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かつて核実験場、未来の処分場? ネバダの砂漠に見えた、核と人類の歴史

World Now
ネバダ国家安全保障施設の入り口。道路に遮る物はないが、立ち入りが制限されている=米ネバダ州、小川裕介撮影

カジノのネオンがひしめく米ラスベガスの喧噪を抜け、陽炎(かげろう)が揺らめく砂漠地帯のルート95を車で走ること1時間余り。かつての「ネバダ核実験場」の手前で、侵入禁止の看板に出迎えられた。敷地の大部分はフェンスと有刺鉄線が囲んでいるが、道路には遮るものは何もない。足を踏み入れようかと考えていると、「撃たれるぞ」と、同行してくれた元ネバダ州職員のスティーブ・フリッシュマン(74)が注意した。

この地で最初の核実験が行われたのは1951年。その後、92年まで1000回近くの実験が繰り返された。「ネバダ国家安全保障施設」と名を変えた現在は、核軍縮で発生した余剰プルトニウムが一時的に保管されている。今年に入って、米南東部のサウスカロライナ州の施設から、余剰プルトニウムが内密に運び込まれたことが明らかになり、州政府や地元議員らの強い怒りを買った。

国立核実験博物館の中には、被爆直後の広島の写真が展示されていた=米ネバダ州ラスベガス、小川裕介撮影

近くのヤッカマウンテンでは、原発から出た使用済み核燃料の処分場の建設も検討されている。80年代に米政府が候補地として選定したが、オバマ政権は地元の反発を受けて中止を決定した。だがトランプ政権は、再び前に進めようとしており、計画の行方は見通せない。反対するフリッシュマンは「この辺りは地震が多く、地質は不安定。核のごみ捨て場には適していない」と主張する。

ネバダ州のヤッカマウンテンに高レベル放射性廃棄物を処分する計画に反対する元州職員のスティーブ・フリッシュマン=米ネバダ州、小川裕介撮影

70年近くの時を隔てたネバダの変化は、まるで人類と核エネルギーの歴史を見るかのようだ。

核分裂は38年、ドイツ人科学者オットー・ハーンらが発見し、真っ先に利用されたのが戦争だった。7年後には広島と長崎に原爆が投下され、「核の時代」は惨劇とともに幕を開けた。

国立核実験博物館の中には、ネバダ州で実施された核実験の写真が展示されていた=米ネバダ州ラスベガス、小川裕介撮影

転機となったのが、アイゼンハワー米大統領が53年に国連で行った演説。「アトムズ・フォー・ピース(原子力の平和利用)」を打ち出し、日本など各国が「夢のエネルギー」を手にできるようになった。背景には、ソ連と英国も核実験に成功し、もはや核技術を独占できないとの判断があった。原発の開発競争も始まり、友好国に原発を輸出して米国への依存を深めさせ、平和利用の分野でも主導権を握る狙いがあったようだ。

日本初の商業用原発となる東海発電所は66年に運転を開始。資源の乏しい日本では、70年代の石油ショックでエネルギーの安定供給への危機感が強まり、官民一体となって原発導入を推進した。

だが、79年に米スリーマイル島、86年には旧ソ連のチェルノブイリで原発事故が起こり、世界的に原発のイメージは悪化した。その後、地球温暖化への懸念やエネルギー需要の伸びで原発が再評価されるようになり、「原子力ルネサンス」と呼ばれて新興国や途上国でも原発を求める声が強まったが、2011年の東京電力福島第一原発事故後は、ドイツやスイス、イタリアが「脱原発」を決断する動きも出てきた。

ジョージ・ワシントン大特任教授のシャロン・スクアッソーニは「核エネルギーは、コストや安全性、核拡散などで大きな問題を抱えており、人類が利用を始めてから70年過ぎても解決できていない。再生可能エネルギーなどへのつなぎとなるのではないか」と指摘する。

ただ、人類と核の関係がどうなっても、すでに原発から出た「核のごみ」は存在し、その多くが行き場がない。高レベル放射性廃棄物は数万年にわたる管理が必要とされ、私たちが死んだ後も、人類は気の遠くなるような時間を核とともに歩むことになる。

■核と人類の主な歴史

  • 1938 ドイツ人科学者オットー・ハーンらがウランの核分裂を発見
  • 1945 広島と長崎に原爆投下
  • 1952 米国が水爆実験成功
  • 1953 アイゼンハワー米大統領が国連演説で「アトムズ・フォー・ピース(原子力の平和利用)」を呼びかけ
  • 1966 日本初の商業用原発である東海発電所が運転開始
  • 1979 米スリーマイル島原発事故
  • 1986 旧ソ連のチェルノブイリ原発事故
  • 2011 東日本大震災による東電福島第一原発事故