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「私たち中絶しました」女性たちの訴えが変えたドイツ 中絶と緊急避妊薬の議論を考える

ニッポンあれやこれや ~“日独ハーフ”サンドラの視点~ 
Liudmila Chernetska/iStock / Getty Images Plus

9月20日、フランスのブロン保健相は「アフターピル(緊急避妊薬)を全ての年齢の女性が医師の処方箋がなくても無料で入手できるようにする」と発表しました。またブロン保健相は「米国の連邦最高裁が今年6月に中絶を選ぶ権利を女性に認めた判例を覆したこと」にも触れ、「自分の身体に関する自己決定という女性の本質的な権利は尊重されなければいけない」との見解を示しました。

ドイツでは20153月からアフターピル(緊急避妊薬)を医師の処方箋がなくても薬局で入手できますが、無料ではありません。

日本でアフターピルを手に入れるためには、医師の処方箋が必要です。一昨年、NHKのニュース番組がアフターピルについて取り上げた際に、日本産婦人科医会の前田津紀夫副会長が「(緊急避妊薬を薬局で買えるようになると)「じゃあ、次も使えばいいや」という安易な考えに流れてしまうことを心配している」「日本では若い女性に対する性教育、避妊も含めて、ちゃんと教育してあげられる場があまりにも少ない」とコメントしたことが、その後SNSなどで「なぜ男性への性教育を怠って、すべてを女性に担わせるのか」「望まない妊娠は女性だけの責任じゃない」と議論が巻き起こったことがありました。

「女性の意思」だけでは中絶できないドイツ

冒頭の「アフターピル(緊急避妊薬)」の事例だけを見ると、「海外の方が、産むか産まないかについて女性に決定権がある」と思いそうですが、「中絶」については、欧米では昔も今もハードルの高い国が多いのです。

今年6月にアメリカの連邦最高裁判所が「最高裁が1973年に人工妊娠中絶の権利を認めた判断」を覆したことが世界で波紋を呼んだことは記憶に新しいです。民主党幹部のペロシ下院議長はその直後に「アメリカの女性たちは今日、自分の母親よりも自由が制限されている」とツイートしています。

フランスでは今年の2月に「それまで12週目までしか許されていなかった中絶が14週目までに延長された」という動きがありました。2016年まで、フランスでは女性が中絶について相談をしてから実際に手術を受けるまでに7日間の考慮期間が義務づけられており、中絶はハードルが高いものとなっていました。

ドイツではかつて中絶が禁じられていましたが、196070年代にフェミニストで著述家のアリス・シュヴァルツァーを中心とした「女性たちの闘い」によって、1976年にようやく「条件つき」ではあるものの中絶の権利を勝ち取りました。

現在のドイツでは通常国が指定している相談機関でカウンセリングを受け、その後3日間の考慮期間を設けた後であれば、妊娠12週目まで中絶が可能です。つまりドイツでは女性に「中絶をする選択肢」はありますが、それはあくまでも「条件つき」であり、完全に女性だけの意志で選べる環境ではありません。選択の段階で「国」や「医療機関」が介入するのです。

欧米諸国で中絶にまつわる厳しい規定があるのは、キリスト教の国が多く、基本的に「中絶は殺人である」と考えられてきたからです。

ドイツを代表するフェミニスト、シュヴァルツァー氏の功績

その価値観を大きく変えたのが、前述のシュヴァルツァーです。

ドイツの著名なフェミニストで作家のアリス・シュヴァルツァー氏=2022年3月3日、ロイター

1942年生まれのシュヴァルツァーは、1960年代に女性解放運動(MLF)が盛り上がりを見せていたフランスに渡り、現地の大学で社会学と心理学を学びます。パリでシモーヌ・ド・ボーヴォワールなどのフランスの知識人との交流を深めたシュヴァルツァーは現地で女性解放運動に参加するようになりました。

当時のフランスでは、中絶が非合法であったことから「レイプされた未成年の少女が非合法の中絶手術を受け、母親とともに起訴される」など悲惨な事例が相次いでいました。

そんな中、197145日号の週刊誌「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」で、女性らが「私たちは中絶手術を受けました」と告白したのです。同誌には「署名する勇気のあるフランス人女性343人の一覧」として「343人のマニフェスト」が掲載されましたが、このマニフェストを起案したのがシモーヌ・ド・ボーヴォワールです。女性たちを応援する人も多く、政治が動いたことで数年後の1975年にフランスで中絶が合法化されました。

「私たちは中絶しました」顔を出して明かした女性たち

雑誌での掲載がフランスの世論を大きく動かしたことを目の当たりにしたシュヴァルツァーは、同様のことをドイツでもできないかと考え、ドイツで中絶の経験のある女性の動員を開始しました。

そして「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌の発売から2か月が経った1971年66日号のドイツの週刊誌「シュテルン」に、「(中絶を禁止する)ドイツ刑法典第218条の改正を求める請願書」が「女性374人の署名入り」で掲載されました。

表紙には28人の女性の顔写真が並び、真ん中に”Wir haben abgetrieben(和訳「私たちは中絶しました!」と書かれています。中絶が犯罪であった当時のドイツでこれは衝撃的なことでした。

前術の通り、当時のドイツの法律「刑法典第218条」で妊娠中絶は犯罪であり、手術をした女性は1年以下の自由刑または罰金刑となる可能性がありました。シュテルン誌に載った請願書の署名者の女性の一部には、「堕胎罪の容疑」で家宅捜査が入っています。

しかし結果的にシュテルン誌に載った女性の誰一人として起訴されることはありませんでした。世論の後押しを受け、シュヴァルツァーは中絶の自由化を求めるために複数の街頭デモを企画し、女性らの署名をドイツの法務省に提出しました。女性たちの“Mein Bauch gehört mir(和訳「私のお腹は私のもの!」)のスローガンのもと、ムーブメントは止まることはありませんでした。

その結果、刑法典第218条は一部改正され、「公的機関の面談を受けること」などの「条件つき」ではあるものの1976年に中絶が可能となりました。

1970年代や80年代には保守的な層から強い批判を受けることも多かったシュヴァルツアーですが、同氏が女性の地位向上に一役買ったことは近年ドイツの政府も認めており、2005年に「ドイツ連邦共和国功労勲章」(Verdienstkreuz 1.Klasse des Verdienstordens der Bundesrepublik Deutschland)を受章しています。

中絶に反対する人に言いたいこと

世界には宗教上の理由などから保守層を中心に「中絶に反対をする人」が多くいます。筆者の知人の女性にもそういった考え方の人がいます。彼女はこう言います。「女性の身体は妊娠すると、自分の一人のものではない。なぜならそこには既に新たな命があるから。そしてその命にも生きる権利がある」「子供がほしくない女性と男性はそもそも(子供を)作らないように前もって考えるべきだと思う。命は命。一人で相手に何も言わずに勝手に中絶するのはおかしいと思う」と。

筆者は前半の「命(胎児)にも生きる権利はある」には共感できるものの、後半は同意できなかったため、こう反論しました。「世の中の妊娠のすべてが、男女の合意のもとで行われた性行為の結果だと考えるのは、全く現実的ではない。戦場でレイプされて妊娠する女性もいれば、平時であっても見知らぬ男にレイプされ妊娠する女性もいる。さらにいうと、夫婦間のDVの結果妊娠する女性もいる。ドイツでは1997年から夫婦間のレイプも犯罪である」

しかし知人は、たとえお腹の子の父親がレイプ犯であっても、生まれてくる子供に罪はないと話し、筆者もまた「女性の人権」に言及して反論し、話は平行線をたどりました。

自分が望まない性行為をさせられた女性が妊娠した場合、最も嫌う相手の子供を10か月も自分の体内に宿し、出産をすることを「よし」とする風潮について、筆者はどう考えても「女性の気持ちや人権」を無視しているようにしか思えません。

ただ筆者も「男女が互いの合意のもと、娯楽のみを追求して避妊をしないまま性行為をした結果、女性が妊娠した」という軽はずみな行動の結果として中絶を考えることには反対の立場です。

中絶に反対する人に忘れてほしくないのは、地球上のすべての人間が「双方の合意のある性行為をしているわけではない」ということです。ところが中絶を選ぶ女性の話になると、世間では「女性が自分の意志で性行為をして、妊娠をした」という前提で語られることが少なくありません。なるべく多くの人が「正しい前提」を共有することで、防げる誤解もあるのではないでしょうか。