えたり、職業訓練コースで工芸品や織物、パレスチナ伝統の刺繍、グラフィックデザイン、料理などの多岐にわたる技術を身につける指導をしたりしています。
職業訓練を受ける人たちの様子や、授業中のクラスを見学させてもらうと、子どもたちが気さくに手を振ってくれ、「ありがとう」や「I Love You」を意味する手話をしてくれるなど、歓迎してもらいました。
生徒たちが先生の手話で行われる授業に集中している様子や、活気のある雰囲気が印象に残っています。
私がイスラエル国立ヘブライ大学の大学院でガザ地区で支援を行うNGOについて研究をした際に、ランダムに50人(17〜38歳が対象)のろう学校または職業訓練の卒業生にアンケートを取ったことがあります。
その結果、半数以上がこのコースで学んでよかった、経済的自立をするために学んだことが役に立っていると感じていると答えました。さらに約60%の人が学校や職業訓練のコースに入る前は自身の障害について自己嫌悪感などを抱いていたものの、卒業後は80%以上の人が前向きに捉えられるようになったという回答がありました。
若者の失業率が高いガザ地区では、学校を出たから、職業訓練を受けたからといって全員がすぐに仕事に就けるというわけではありませんが、この学校があることで、就職機会につながるスキルを身につけることと、障害がある人が生き生きと過ごせる社会作りにつながっているのだと感じました。
取材に応じてくれた、アトファルナろう学校の事務局長ナイーム・カバージャさんによれば、毎年200人ほどの職業訓練を受ける人たちがいて、障害の有無に関わらず様々なプログラムを提供しているということです。
ナイームさんによると、ガザ地区は経済的に大変な状況にあり、常に支援のニーズがあります。昨年5月のイスラエルとガザの激しい軍事衝突の際には、緊急支援活動も行い、生徒や家族に情報や食料、生活用品などを配布したそうです。
今回、私はガザ地区を初めて訪問し、UNRWAをはじめとした様々な支援の現場を見ました。日本のNGOをはじめ、様々な国際機関や団体を通してガザへの支援が行われていることを、エルサレムに来るまで知りませんでした。
国連が掲げている開発目標SDGsになぞらえると、平和も貧困対策も産業も、教育も健康福祉など、ガザ地区では支援のニーズは多岐にわたっていて、現時点ではそのニーズが減ることはないということも知りました。もちろん、いつの日か、支援の必要がなくなることが理想かもしれません。
これだけ日本のNGOや機関が献身的な支援を長年にわたり続けているからこそ、ガザの人たちもそのことを認識し、感謝してくれて、私たち日本人の訪問を歓迎してくれるのだと感じました。
そして、厳しい状況下で暮らしている人たちの笑顔や振る舞いに優しさを感じる場面が多々ありました。
また、いつ状況がまた悪くなるか、紛争が起こるかわからないという場所の中で生きる人たちの真の強さも垣間見ることができました。
ガザ地区で出会った人たちが、どうか平穏な毎日を過ごせるようにと願いつつ、またガザ地区に行く機会を作れたらと思います。そしてまたガザの皆さんに笑顔で再会できますように。