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死んだと思っていた娘 69年ぶりの再会を実現させたDNA検査

ニューヨークタイムズ 世界の話題
出産後すぐに「死別」したはずだったが、69年ぶりに再会を果たした母ジュネビーブ・ピューリントンさん(88)=右=と娘のコニー・ムールトループさん(69)=Connie Moultroup via The New York Times/©2018 The New York Times。DNA鑑定による血縁探しを娘が申し込んだことが、涙の再会につながった
出産後すぐに「死別」したはずだったが、69年ぶりに再会を果たした母ジュネビーブ・ピューリントンさん(88)=右=と娘のコニー・ムールトループさん(69)=Connie Moultroup via The New York Times/©2018 The New York Times。DNA鑑定による血縁探しを娘が申し込んだことが、涙の再会につながった

コニー・ムールトループ(69)は2018年12月、米フロリダ州タンパで初めて実の母ジュネビーブ・ピューリントン(88)と会った。

母は、産後すぐに「娘は亡くなった」と聞かされた。しかし、実際には南カリフォルニアの夫婦が、ひそかに養子に迎えていた。70年近くも続いた「死別」のベールを取り払ったのは、DNA鑑定による血縁探しだった。

コニーは、バーモント州リッチモンドのマッサージ療法士。「会ったら、すぐにお母さんだと分かった」と話す。

抱き合うと、母は自分をじっと見つめてこう言った。「死んではいなかったのね」

2人とも、声をあげて泣いた。「こんなにうれしいことはない」と母は言ってくれた。

再会は、遺伝子で家系を探るサイト「Ancestry.com」のDNA検査をコニーが受けたことから始まった。

それがここまでたどり着いたことについて、著名な遺伝子系譜学者で「The DNA Detectives(DNAの探偵たち)」の設立者でもあるシーシー・ムーアは、「決してまれな事例ではない」と指摘する。「かつては悪質で冷酷な営利目的の仲介人が、あちこちにいた。法を犯して母子を引き裂いても、ばれはしないと信じていた」

ジュネビーブの場合は――故郷のインディアナ州ラポートにいたときに妊娠した。18歳。未婚だった。女の子なら、「マーガレット・アン」と名付けることにしていた。小児マヒを患っていた、大好きな高校の先生の名前だった。

コニーも、そう聞かされると、母の気持ちがよく分かった。「なにごとにもめげない、強い子になってほしいという願いが込められていた。おかげでその『マーガレット・アン』は、強い子になった」と自らを重ね合わせた。

1949年5月12日、出産。同州ゲーリーの病院に、一人で入院していた。しかし、赤ちゃんを見ることは、一度もなかった。「女の子だったが、死んでしまった」と告げられた。状況を問いただしたり、死亡診断書を見せるよう求めたりすることもなかった。「一人で出産した18歳の小娘には、思いつきようもなかった」

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乳児だったころのコニーさん=Connie Moultroup via The New York Times/©2018 The New York Times

戦後の米国では、73年に連邦最高裁判所が妊娠中絶を認めるまで、数え切れぬほど多くの若い女性が、生まれた赤ちゃんと無理やり引き離されていた。詳細は、アン・フェスラー著「The Girls Who Went Away(いなくなった少女たち)」に描かれている。赤ちゃんを奪い去られた女性の一人は、「これを境に、自分の人生に紀元前と紀元後ができたような気持ちになった」と証言している。

ジュネビーブは、出産した病院の名前は忘れてしまった。コニーが入手した養子縁組の関係書類によると、カトリック系の「St. Mary's Mercy Hospital(聖マリア慈悲病院)」で、今はもう存在していない。

この関係書類は、コニーがカリフォルニア州ロサンゼルス郡の少年裁判所から入手した。養子縁組を仲介したのは、出産した病院の医師となっており、母の署名もあった。

確かに、ジュネビーブには、書類にサインした記憶はある。しかし、自分が死んだり、娘を育てられなくなったりしたときのために、あらかじめ用意する文書の類いといったような覚えしかなく、具体的になんの書類なのかはまったく知らずにいた。

娘と再会するまで、ジュネビーブはこの世に近縁者はもういないと思っていた。両親と8人のきょうだいは、みな亡くなっていた。存命の子供も、「いなかった」。

一方のコニーは、自分の出自については、「友人の、そのまた友人の子」と養父母から聞かされていた。ただ、もっと小さなときは、「病院の通路を何度も行き来して私を見つけ、一緒に連れて帰った」と説明されたこともあった。

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幼いコニーさんを抱く養父=Connie Moultroup via The New York Times/©2018 The New York Times

そして、実母と再会した。まるで、鏡を見ているようだった。

「それまで、血縁者は娘1人と孫2人の3人しかいないと思って人生を過ごしてきた。3人とも、自分とはあまり似ていなかった。でも、母は違った。神秘の世界すら感じた」とコニーは振り返る。

母と娘は、外見が似ているだけではなかった。二人とも料理と編み物が好きだった。娘は、34年も看護師として働いたが、母も看護師を夢見た時期があった。

その母は、結局は資格を取る高等教育を受ける機会に恵まれなかった。妊娠していることが目立ち始めると、高校に通うのをやめ、出産した日に卒業証書を郵便で受け取った。コニーの実父が結婚したことも知るようになった。

出産後は両親と絶縁し、1950年にフロリダに移った。料理人になり、姉妹の一人の子供たちを育てるのを手伝った。その間に子宮の摘出手術を受け、自分の子を授かることはなかった。

「当時は、未婚で身ごもった女性や婚外子に対する厳しい偏見があった」と養子縁組の全米組織「National Council for Adoptions」の副会長ライアン・ハンロンは指摘する。だから、秘密に包まれた養子縁組が多かった。「それが、今では逆になっている」

ハンロンによると、現在の養子縁組の90%以上は、実親などの情報を開示した「開かれた縁組」だ。制度的にも、「閉ざされた縁組」はしにくくなった。養子になった人が、生まれたときの実際の出生関連書類を見ることができるよう、法を改正した州が増えたからだ。

加えて、今回のように民間のDNA鑑定をもとに血縁関係を調べようとする人は、今や全米で2千万人にものぼる。出自を隠すことは、さらに難しくなった。「きっかけは興味本位だったが、人生を変えるような思わぬ結果にたどり着いた人も多い」と先の遺伝子系譜学者ムーアは語る。

コニーは、19年1月に2人の異母妹とペンシルベニア州ポコノで会うことにしている。今度は、実父の娘たちだ。

「今からドキドキして、もう大変。だって、きょうだいがいたことは、これまで一度もなかったのだから」(抄訳)

(Christina Caron)©2018 The New York Times

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