レバノンの首都ベイルートの港で大爆発が起きたのは、2020年8月のことだった。芸術の世界も大きな被害を受け、古美術品はがれきとなり、絵画は紙切れのように引き裂かれた。ある大邸宅にあった作者不明の一枚の絵にも、粉々になったガラスの破片や砕けた窓枠の木片が突き刺さった。でも、そこから先は、まるで奇跡が起きたかのようだった。
その絵は、長いこと行方が分からなくなっていた17世紀イタリアの著名な画家アルテミジア・ジェンティレスキの「ヘラクレスとオンファレ」であると、専門家の間で認められるようになった。男性中心の当時の画壇で成功した数少ない女性で、聖書や神話に登場する女性たちを力強く描いたことで知られる。
「これは、アルテミジアの作品に間違いない」。この絵を(訳注=米ロサンゼルスにある)ゲッティ美術館に持ってきた絵画部門の上級学芸員ダビデ・ガスパロットは、こう断言する。作品は今、長期協定のもと、修復と展示のためにこの美術館に貸し出されている。「絵は迫力と説得力に満ちている。その大きさや人物の複雑な配置から、最も野心的な作の一つと思われる」とガスパロットは続ける。
ジェンティレスキ研究の第一人者シーラ・バーカーは実物をまだ見ていないものの、作者の特定については「反対意見がまったく出てこない」と指摘する。もともとはレバノンの芸術家であり、美術史家でもあるグレゴリー・ブチャキヤンが唱え始めた説で、それがいかに有力であるかを物語っている。
「アルテミジアの作品に違いないというお墨付きを美術品市場や研究者から得ようとする試みは、これまでいくつもあった」とバーカーは補足する。「ただし、そんな期待は裏切られることがほとんどだった。ところが、今回はまったく思ってもみなかった地中海の一角から、圧倒されるほどの円熟期の才能を示すこの作品が出てきた」(専門家が作者をファーストネームで呼ぶのは、やはり画家だった父オラツィオ・ジェンティレスキと区別するためだ)
バーカーによると、現存するジェンティレスキの作品は「ヘラクレスとオンファレ」を加えれば61点になる。
ジェンティレスキは男性の向こうを張って活躍しただけに、(訳注=女性解放運動が盛んだった)1970年代からはフェミニズムの英雄のようにも見られてきた。とくにその作品「ジュディスによるホロフェルネスの斬首」は有名で、一部では作者が17歳のときに強姦されたことへの復讐(ふくしゅう)を創造的に描いたともいわれている。
「ヘラクレスとオンファレ」では、作者は多くの遊び心を込めながら男女の社会的な役割を逆転させている。古典神話では、題名にある2人は恋に落ちる。ただし、英雄ヘラクレスは、神々の王ジュピターによってリディアの女王オンファレの奴隷になる刑罰を宣告されている。
6×8フィート(約1.83×2.44メートル)超もあるこの大作では、優雅に着飾ったオンファレが、ヘラクレスを見下すように立っている。そのヘラクレスが手にするのは、いつものこん棒ではなく、(訳注=女性の役割を象徴する)糸を紡ぐ道具。着衣が乱れ、半裸になっているのも男性で、あえて男女の社会的関係にひねりを入れる意図が浮かんでいる。
この絵は、長らく作者不詳の17世紀の作品としてベイルートの大邸宅「スルソーク宮殿」の壁にかかっていた。それをジェンティレスキ作としたのは、先のブチャキヤンだ。ベイルートの大爆発事故からほどなく、英・芸術誌「アポロ」で自説を発表した。その数年前にブチャキヤンは、仏ソルボンヌ大学でこの絵について院生として研究していた。
近くにかかっていたより小さな作品についても、彼は同一作家による「マグダラのマリア」と特定。こちらはイタリアで展示されている。
バーカーに招かれたオンラインプレゼンテーションで、ブチャキヤンはどう作者を特定したかを説明した。主な根拠にしたのは、ジェンティレスキ作と分かっている作品との筆致の比較で、その主張には説得力があった。例えば、ヘラクレスのポーズ。さらに、カメオのブローチや真珠の粒のイヤリングのあしらいにも注目したという。
文献も調べた。ヘラクレスが描かれた同じような大きさのジェンティレスキの作品については、(訳注=スペインの貴族で外交官の)アロンソ・デ・カルデナスのナポリに関連した資料集に1699年の記録が残っていた。
鋭い観察に基づくブチャキヤンの分析は納得のゆくものだった、とバーカーは評価する。とくに、宝飾類への詳細で独創的なアプローチは、ジェンティレスキの顕著な特徴の一つだと自分も考えている。
「彼女はしばしば宝飾類を描くのに創意を尽くし、その描写法をそれまでになかった新機軸とでもいうべきレベルに昇華させていた。それでいて、当時の趣向をはみ出すようなことは決してなかった」とバーカーは解説する。そしてジェンティレスキの祖父が、有能な宝飾デザイナーであったことにも触れる。フィレンツェの実質的な支配者として君臨したメディチ家が大公となった際に、最初の冠を創るほどの腕前だった。
ジェンティレスキ作品の制作年代を特定するのは、なかなかやっかいだ。それでも、先のゲッティ美術館のガスパロットは、爆発で傷んだこの絵についてはナポリ時代(訳注=1630年に移住したとされる)の作と考えている。
「彼女の経歴の中では、ブラックホールのように不明なところが多い時期で、さして重要ではないとされ、あまり注意も払われてこなかった」。その上でこの大作は、1630年代半ばに描かれた可能性が最も高いと見ている。同じ作者による「バテシバの水浴」「ロトとその娘たち」と筆遣いがよく似ているからだ。それは、ブチャキヤンが指摘したことでもある。
目下の最大の問題はその傷み方のひどさだ。ヘラクレスの膝の部分は、20インチ(51センチ近く)も裂けている。現在はゲッティ美術館にある修復アトリエの画架の上に置かれているが、多くの穴や裂け目から光が漏れ、まるでスイスチーズのようだ。脇にあるびんは、取り除いたガラス片でいっぱいだ。
美術館では、絵画部門の保存修復チームが作業に入ったばかりだ。歯の大きさほどもあるいくつものガラスの破片は、取り出すのにかなりの手間がかかった。それが終わると、カンバスの裏側をきちんと張り替え、裂け目や絵の具の欠損を直さねばならない。
絵の表面には、五つの印が付けられている。化学成分を調べるために、顔料を採取するところだ。その結果からは、制作の過程が明らかになるかもしれない。さらに、X線解析もする。絵の構図をいじったか否かが分かるだろう。
何よりも、絵の表面を覆っているワニス(訳注=本来は光沢のある透明で硬い被膜)を取り去らねばならない。何世紀もの間に変色しており、とっくに実施されていなければならなかったクリーニング作業だ。「この絵はアルテミジアの力作ながら、もう何世代にもわたって展示に耐えうるだけの状況にはなかった」と修復責任者は語る。
この絵の所有者であるロデリック・スルソーク・コクレーンとの貸し出し協定によると、ゲッティ美術館はスルソーク宮殿の修理が済むまで修復の終わった「ヘラクレスとオンファレ」を展示することができる。スルソーク・コクレーンは大爆発があるまで家族とともに自宅の宮殿で暮らしており、ここをいずれ一般公開できるようにしたいと考えている。今のところは、4、5年でそこまでこぎつけられることを望んでいる。
「まるでハリケーンかトルネードが、すべての部屋を押し開けたようだった」とベイルートにいたスルソーク・コクレーンは電話取材に答えた。少なくとも200人が犠牲になったこの爆発で母も負傷し、間もなく亡くなった。98歳だった。
当初は、この絵をイタリアで直そうとした。しかし、ゲッティ美術館から21年9月に接触があり、方針を変えた。今は、絵が戻ってくるのを楽しみにしている。ただし、「すぐに手元に置く必要はない。この国は政治の上でも、治安の上でも安全ではないからだ。受け入れ環境が、十分には整っていない」。
ガスパロットは、絵の修復を済ませて24年の早い時期までに展示できるようになることを期待している。場所は、同じ作者による「ルクレティア」の隣になりそうだ。美術館が21年に購入したもので、制作年代はこの絵より早い。
こちらの絵は、素晴らしいクリーム色の肌をした高貴な女性の肖像画だ(訳注=古代ローマの貞淑な女性で、強姦されたことを夫らに打ち明けた後に自殺したとされる)。
そこには、短剣で自分の胸を刺そうとする瞬間が描かれている。(抄訳)
(Jori Finkel)Ⓒ2022 The New York Times
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