降り続く雪のなか、「訓練者」のゼッケンをつけたヘルメット姿の3人がケーブルを制御盤につなぎかえていく。「接続よし!」「よし!」と、確認の声が響く。それを、やはりヘルメット姿の外国人のグループが見守っている。
2012年11月26日、福井県おおい町の関西電力大飯原子力発電所。
外国人の一行は、IAEAの原子力施設安全部長ジェームズ・ライオンズら10人の調査団だ。日本が原発を再び動かす条件としてすすめる耐性評価(ストレステスト)の審査方法を確かめるため、日本側の要請で来日。非常用電源を起動する訓練などを視察した。
福島第一原発事故後、IAEAの調査チームが相次いで日本を訪れた。放射線計測や除染などについてIAEAがもたらした技術や情報は、日本側にとって大きな助けになったと想像できる。
ただ、事故に衝撃を受けたのは、日本側だけでなかった。
昨年3月11日の福島第一原発事故発生で、IAEAもまた試練にさらされた。
巨大な地震が発生し、日本の原発4基が損傷、津波の可能性もある――。
ウィーンのIAEA本部ビル8階にある事故緊急センター(IEC)に一報が入ったのは、地震発生から56分後、現地時間の午前7時42分。
センターは2005年、世界に約430基ある原発の事故に地球規模で対応する拠点として設けられ、ふだん約25人の職員が働いている。朝早かったこともあり、オフィスは閑散としていた。
「とんでもないことになる」
出勤したばかりの責任者のエレナ・ブグロワは、直感した。
ベラルーシ出身。旧ソ連・チェルノブイリ原発事故の際、故郷で放射能汚染の対応に追われた日々が脳裏をかすめた。まもなく大型スクリーンに映し出されたニュース映像を見て、言葉を失った。巨大な津波が家や車を次々にのみ込んでいく。「今、本当に起きている出来事なの?」
地震発生から約1時間40分。センターの態勢が最高レベルの「フル・レスポンス・モード」に切り替えられた。いわば「非常事態宣言」。
IAEAに勤務する約2300人の中からえりすぐりの人材を集め、24時間態勢で対応にあたることができる。チェルノブイリ原発事故後につくられた仕組みだが、実際に最高レベルに引き上げたのは初めてだった。
原発事故が起きると、IAEAは事故に関する情報を確認し、加盟国に速やかに知らせる義務を負う。
ブグロワは、日本の原子力安全・保安院に連絡を取るようスタッフに指示。「日本の公式な窓口に連絡をつけた。情報は収集中」と、加盟国に最初に伝達した。発生から約2時間20分が経過していたが、それが精いっぱいだった。
日本の小学校の教室2室分ほどの広さのセンターは、各分野の専門家数十人であふれかえった。様々な部署に勤務する日本人職員も駆り出され、保安院がファクスや電子メールで送ってくる日本語資料の英訳に24時間態勢であたったという。
それでも、IAEAは後日「情報提供が遅すぎる」と加盟国や欧米メディアから集中砲火を浴びた。「決して座して見ていたわけではない。日本からの情報があまりに少なかった」とIAEA側は説明する。
メディアに刻一刻と情報が流れる一方で、IAEAは日本に確認できた情報しか加盟国に流せない。NHKの英語放送で、解説員が発電所内部の見取り図を示しながら説明をしているのを見て、緊急センター詰めの幹部は激怒して叫んだ。
「こういう資料がほしいのに、NHKが持っていて、なぜIAEAにないんだ!」
保安院国際室長の坂内俊洋は「問い合わせに応じる状態ではなかった。記者発表資料を1時間遅れで英訳して送る作業が精いっぱい。お互い、フラストレーションがたまった」。
事故1週間後に来日したIAEA事務局長の天野之弥(ゆきや)が、IAEA職員を日本側との調整役として東京に常駐させ、状況は少し改善された。
ブグロワは言う。
「IAEAの緊急対応のシステムはよく機能していたと思う。ただ、改善の余地はある」
例えば、原発事故の情報提供については、当事国からの情報をただ加盟国に流すだけでなく、「次に何が起こるか」の分析を独自に加える案が考えられている。
福島の事故が、IAEAにとって自らの対応とあり方を見つめ直すきっかけとなったのは、間違いない。