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久保田徹さんは禁錮10年で収監 ミャンマーはジャーナリストにとって世界一危険

ニューヨークタイムズ 世界の話題
ヘルメット、ゴーグル、マスク姿でカメラを手に歩くジャーナリストたち
ヤンゴン近くでの抗議行動を取材するジャーナリストたち=2021年2月18日、©The New York Times

15歳の記者はミャンマーでゲリラ戦闘員と会うため、携帯電話からデータを削除し、ギターも荷物に詰め込んだ。楽器は彼女がジャーナリストであることを隠すための道具であり、データを消したのは身柄を拘束された時に情報源を守るためだった。

彼女は戦闘員へのあいさつに、ギターを取り出して古いビルマ音楽「The Sound of the Crane(鶴の音)」をかき鳴らした。

安全だとわかると、インタビューを始め、終わったらすぐ録音を携帯電話の隠しフォルダーに収めた。「取材に出かける度に、逮捕されるのではないかといつも考えてしまう」とカウンは言う。

彼女はビルマ語文芸誌「Oway(オーウェイ)」で働いている。この記事を書くために本紙がインタビューしたミャンマーの他のジャーナリスト同様、カウンも(本名の代わりに)筆名を使うことを条件にインタビューに応じてくれた。軍事政権当局の反応を恐れるからだ。

ミャンマーは今や、ジャーナリストにとって世界で最も危険な場所の一つになっている。ミャンマーは今年初めて、中国を抜いて、記者が最も多く刑務所に送られる国になろうとしている。擁護団体「Detained Myanmar Journalists Group(身柄拘束されたミャンマーのジャーナリスト集団)」によると、57人の記者が刑務所に収容されている。さまざまな権利擁護団体の集計によると、中国では少なくとも51人のジャーナリストが投獄されている。

昨年のクーデターで軍が権力を握ってからわずか2週間後、ミャンマーの軍事政権は刑法に「505A条項」と呼ばれる新たな条文をつくった。「恐怖を引き起こす」コメントを発表することや「虚偽のニュース」を拡散することを犯罪とする条項だ。

「Myanmar Now(ミャンマー・ナウ)」や「DVB」「Khit Thit(キット・ティット)」「7Days(セブン・デイズ)」「Mizzima(ミジマ)」など、ミャンマーで最も知られた調査報道メディアのいくつかは免許を取り消された。何百人ものジャーナリストが国外に逃れた。オーウェイの記者たちは最後に残った自由な報道機関の一つだ。

「ペンで銃と闘うのは容易なことではないけど、闘い続ける必要がある」とアウンセットは言う。22歳のオーウェイの編集長で、筆名を使うことを条件に話してくれた。

ヤンゴン大学で政治学を学ぶ3年生のアウンセットは、軍が505A条項で逮捕状を出して以来、身を隠してきた。彼の仲間の一人はオーウェイの印刷を担当していたが、軍のクーデターに抗議していた時、兵士に撃たれ殺された。

軍が権力を掌握して以来、ジャーナリスト140人以上が逮捕された。

その大半が505A条項に関連する容疑だ。独立したジャーナリストたちは、もはや安全にカメラやノートを持ち出せなくなった。3人の記者が兵士に殺害された。そのうちの一人は昨年12月、ヤンゴンで無言の抗議を取材していたフォトジャーナリストで、勾留中に拷問を受け殺された。

軍事政権は9月、BBC(英国放送協会)で働いていたフリーランスのテレビ司会者テトテトカインに重労働を伴う懲役6年の刑を言い渡した。彼女の報道は「扇動と違法な連想」に相当すると言うのだ。また、取り締まり対象はミャンマー人の記者に限られたわけではない。

— EMBARGO: NO ELECTRONIC DISTRIBUTION, WEB POSTING OR STREET SALES BEFORE 3 A.M. ET ON WED. OCT. 12, 2022. NO EXCEPTIONS FOR ANY REASONS —  FILE — Journalists on a motorbike head toward to the site of protest crackdowns on the outskirts of Yangon, Myanmar on March 14, 2021. Myanmar is now one of the world's most dangerous places for journalists after the army seized power in a coup last year. (The New York Times)
ミャンマー最大都市ヤンゴン郊外で、軍政当局が抗議行動を弾圧した現場にバイクで向かうジャーナリスト=2021年3月14日、©The New York Times

軍事法廷は10月、日本人のドキュメンタリー映像作家、久保田徹(26)に2度にわたって禁錮刑判決を下した。刑期は計10年(訳注=扇動罪などで7年、出入国管理法違反の罪で3年)に上る。ミャンマー・ナウに寄稿した米国人ジャーナリストのダニー・フェンスターには11年の禁錮刑が言い渡されていた。その3日後、米国の元外交官ビル・リチャードソンが動いて釈放されたが。

「軍政はミャンマーの独立したジャーナリズムを事実上、非合法化した」と、ジャーナリスト保護委員会(CPJ)の東南アジア上級代表ショーン・クリスピンは指摘する。

ミャンマーのメディアはかつて、独立を享受しているかにみえた。同国の元大統領テインセインは2011年に検閲法を廃止した。国の開放と、民主主義への移行に向けた広範なプログラムの一環だった。創造的な表現が花開いた。数十の新聞が創刊された。

以前の軍政下で働き政府に批判的だったジャーナリストたちは地下での活動を余儀なくされたが、拷問の報告はまれだった。それがクーデター後、一変した。21年3月、オンラインで発行している「Kamayut Media(カマユート・メディア)」の編集長ネーサンマウンと共同創設者ハンタルニェインも、軍事政権によって一斉検挙された数十人のジャーナリストの中にいた。

ニューヨーク・タイムズとのインタビューで、ネーサンマウンは14日間目隠しされ、手錠をかけられて顔と腹部を殴られたと語った。その後、ネーサンマウンによると、同じ監房に入れられていたハンタルニェインは、兵士から携帯電話のパスコードを教えなければレイプすると脅され、屈するまでの2、3時間、氷の塊の上にひざまずかされたと話していた。

ミャンマー生まれで米国市民のネーサンマウンは、3カ月以上拘束された後、突然釈放された。彼は現在、米国に戻っているが、ハンタルニェインはまだミャンマーの刑務所に入れられている。

「2012年の開放以来のメディア環境下で見られた大きな進展を考えれば、壊滅的な状況になっている」とクリスピンは言う。「すべてがかき消されてしまった」

オーウェイは若者の話題や政治に関する報道に特化した隔週刊誌で、スト中の食品配達労働者たちの横顔や軍内部の人員減といった問題の特集記事を組んでいる。同誌記者の大半が20代と30代だ。

この雑誌は1936年、英国の植民地支配に対する反対闘争を支持した主な組織の一つだったヤンゴン大学(訳注=当時はラングーン大学)の学生組合が創刊した。歴代編集長の一人が(今日の)ミャンマーを英国からの独立へ導いたアウンサン。アウンサンスーチーの父だ。スーチーは昨年のクーデターで拘束され、計26年の禁錮を言い渡されたが、裁判はなおも継続中だ。

クーデター後、カウンは学校を中退し、抗議活動に加わって、ある記者からインタビューを受けた後、ジャーナリストになりたいと思った。オーウェイに寄稿する他の記者たち同様、カウンはミャンマー北西部サガイン地方の中央部のような場所ではまだ印刷版を配ることができるとわかっていたのでオーウェイを選んだという。サガイン地方中央部は、軍政当局が情報の拡散を阻止するためインターネットを遮断している。

「ジャーナリズムで、私は声なき人びとの声を代弁できると信じている」とカウンは言う。「まさに今こそ、私は見たことすべてを書きたい。この国ではすべてが不正だから」

彼女にジャーナリズムの基礎を教えた一人がムラットチャウトゥだ。彼はミャンマーで暴力的な迫害を受けているイスラム教徒の少数民族ロヒンギャの本拠地ラカイン州のような地点から報道するフリーランスのジャーナリストとしてスキルを磨いてきた。クーデター後、離反した陸軍大尉への最初のインタビューに成功した。その記事は拡散された。

ムラットチャウトゥは、兵士が彼を捜しにアパートへ来たと隣人から警告を受けた後、国を去った。サルウィン川沿いの国境の村に隠れ、その後、森に入った彼と仲間のジャーナリストは最後に(隣国の)タイへ入国を果たし、ドイツ、スペインへとたどり着いた。軍は7月、ムラットチャウトゥの所在情報を寄せた者に報酬を与えると発表した。

ムラットチャウトゥは現在、亡命した他のジャーナリストたちに思いを寄せることに多くの時間を割いている。「本当は闘いの場にいたいと思っているので、少し罪悪感を持っている」と彼は言い、こう続けた。「今、私はスペインにいるので何もできない。唯一できるのは、現場の兵士に語りかけることぐらいだ」。

そして、こう語った。「それでは十分じゃないんだ」(抄訳)

(Sui―Lee Wee)©2022 The New York Times

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