1. HOME
  2. World Now
  3. マイクロ波兵器ではない?ハバナ症候群の原因、機密解除の報告書が指摘した意外な結論

マイクロ波兵器ではない?ハバナ症候群の原因、機密解除の報告書が指摘した意外な結論

World Now 更新日: 公開日:
「ハバナ症候群」という謎の症状を訴える職員が相次いだキューバのアメリカ大使館=2016年11月、ハバナ
「ハバナ症候群」という謎の症状を訴える職員が相次いだキューバのアメリカ大使館=2016年11月、ハバナ

アメリカのネットメディアBuzzFeed Newsが2021年9月、機密解除になったアメリカ国務省による科学報告書を情報公開制度で入手し、報じた。その内容が驚きをもって受け止められている。

これまで原因不明の「怪現象」として注目されていたハバナ症候群は、コオロギによる可能性が高いというのだ。加えて「心因性」による集団心理の影響も指摘している。

このコオロギは学名をAnurogryllis celerinictusといい、非常に特徴的な高い鳴き声だ。アメリカのウェブサイト「Singing Insects of North America」が録音データを公開している。

注目すべきは、この調査が実施された2018年時点で、現在までアメリカ政府が有力視してきた「マイクロ波」や「超音波」による攻撃が関与している可能性は「きわめて低い」と判断していることだ。

この報告書は、アメリカ政府によって委託された、独立科学諮問グループ「ジェイソン(JASON)」が作成した。

ジェイソンはアメリカのトップクラスの物理学者など、科学者約60人で構成。冷戦時代の国家安全保障など、機密性のある科学技術に関して調査を手がけてきた。

報告書の内容はこれまで機密扱いとされ、内容が公開されることはなかった。

調査報告書で指摘されたコオロギ。学名はAnurogryllus celerinictus。和名はないが、英語ではIndies short-tailed cricket(カリブ海地域の短尾コオロギ)とも呼ばれる=Brandon Woo氏撮影
調査報告書で指摘されたコオロギ。学名はAnurogryllus celerinictus。和名はないが、英語ではIndies short-tailed cricket(カリブ海地域の短尾コオロギ)とも呼ばれる=Brandon Woo氏撮影

ハバナ症候群は2016年から、キューバの首都ハバナに駐在していたアメリカとカナダの外交官が、頭痛やめまい、耳鳴り、集中力の低下など、体調不良をうったえたのが始まりだ。人によって聞こえ方に違いがあるが、音がきっかけになって、症状が出た人もいる。脳の一部が損傷するなど、深刻な健康被害を負うケースもあった。

当時のトランプ大統領は科学的根拠は示さず、「キューバの攻撃のようだ」と述べた。キューバに滞在していた外交官やその家族の多くを退避させ、大使館は再びほぼ閉鎖された。さらにアメリカに駐在していたキューバの外交官15人を「報復」として、ワシントンから追放した。

キューバはこの「攻撃」容疑をすぐさま否定した。このとき、アメリカとキューバは54年ぶりに国交を回復し、ハバナにあるアメリカ大使館を再開したばかり。

アメリカとの「雪解け」にキューバ国民はわき、オバマ大統領が示した経済制裁の緩和策にキューバ政府も歓迎ムードだった。大使館員を「攻撃する」理由は考えられないと、キューバでも多くの人が首をかしげていた。

同時期にカナダ大使館員もハバナ症候群にさいなまれたが、もとより、カナダとキューバは良好な関係だ。

謎めいたハバナ症候群に関しては、これまでさまざまな原因説が取りざたされた。

最初に出た説は2017年、音波により体調不良を引き起こす「音響兵器」だった。外交官や諜報員は、自宅やホテルに滞在しており、音波は外壁で跳ね返されるため、この説には無理があった。

「蚊の殺虫剤」が原因だとする説は、2019年、カナダ政府が委託した調査で報告された。キューバでジカ熱が流行し、ウィルスの媒介となる蚊を燻蒸(くんじょう)しており、神経系の被害を受けやすい環境だったとしている。

ただ、殺虫剤が原因だとすると、米国とカナダの大使館員だけが被害に遭った点に疑問が残った。

「マイクロ波(高周波エネルギー)」による攻撃説は、全アメリカ科学アカデミーが2020年12月に報告書を出したことから有力視されてきた。

冷戦時代、当時のソ連(現ロシア)がマイクロ波を使った兵器を開発していた時期があるとして、ロシアによる攻撃説も浮上した。

しかし、アメリカ軍もすでに開発しているマイクロ波による攻撃機器は、装置の規模がトラックのように大きい。ハバナ症候群と呼ばれる怪現象は2017年以後、中国、アメリカの首都ワシントン、台湾、ロシア、ポーランド、イギリス、キルギスタン、ウズベキスタン、インド、ウィーン、ジョージア、オーストラリア、ドイツ、コロンビアなど世界各地で、米国の外交官や軍事関係者、CIA職員の間でみられるようになり、その数は200件に及ぶ。マイクロ波の攻撃機器をこうした場所に設置するのは無理がある。

最近では、2021年8月、カマラ・ハリス米副大統領が訪問先のベトナムで、アメリカ軍関係者が「奇妙な音」とともにハバナ症候群の症状がみられたため、飛行機を遅らせる事態が発生した。

こうしたなかで、今回のコオロギや心因性疾患による説が、アメリカの公式な調査報告書により明らかになったのだ。以前も、米英の専門家による調査で「コオロギ」が原因とする説は出ていたが、この調査は一歩踏み込んで、調査で音波やマイクロ波といった「高周波エネルギー」による原因も否定している。

ハバナ症候群は心因性疾患によるものだとはっきり主張するのは、オーストラリアの医療社会学博士、ロバート・バーソロミューさんだ。心因性疾患は「何世紀も前から存在する」(同博士)として、過去の症例を約3500件集めて研究を手がけてきた。

バーソロミューさんは2020年3月、「ハバナ・シンドローム~集団心因性疾患および大使館の謎とヒステリーの真相」という本を著した。オーストラリアの大衆紙「デイリー・メール」の取材に、「深刻な症状である脳の損傷は、心因性疾患でも起こりうる」と指摘している。

背景として、「キューバに派遣された外交官は猜疑心が強かった」と説明している。

「当時ハバナの新しい大使館に派遣された外交官は、『冷戦時代、キューバの諜報員は外交官に嫌がらせすることで悪名高かった』と説明を受けていた。24時間体制で監視されていると不安を持っていた」(バーソロミューさん)

「奇妙な音」を聞いて体調を崩すという現象が小さなグループで発生し、やがて集団に広がっていく。アメリカ国務省が「異常な健康事例」に注意するよう世界の大使館や、外交官および諜報員に警告を出したことにより、警戒が広がったことも背景という。

「高度なストレスで外国に滞在し、24時間監視されているという共通の環境から、集団ヒステリーが起きる典型的な例」だと、バーソロミューさんは指摘する。体調不良に陥り、「ハバナ症候群に違いない」と判断する連鎖が広がっているという。

2017年12月にハバナ症候群の患者を診察したアメリカの医師が、「脳内の白質路が著しく変化している」と話したとされるが、バーソロミューさんによると、街を歩いている人を無作為に選び、脳の検査をした場合、「片頭痛やうつ病、通常の老化現象などにも、脳に同様の変化がみられることがある」という。

心因性疾患の可能性については、キューバの科学アカデミーも2021年9月、科学者による調査結果を発表して指摘している。

被害を受けた外交官や諜報員のなかには深刻な症状もあり、アメリカ政府に対し「健康被害のケアをしっかりしてほしい」という要望が出ていた。

バイデン大統領はハバナ症候群を「原因不明の健康事例」と呼ぶにとどめ、被害の調査に本腰を入れている。2021年10月8日には被害者が追加医療を受けられるよう、経済的支援をする「ハバナ法」に署名した。

これまでは怪現象の原因究明に焦点が向けられていたが、ここにきて、米政府は被害者の健康改善を重要視する姿勢を示している。