■1万円で受けられるネット検査
米国ニュージャージー州に住む会計事務所職員のテリーサ・ハリソン(48)はこの春、遺伝子検査の業界大手「アンセストリー・ドットコム」と「23アンドミー」を利用してみた。
テレビ番組やコマーシャルで検査のことを知り、親類のなかに実際に検査を受ける者も出てきて、自分のルーツに関心がわいてきた。検査費用はいずれも1万円程度で、インターネットで申し込みできる。唾液を送ると、自分のなかの人種構成が国籍ごとにパーセント表示されて戻ってくる。「アフリカ系アメリカ人だから、祖先が奴隷貿易で来たことは分かっていたけど、もっと正確に知りたくなった」
急速に身近なものになってきた遺伝子技術は、自分について知る検査にも広がっている。米国ではここ数年、遺伝子によるルーツ探しが流行している。
ハリソンの場合は、ナイジェリア40%、ガーナ12%など予想通り西アフリカが大半を占めたが、北欧や英国にもつながりがあることが分かった。「ヨーロッパ系の遺伝子が入っていたのには驚いた。以前より自分のルーツにまつわる歴史や文化への関心が強まった」
遺伝子検査には将来の遺伝子疾患のリスクを示すサービスもある。米国食品医薬品局は昨年4月、「23アンドミー」に対して、アルツハイマー病やパーキンソン病など10種類の疾患のリスク情報を、医師を介さず利用者に直接提供することを許可した。
■「遺伝子情報は最重要プライバシー」
ただ、こうした遺伝子検査の流行を懸念する声もある。タフツ大学教授で生命倫理学が専門のシェルダン・クリムスキー(77)は「遺伝子の情報は最も重要なプライバシーだ。検査会社は利用者から得た情報を研究機関などに売って利益を得ている。遺伝子情報がどう使われるか、もっと敏感になるべきだ」と指摘する。
クリムスキーによると、ルーツ探しのサービスを提供する企業が2000年に登場し、人気を呼び始めた。一方で、企業の採用や医療保険の申し込みの際に遺伝子検査を求められ、その結果、採用や保険の契約を断られるケースが出てきた。クリムスキーがメンバーであるNPOは遺伝子差別を禁じる法律の制定を求める運動を展開し、2008年に遺伝情報差別禁止法ができた。
ただ、この法律が及ぶのは雇用と医療保険の分野で、生命保険や介護保険には適用されない。「疾病リスクの情報が流出して個人と結びついた場合、保険だけでなく結婚など個人間の差別が起きるおそれが十分ある」
ニュージャージー州の大学職員、グレッグ・コスタラス(45)はルーツ探しのための遺伝子検査を1年半前に受けたが、疾病リスクを知るための検査は受けていない。その理由を尋ねると、こんな答えが返ってきた。「がんにしろ、他の病気にしろ、今の僕には余計な情報だと思う。そもそもそんなリスクを本当に知りたいのかどうか。自分でも分からない」
日本でも、米国と同じように医療機関を通さずに太りやすさなどの体質や、生活習慣病やがんのリスクなどを調べられる遺伝子検査が市場として拡大しつつある。(宋光祐)
■ゲノム人類学 私たちはどこから来たか
日本人はどこから来たのか。私たちは祖先といわれる縄文人や弥生人の遺伝子をどれだけ引いているのか。DNAをもちいた遺伝子解析では、個々人の来歴だけでなく、日本人の由来をたどることもできる。
現代の日本人(アイヌ人、ヤマト人、オキナワ人)のゲノム解析に取り組む国立遺伝学研究所教授の斎藤成也によると、先住の縄文人のDNAを最も引き継ぐのはアイヌ人。そのアイヌ人と遺伝的に近いのは南に遠く離れたオキナワ人だ。ヤマト人は地理的には両者の中間に位置するが、縄文人から引き継いだDNAは最も少なく、3者のなかでは弥生系渡来人からの遺伝的距離が最も近い。一方、韓国人、北方中国人、南方中国人には、縄文人由来のDNAはほとんどあらわれなかった。
では、大陸から渡来した弥生人との混血が始まったのは、いつごろなのか。アイヌ人を縄文系の直系子孫と仮定すると、ヤマト人の場合、弥生人との混血は55~58世代前に始まった。1世代を25年ほどとみれば、西暦3~7世紀ごろになるという。オキナワ人の弥生系との混血は43~44世代前、西暦1075~1320年ごろからと推定されるという。
一方で、ヤマト人の間でも、地域によってDNAに違いがあらわれる。都道府県別にまとめたミトコンドリアDNAを解析すると、東京、静岡、愛知、大阪、京都、福岡など列島の中央軸にそった都府県が、同じ傾向をもつグループに含まれる一方、沖縄、宮崎、長崎、島根、青森など周辺部の県同士に似た特徴があらわれるという。
日本人の源流は、旧石器時代に日本に入った人々が先住の縄文人となり、弥生時代のころに北東アジアからやってきた渡来人が加わったという「2重構造モデル」が定説だった。
ただ、福島県三貫地貝塚から出土した三貫地縄文人の歯から採取したDNAの解析では、この縄文人が、これまで想定されていた南方からの渡来とは異なることがわかってきた。
斎藤はいま、2重構造モデルを拡大した3段階渡来モデルを考えている。旧石器から縄文期までの渡来を二つの期に分けたうえで、第3段階になる弥生人の渡来を前期と後期に分けるという考え方だ。
「DNA解析がさらに進めば、よりこまかな日本人の源流がみえてくるはずです」(田中郁也)