「フランスワインは多様」
フランスは原産地統制呼称(AOC)制度でブドウ栽培やワイン醸造の方法を規制している。イタリアやスペインにも似た制度がある。AOCは、規定の土地と条件でワインがつくられたことを証明する。偽物が出回っていたころ、つくり手がブランドを守るために求めた。
AOCの下では、新技術の拙速な導入は禁じられている。自然と生産哲学から外れた手法でつくったワインは、ある種の偽物だ。
グローバル化が進み、耳慣れない国のワインが流通していて、中にはすばらしいものもある。ただ、フランスワインは栽培地ごとのテロワール(風土の特徴)に根ざし、絵の具を乗せたパレットのような多様性がある。この点が、平凡なものでは満足しない消費者のニーズに合っている。
ブドウは年によって出来不出来の差が激しいが、新世界では毎年それなりのワインができる。質の安定のためにつくり方を変えるからだ。決まった手法を守るフランスではワインの出来にも差が出る。それがフランスワインだ。
世界中のワインを点数化するロバート・パーカーの手法は、消費者に指標を示すという意味では悪いことではない。ただ、人によって受け止め方が異なるワインを一つの価値観に基づいて序列化する試みには、大きな危険がともなう。(聞き手・国末憲人)
科学技術も不可欠
「ハーラン・エステート」は、ブドウの栽培に適したカリフォルニア・ナパバレーで「最高の芸術作品」ともいえるワインを育ててきた。ワインづくりは18歳のころからの夢で、単においしいというだけではなく、飲んだ人たちが「がんばって働こう」と思えるようなワインをめざしている。
(米国を含む)新世界のワインといえば、多くの人が10ドルか20ドルくらい(1000円前後)のものを想像し、素晴らしいワインといえばフランスのものを思い浮かべるだろう。
フランスには私たちより何百年も長いワインづくりの歴史がある。だが、「最高の芸術作品」をつくるには自然条件だけでなく、科学技術も必要だ。「生まれか、育ちか」ではなく、ある時期は土地の力がワインを生み、ある時期は技術によって成長を遂げていく、というサイクルを歴史は繰り返している。
そもそも、こうしたワインの世界は非常に複雑なので、人それぞれに違った感じ方や評価があること自体、まったく悪いことではない。
我々のクライアントの中でも、言葉で表現されたワインの評価を好む人と、点数による評価だけを追い求める人がいて、その間には隔たりを感じる。二つの手法のメリットを組み合わせてワインを評価するのが現実的ではないだろうか。(聞き手・梶原みずほ)
欧州はしたたかだ
土地の特徴を大切にするフランスなどのワインと、新技術を駆使した新世界のワインの違いは、つくり手というより消費者の問題だろう。ブルゴーニュの特別な土地のワインをほしがる買い手は、感覚を研ぎ澄まして土地のメッセージを受け取ろうとする。
もちろん、よい土地を求める意識は、新世界のつくり手にもあり、その土地ならではのワインが増えている。ボルドーより出来のいいことも少なくない。アフリカでもモザンビークからケニアまで、あらゆる国でワインづくりに取り組む人々がいる。ワインはロマンあふれる夢であり、友愛と健康、安定した暮らしを象徴する文化なのだ。
ただ、新世界の生産者は多すぎる。次々に登場するワイン名になじめない人々は、ボルドーの有名シャトーを選ぶ。新世界ワインに押されていたフランスワインが自信を取り戻している。
フランスやイタリアはしたたかだ。新世界の新技術を巧みに取り入れ、質の向上に努めている。その結果、ワイン全体の質が押し上げられるのは喜ばしい。
ロバート・パーカーは、消費者の立場から世界のワインを評価しようとした。だが、彼の採点結果は消費者が活用するのではなく、「このワインはパーカー90点です」と売り文句に使われている。ワインの評価を単純化したことが問題点だろう。(聞き手・国末憲人)