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美の巨人・ダビデ像と向き合う保存修復士 レプリカは放火被害も、敵は乱暴な人間

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
ダビデ像の隣に足場が組まれ、足場に立つ人が像の方に手を伸ばしている
ダビデ像の手入れをするアカデミア美術館の保存修復士エレオノーラ・プッチ=2022年11月21日、フィレンツェ、Chiara Negrello/©The New York Times

世界で最も有名な彫像の一つのすぐそばに行って、独り占めできる。そんな仕事を思い浮かべてほしい。間近も間近、像はわがもの同然のようになる。

イタリア・フィレンツェのアカデミア美術館。専属の保存修復士には、そんな特典がある。

エレオノーラ・プッチがその人。仕事はミケランジェロ(訳注=1475~1564)作のダビデ像のほこりや汚れを定期的に取り払うことだ。いささか神経が疲れるものの、とてもやりがいを感じる、とその心境をこのほど語ってくれた。

「ささいな役割かもしれない。でも、ダビデ像の美しさを保つのに貢献できる。だから、私がしているのは世界で最高の仕事」とプッチは胸を張る。「美を後生に伝えることほど素晴らしいものはない」

**EMBARGO: No electronic distribution, Web posting or street sales before MONDAY 03:01 A.M. ET NOV. 28, 2028. No exceptions for any reasons. EMBARGO set by source.** Restorer Eleonora Pucci at work in the Galleria dell'Accademia in Florence, Italy, on Nov. 21, 2022. The dusting of the David is done every two months. (Chiara Negrello/The New York Times)
ダビデ像が立つアカデミア美術館の円形広間=2022年11月21日、フィレンツェ、Chiara Negrello/©The New York Times

2022年11月下旬。月曜の休館日のまだ早い時間に、金属音が館内にこだましていた。ダビデ像が立つ円形広間で、特別な作業チームが高い足場を組む音だ。

組み終わると、細心の注意を払って動かされる。17フィート(5メートル20センチ近く)もあるこの像に、どの方向からでも手が届くようにするためだ。

プッチは、像の巨大な目と目が合うところまで機敏に上った。

ミケランジェロは1501年から1504年にかけて大理石の塊からこの作品を彫り出した。巨大な裸像は古代ギリシャ・ローマ以降では初めてだった。現在の場所には(訳注=ミケランジェロの生誕400周年を前にしてフィレンツェ市内の宮殿前から)1873年に移された。

プッチの仕事は近接撮影から始まる。像の汚れや傷みを確認し、最後の手入れから微細な異物がどれだけ付着したかを調べるには、この方法がより適しているからだ。

その程度は季節によって違う。来館者の数や、どんな服を着ているかによっても変わる。繊維状の極小物質が、ダビデ像の巻き毛に張られた小さなクモの巣にからまったりするからだ。

「よくあること」とプッチはこともなげに話す。だからこそ、作品は絶えずモニターされていなければならない。

撮影が済むと、手入れに移る。

使うのは小さめのブラシ。合成毛が付いているのは、「ほこりを取るのに向いているから」。まず、頭部をやさしくなでるようにしてブラシをかける。細かいほこりが浮き上がると、すぐに小型の掃除機で吸い取る。

彫像や建築物の手入れ専用の特殊な掃除機だ。ストラップを付けて背負う姿は、お化けを捕まえて封じ込めるのに使う映画「ゴーストバスターズ」のプロトンパックを連想させる。

**EMBARGO: No electronic distribution, Web posting or street sales before MONDAY 03:01 A.M. ET NOV. 28, 2028. No exceptions for any reasons. EMBARGO set by source.** Restorer Eleonora Pucci at work in the Galleria dell'Accademia in Florence, Italy, on Nov. 21, 2022. The David is cleaned using a brush with synthetic bristles and a small vacuum cleaner designed for statuary. (Chiara Negrello/The New York Times)
合成毛のブラシを使うアカデミア美術館の保存修復士エレオノーラ・プッチ=2022年11月21日、フィレンツェ、Chiara Negrello/©The New York Times

プッチはじっくりと時間をかける。だから、作業はいつも午前中いっぱいはかかる。照明をあて、弧を描くように手を動かしながらきれいにしていく。石のほおを手の甲でやさしくなでもした。4年近くこの仕事を続け、ミケランジェロとその才能に強く引かれるようになった。

この作業をしていると、石からこれほどの美を創り上げた芸術家に感嘆し、「抑えようもなく心が高ぶることがある」とプッチはいう。

同じ感情は館内にあるミケランジェロ作の四つの奴隷像の手入れでもこみ上げてくる。教皇ユリウスⅡ世(訳注=1443~1513)の霊廟(れいびょう)に設置される予定だったが、未完のままに終わった作品群だ。

「奴隷像にはのみの跡が残っていて、その技法を見ることができる」とプッチ。「そこから彼の精神の営みに入り込める。石の中に閉じ込められていると信じていた形を彫り出すために、大理石にどう取り組んだか。往時をしのぶことができる」

ダビデ像の手入れは年6回ある。ただし、大がかりな形では、2004年の完成500周年の後は行われていない。そのときは最もよい実施方法をめぐって大論争になったいきさつがある。

**EMBARGO: No electronic distribution, Web posting or street sales before MONDAY 03:01 A.M. ET NOV. 28, 2028. No exceptions for any reasons. EMBARGO set by source.** Restorer Eleonora Pucci at work in the Galleria dell'Accademia in Florence, Italy, on Nov. 21, 2022. Pucci described the task of cleaning the David as exhilarating, if somewhat nerve-racking. (Chiara Negrello/The New York Times)
ダビデ像の手入れを続けるアカデミア美術館の保存修復士エレオノーラ・プッチ=2022年11月21日、フィレンツェ、Chiara Negrello/©The New York Times

ダビデ像は特別扱いだとしても、プッチの日常作業のかなりの部分は、館内すべての所蔵品が最高の状態に保たれているかを見定めることにある。絵と木製額縁の反り、塗料の剝離(はくり)、木食い虫の最初の痕跡の有無などに目を凝らす。

所蔵するすべての芸術作品は最新の検査を受けている、と館長のセシリー・ホルバーグは語る。館内の大改装の際に「21世紀にふさわしい美術館にするために」実施された。

この改装は、たまたまコロナ禍によるロックダウンと重なり、来館者に迷惑をかけることもなく館内の空調や電気系統、照明システムを刷新することができた。当初は夜間に工事をする予定だったが、それも避けられた。

おかげで「ダビデ像に競争心を与える」機会を美術館が用意できるようになった、とホルバーグは指摘する。それまでミケランジェロの名作の「脇役」に甘んじていた所蔵品を、もっと目立つように紹介する場ができたからだ。

「すべての作品が正当に評価される、バランスのよい館内展示にしたかった」

イタリアの著名な19世紀の彫刻家ロレンツォ・バルトリーニ(訳注=1777~1850)の石膏(せっこう)原型を集めた展示部門が、2022年9月にオープンした。「フィレンツェの人たちにとって、新たな誇りになったと思う」とホルバーグは話す。

**EMBARGO: No electronic distribution, Web posting or street sales before MONDAY 03:01 A.M. ET NOV. 28, 2028. No exceptions for any reasons. EMBARGO set by source.** Two restorers work on the copy of Michaelangelo's David in Florence's main square, Piazza della Signoria, on Nov. 21, 2022. As the in-house restorer of the Galleria dell'Accademia, Pucci's task is to regularly dust Michelangelo's David. (Chiara Negrello/The New York Times)
フィレンツェ・シニョリーア広場に立つダビデ像のレプリカでは手入れが行われていた=2022年11月21日、Chiara Negrello/©The New York Times

美術館から歩いてすぐのところに、1910年に設置されたダビデ像のレプリカがある。有名なルネサンス期の大聖堂を通り過ぎ、市中心部のシニョリーア広場に行くと立っている。2022年11月には、修復士たちがいつもより大がかりな手入れをした。

レプリカは、ここにあった本体の移設で必要になった。自由と自治の象徴であるダビデ像の制作は、もともとは1501年に当時のフィレンツェ共和国の関係組織が依頼して始まった。しかし、歳月とともに保存上の懸念が高まり、アカデミア美術館が収容先として建てられた。

レプリカの手入れでも、担当者は足場を素早く上って作業を始めた。湿布をはるように、パルプでできたパッドを腕や背中、臀部にあてていく。

無害な化学物質に浸したパッドは汚染物質を取り除いてくれる。さらには、大理石に生えたコケ類や菌類なども退治する。屋外では、像は常にこうした汚れの原因にさらされている。

それだけではない。背後にはフィレンツェの市役所であるベッキオ宮殿(訳注=かつてのフィレンツェ共和国の政庁舎)があるとはいえ、風による侵食にも気をつけねばならない。

手入れ担当の一人リンダ・バルトロッツィによると、きれいにした後でも、必要なら天候による影響を防ぐ物質を施して補修作業をすることにしている。「でも、状態はよいので、今は不要」と見ている。

事件も起きる。ロシアによるウクライナ侵攻に抗議するため、市長のダリオ・ナルデッラがレプリカにまとわせた黒いシートに2022年3月、男が火をつけた。バルトロッツィたちは緊急出動したが、合成材でできているシートが溶け、その跡が像に少し残ってしまった。

屋外にある芸術作品の保守管理事業の責任者で建築家のジョルジョ・カゼッリは、こうした乱暴狼藉(ろうぜき)の類いが一番の大敵だと顔を曇らせる。

「フィレンツェのような街の文化の伝承にとって、おそらく最大の問題は乱暴な人間の存在だ。しかも、そのひどさは目に余るほどになっている」

枚挙にはいとまがない、とカゼッリは憤る。宮殿や博物館などに毎日のように落書きされる名前。噴水を自分専用の浴室にしてしまう観光客。試合があれば、手に負えないサッカーファンも出没する。「これらが目下、最大の脅威だ」

市内にある屋外モニュメントの保守は、事前に組まれた日程に沿ってなされている。ダビデ像のレプリカの場合は、3月の事件にもかかわらず、計画通り11月に実施された。

通常の手入れは、もちろんこの日程には入ってこない。「そっちは、雨もやってくれる」とカゼッリはいうのだった。(抄訳)

(Elisabetta Povoledo)Ⓒ2022 The New York Times

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