支援を阻む「言葉の壁」
カフェや花屋、多国籍料理の店などが軒を連ねるパリ11区の一角。10月の朝、「BAINS-DOUCHES」の看板を掲げた施設を訪ねると、近くで暮らす路上生活者が次々と集まっていた。
直訳すると「お風呂とシャワー」。市が管理しており、1、2階には、誰でも無料で使えるシャワーブースが並ぶ。木製の扉を開いてブースに入ると手荷物が置けるほどの小さな棚が一つ。その奥の1畳ほどのスペースで温かいシャワーを浴びることができる。利用時間は1人1回20分まで。ブースは全部で50ほどあるが、時折順番待ちになるぐらい、利用者が集まっていた。
歯磨きをしていたコートジボワール出身という男性は「こういう場所が近くにあって良かった。お金を払う必要がなく、面倒な手続きもせずに使えて、とても助かっている」と話し、街に繰り出していった。
この施設のように、パリ市内には路上生活を余儀なくされている難民や移民はもちろん、誰でも使える支援施設が各地にあり、市のホームページなどでも公表されている。しかし、そうした情報にアクセスできず、支援の網からこぼれ落ちてしまう人がいるのが実態だ。
大きな壁となっているのが言語だ。ほとんどの情報はまずはフランス語で提供されているが、入国したばかりの難民や移民にはフランス語が話せない人も多い。
絵文字という伝達手段
言葉の壁をどうやったら乗り越えられるのか。今年3月、難民支援のNGOなどが中心となってあるプロジェクトが始まった。カギになるのは、日本人にもおなじみの「絵文字」だ。
「例えば空腹だということを伝えたい時、パスタなど料理の絵文字を送れば、何か食べたいということを伝えられます。具合が悪い表情の絵文字を使えば、自分の状態を伝えることができます。それで伝わるのかって? 絵文字は国際的な『言語』になっていますから」
パリに拠点を置く難民支援団体ワティザットのコーディネーター、テア・ドログレスさんはそう話す。支援現場での経験から、難民や移民であっても、ほとんどの人がスマートフォンを持っていることに目を付けた。「(身ぶり手ぶりが使えない離れた所にいる相手であっても)スマホと絵文字を使えば何に困っているのか伝えることができるのでは」と考えた。
欧州の他、中東やアフリカでも広く使われているSNSアプリ「WhatsApp」(ワッツアップ)に、専用のページを開設。そこへつながるQRコードは、ビラを作って路上生活者に配ったり、難民などが多い地区に貼り出したりした。このビラでも文字の使用を最小限にし、見て分かるデザインにしたという。
ページを開くと、まずシャワーやズボン、体温計を口にくわえた顔などの絵文字と「?」が出てくる。困りごとに関する絵文字を一つ入力すると、位置情報を頼りに最寄りの支援施設を紹介し、地図で距離やルートまで案内してくれる。アプリには身分証明書がなくても緊急時に診察してくれる病院や、衣服の提供場所など、すでにパリ市内の約30カ所が登録されている。
「『情報へのアクセスは基本的人権である』という考えから私たちのNGOは設立されました」と話すドログレスさん。これまでも難民向けの支援情報を冊子にまとめ、配布してきた。言語の違いによって得られる情報に格差がないよう、難民たちの多くが話すアラビア語やパシュトー語、ダーリ語、そして今年からはウクライナ語などにも翻訳。ボランティアの学生たちが情報を日々直接確認しながら更新してきた。そうした活動を続けるなかで、あることに気が付いたという。
「難民の中には、たとえ母語であっても、書き言葉が分からない人もいる。どうしたら情報へのアクセスをより簡単にできるか。そう考えると、異なる言語の話し手でも、理解し、共感しあえるという点で絵文字の可能性は大きい」
難民支援の長い実績がある国内最大の支援団体フランス・テール・ダジルの協力を得たほか、アプリの設計や運用では情報通信会社などがボランティアで手伝ってくれ、絵文字プロジェクトは進められた。利用者からのアクセスは月平均400件ほど。まだそれほど多くはないかもしれないが、「重要なのは、どこに困っている人がいるかを見つけ、その後の継続的な支援へと結びつけること」とドログレスさんは力を込める。言葉に壁がある難民は流動性が高く、パリから他の都市へとすぐに移動することも多いという。
今後は、パリ郊外の支援施設にも対応できるようアプリの対応地域を広げたり、女性や性的少数者など特有のニーズがある人にもきめ細かく対応したりできるよう、システムの改善にも乗り出していく計画だ。
「助けを求めている難民たちと接する上で、言葉の壁を越えて共感できるというのはとても基本的なことです。絵文字プロジェクトとは、まさに共感についてのプロジェクトなのです」