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台湾と断交し、中国と国交結んだ日本…50年後の変化と不変 武見敬三議員の提言

World Now 更新日: 公開日:
台湾周辺の海域を観察する中国海軍兵
台湾周辺の海域を観察する中国海軍兵=8月5日、新華社。視線の先にあるのは台湾軍艦で、奥にみえる白い建造物が台湾・花蓮の海岸線とみられている

インタビューに応じる武見敬三参院議員
インタビューに応じる武見敬三参院議員=2021年12月、東京都千代田区、福田直之撮影

武見氏の父で日本医師会長を務めた武見太郎氏は同じ新潟出身ということもあり、田中角栄元首相と親交があった。田中氏は時折、武見氏の自宅を訪ねた。

ある日、武見太郎氏との面談が終わった田中氏が、当時大学院生だった武見敬三氏を応接間に呼んだ。

武見氏は当時、「日中国交正常化と自民党」という修士論文を書くなど、日中関係に興味を持っていた。

田中氏は武見氏に対し、日中関係などについて雑談した後、こうつぶやいた。

「ロッキードのコーチャン証言なあ、あれはニクソンにやられたんだよ」

コーチャン氏はロッキード社(当時、現ロッキード・マーチン社)副会長だった人物。同社が全日本空輸にトライスター機を売り込むため、田中氏に贈賄工作を行ったと証言したことで知られる。

田中氏はつぶやいた後、まずいことを話したという表情になり、「これは外では言うなよ」と念を押したという。

田中氏は1972年9月29日の日中共同声明に立ち会った。

日中国交正常化の契機は、1971年7月のキッシンジャー米大統領補佐官の極秘訪中とそれに続く、1972年2月のニクソン米大統領訪中だった。

日中国交正常化交渉を終え、上海を訪問する田中角栄首相と周恩来首相
日中国交正常化交渉を終え、上海を訪問する田中角栄首相(左)と周恩来首相=1972年9月29日、中国・上海市宴会庁、首相訪中同行特派員団

米中国交正常化は日本よりも遅れ、1979年1月に実現した。武見氏はこう指摘する。

「日中国交正常化は、中ソ封じ込めから中ソ離間への米戦略の変化を受け、日本が主権国家として進めた独自外交でした。米国は、対中関係で先行した日本に対し、台湾との関係をないがしろにするのではないかという懸念を持っていました」

田中氏の「ニクソンにやられた」という発言は、対中関係を巡る田中氏とニクソン氏の間の微妙な人間関係が根底にあったのではないか――。武見氏はそう考える。

武見氏は修士論文で、日中国交正常化当時の中国による巧妙な政治工作を解き明かした。

武見氏によれば、中国は佐藤栄作内閣との国交正常化をあきらめ、次の内閣との交渉を考えた。中国は、中間派閥の三木派に目を付け、三木武夫元首相を1972年7月の自民党総裁選の直前に中国に招待した。

三木氏は当時、日中国交正常化とともに日華平和条約の廃案を主張していた。三木氏は帰国後、総裁選で田中派と大平派、三木派の3派協定を結ぶにあたり、「新政権は中国を唯一の合法政府として国交正常化交渉を行う」という文言を入れることを主張した。

総裁選で勝利した田中氏はただちに訪中し、日中国交正常化を実現した。武見氏は「中国は自民党の派閥抗争を利用したのです」と語る。

それから半世紀。武見氏は「前半期は鄧小平氏が推進した改革開放路線が進み、党内には中国がアジアで近隣諸国と協調する国になっていくだろうという期待感が広がっていました」と語る。

自民党は政府による対中国円借款を支援した。1989年6月に起きた天安門事件では、主要7カ国(G7)のなかで、率先して中国の国際社会復帰を唱える日本政府の外交方針を支持した。

ところが、中国の国力が増大するにつれ、自民党内のこうした雰囲気は徐々に怪しくなっていった。1998年夏、中国の海洋調査船が東シナ海の中間線を越え、日本の排他的経済水域(EEZ)内で調査を始めた。

2000年代に入ると、尖閣諸島領海への中国漁船や海警局公船などの侵入も相次いだ。2010年には国内総生産(GDP)で中国は日本を追い抜いた。一方台湾では1996年、民主的な方法で総統選挙が行われ、民主化が進んだ。日本の政界との関係も深まった。

沖縄・尖閣諸島の周辺海域で、中国海警局所属の船を警戒する海上保安庁の巡視船
沖縄・尖閣諸島の周辺海域で、中国海警局所属の船(奥)を警戒する海上保安庁の巡視船=同庁提供

武見氏によれば、日本では自民党だけが参加している日華議員懇談会の同議員数は265人に上る。逆に、超党派の日中友好議員連盟に参加する自民党議員は110人ちょっとまでに落ち込んだ。

両方に参加している武見氏は「20世紀には圧倒的に数が多かった日中議連に参加する自民党議員の数は、この20年間で激減しました」と語る。

現在の自民党は、台湾との友好親善関係の維持のほか、台湾有事に備えた防衛協力の必要性を唱える議員も増えている。

日本は昨年、台湾での新型コロナウイルスの流行を受け、計400万回分近くのアストラゼネカ製ワクチンを台湾に支援した。

これに対し、安倍晋三政権が習近平中国国家主席の国賓訪問を決めると、反発する声が上がった。最近は、日中で首脳会談や外相会談を開くことにも懐疑的な声を上げる議員が少なくない。

武見氏は「中国の圧力が高まれば高まるほど、自民党内で、台湾との関係を緊密にするべきだという意見が強くなる構図です」と語る。

武見氏によれば、自民党内の親台湾派にも2種類あるという。

「一つは、教条的に中国との対立を煽り立てる人々、もう一つは、中国とも協調することで台湾との実務関係をより安定させようと考える人々です。私は後者ですが、中国が力による現状変更を進めるほど、前者の人々の数が増え続けています。中国が話し合いで協調した国になるとはとても思えないからでしょう」

一方、中国も50年前のように、積極的に自民党に働きかけることはしなくなっている。

「中国にとって、日本の重要性が著しく下がっているからです。中国は台湾を孤立させ、併合しようと狙っています。日本が、中台関係の現状維持を目指す動きをすれば、反発しますが、積極的に懐柔しようとは考えていません」

日中国交正常化から半世紀が過ぎ、日本では戦前生まれの政治家が姿を消した。武見氏は言う。

「中国に申し訳ないことをしたので、何とか中国の発展に力を貸したいという思いを持つ議員もいなくなりました」

そのうえで、この半世紀で変わった点が二つ、変わらなかった点が一つあると語る。

「変わったのは、中国の著しい国力の強大化と、台湾の民主化です。変わらなかったのは、台湾の戦略的重要性です。中国の膨張政策が強まれば強まるほど、台湾の価値は上がっていきます」

このため、中国と台湾の関係は必然的に緊張に向かうしかないと、武見氏はみている。

「今、日本の政治家がやるべきことは、台湾の民主主義体制を守り、中国の力による現状変更を阻止することです。そのためには、日本の防衛力を更に徹底して強化し、中国の脅威に対抗することはもちろん、中国が協調する隣国になるよう日中協力も同時に強化していくべきです」