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出所者の支援に企業5千社 シンガポールの刑務所、厳しい処遇と就職支援で再犯率低下

World Now 更新日: 公開日:
チャンギ刑務所では、受刑者に機械を使った職業訓練が行われている
チャンギ刑務所では、受刑者に機械を使った職業訓練が行われている=シンガポール、シンガポール刑務所サービス提供

「ノルウェーやデンマークの刑務所の部屋は、指摘しなければコンドミニアムと誤解するほどだ。だが私たちは、そのアプローチは取らない。厳しい体制を維持することが、私たちの哲学だ」

7月、シンガポールの国会では、K・シャンムガム法相がそう訴えていた。

シンガポールでは今年初め、地元のケーブルテレビ、チャンネルニュースアジアが刑務所内部についてのドキュメンタリーを放送した。これをきっかけに「環境を改善すべきではないか」との議論がわき上がった。

たとえば8人部屋は広さ20.29平方メートル。エアコンも扇風機もない。トイレは、ついたてのような壁を隔てて同じ部屋の中にある。布団もなく、ござのような薄いマットを敷いて寝る。

過去には入所者から「人権侵害だ」といった訴えが出たこともあったが、「許容範囲だ」と退けた。だがシャンムガム法相は「我々の刑務所の体制と環境は、厳しい。あえてそうしている」と説明した。

理由として挙げたのは刑務所内の治安の維持だ。簡素な設備でかつ監視しやすくすることで刑務所内でのけんかや暴動、自殺を防ぎやすくなるという。受刑者の自殺は、2017~21年の間に1件。香港の10件、ノルウェーの12件(17~20年)、デンマークの22件(同)に比べて少ないと訴えた。

さらに、再犯率の低下といった成果を強調する。1990年代後半、シンガポールの刑務所は入所者の増加と刑務官などの人手不足に直面した。

そこで2000年代に入り、受刑者の社会復帰に力を入れて再犯率を下げることが目ざされてきた。シンガポールの出所から2年以内の再犯率は、19年の出所者で約20%。過去30年で最低の水準だった。

再犯率の低下に貢献しているとみられるのが、仮釈放などによる「地域内矯正」だ。刑務所の外に住むプログラムや、刑務所から昼間だけ外に働きに出るプログラムがある。約1万1500人の受刑者のうち、約3400人が対象だ。

刑務所の運営を担うシンガポール・プリズン・サービスの地域内矯正担当ディレクター、カレン・リーさん(43)は「矯正官などの監督や支援を受けつつ、徐々に社会に適応していくことができる」と言う。

中でも注目されるのが、就職率だ。政府によると、17~19年の出所後3カ月以内の就職率は55%前後に達する。

「本人の希望や適正を踏まえるだけではなく、雇う側との意見交換も綿密にして、職業訓練に生かしている」というリー。最近では精密加工機械なども導入し、実践的な教育につなげている。

シンガポール・プリズン・サービスの本部(同提供)
シンガポール・プリズン・サービスの本部(同提供)

シンガポールで雇用主と出所者の間をつなぐ役割を果たしているのが、支援団体の「イエローリボン・シンガポール」。21年には約3000人を支援。94%が就職にこぎ着けた。

キャリア担当ディレクターのカレン・タンさん(47)は「就職支援は、ビジネスベースで考える必要がある」と言う。

受刑者と企業との面接でも、過去の職歴や業務内容への興味関心など、ビジネスにかかわる内容を重視する。出所者の雇用が企業の採算に合わないようでは、持続可能ではないからだ。

こうした就職あっせんの取り組みが強化されてきたのも2000年代。当初は数百社だった協力企業が、いまは5000社を超える。飲食業や運送業での就職が多い。

一方で、高い就職率の背景には、シンガポール特有の雇用事情もある。「正直なところ、必要に迫られて雇い始めたんです」。そう話すのは、美容用品の配送業を手がけるテ・ミンクアンさん(57)。20人の従業員のうち4割にあたる8人が元受刑者だ。

テがいまの会社を起業したのは17年。直面したのが、運転手や倉庫での荷運びを担う労働者の不足だった。外国人労働者を雇うことも考えたが、シンガポールでは外国人を雇える職種が限定されているうえ、外国人雇用の特別な税金の負担も生じる。そこで連絡したのが、イエローリボンだった。

「まずは説明を聞こう」

刑務所に赴いて説明を受け、受刑者との面接に臨んだ。

この面接が大きかった、とテは振り返る。「当然ですが、実際に話をしてみると、相手もふつうの人間です。実際に話してみて、抵抗がなくなりました」

問題は、他の従業員を説得することだった。不安をぬぐうために、職場には監視カメラなども取りつけた。電子決済を中心にし、職場での現金の扱いをなくした。どんな前科を持つ人間かも伝えた。

そのうえで「ひとりの人間として、尊重しよう」と呼びかけた。給与も他の従業員と同じにした。

トラブルもなくはない。困ったのは時折、突然出社しなくなる人がいることだった。

「逆に言えば、それだけです。警察を呼ぶような事態が起きたことはありません」。今のところ雇っているのは、薬物犯の受刑者たちだけだ。他の前科がある元受刑者の場合には「別の対応が必要だろう」。

それでも「親や子どもなど、誰かのために更生したいと考えている受刑者は強い」と感じている。

3カ月ほど前に入社した事務の女性(29)場合は、それは8歳と10歳の2人の子どもだった。薬物の使用で3年4カ月刑務所に入った。今は6カ月の保護観察期間にある。「刑務所では子どものことばかり考えていた。大事な時期に一緒にいてあげられなかった後悔があった」

この女性が、繰り返したのは「前を向く」という言葉だった。

「生活費を稼がなければならないこともあるが、仕事があることで前向きに進んでいくことができる」と言う。仕事の様子を聞くと「ここでは、本当に他の人と同じように扱ってくれるので……」と語り始めたところで、涙があふれた。

「刑務所の中からでも、頑張っていれば社会に戻り、輝かしい未来が開ける。そう思えるようになった」。まずはこのまま仕事を続け、近く夜間学校に通ってデザインを勉強するつもりだ。(敬称略)