小林氏は本書の目的について「国家のインテリジェンス機能に関する理解を少しでも深めていただくこと」としている。
小林氏は本書のなかで、インテリジェンス研究に脅威を持った契機が、2004年から07年に米ワシントンに勤務した時だと明かしている。01年9月11日に起きた世界同時多発テロの余韻が強く残っていた時期だ。アメリカの市民は当時、「なぜ、9・11を防げなかったのか」「インテリジェンスを改革する必要はないのか」という議論を戦わせていた。小林氏がその必要性を唱える「インテリジェンスに関する理解」は、米国がはるかに日本を上回っていると言える。
日本でも過去、2013年にアルジェリアで起きた人質事件、15年の過激派「イスラム国」(IS)による邦人殺害事件など海外で邦人が犠牲になる事件が起きるたび、政界を中心にインテリジェンス機関の創設を求める声が上がった。自民党がプロジェクトチームを立ち上げたこともある。14年1月、国家安全保障局(NSS)が発足したが、情報機関の統合問題は先送りされ、内閣情報調査室(内調)や警察庁、外務省、海上保安庁、公安調査庁などが従来通り、情報収集・分析活動を続けている。
「インテリジェンスへの理解」が足りないと何がおきるのか。
本書はインテリジェンス機能を支える重要なルールとして「必要な人だけに情報を提供する(need to know)」、「情報源の許可なく、得た情報を第三者に渡さない(third party)」などの原則を挙げている。原則を守らない場合、その情報機関への信頼性が失われ、情報収集に大きな障害が生まれかねない。
インテリジェンスにかかわる日本の複数の関係者によれば、こうした原則が守られないケースの一つに、政治家がからむ場合がある。政治部の記者が政治家を通じて、政府機関の資料を手に入れることもある。
関係者の1人によれば、過去には米国から提供された情報のブリーフィングに自分の私設秘書を同席させようとした閣僚がいた。「米国情報なので資格のない人間には教えられない」と説明すると、この閣僚は「私が何十年も一緒に仕事をしてきた秘書を信頼できないのか」と怒るばかりで、ブリーフィングは中止になったという。
日本の国会では過去、米議会のような秘密会が開かれず、政治家がインテリジェンスに関与するケースがほとんどなかった。2014年に衆参両院に設置された情報監視審査会が、原則として秘密会で開催されるようになったが、インテリジェンスの民主的統制という機能を発揮しているのかは、はっきりしない。
また、政府関係者らは現在でも「政治家に話せば、すべて秘密が公になり、インテリジェンスに影響が出る」と口をそろえる。この指摘も一理あるが、民主的な統制を拒否することにつながりかねない。
1993~97年に内閣情報調査室長を務めた故大森義夫氏は「日本はインテリジェンスを悪だと決めつけ、世間の目から隠してきた」と語り、「国会で証言を求められないことも、結果として内調の情報分析力の向上を妨げてきた」と語っていた。
官僚から情報を得ることができる一部の有力政治家が、秘密を共有するのがこれまでの実態だ。同時に、国会が政府を監視する機能は十分働いていない。
本書も、米レーガン政権時代にホワイトハウスの国家安全保障会議(NSC)がイランに売却した武器の代金を、中米ニカラグアの反政府ゲリラ「コントラ」に供与していたイラン・コントラ事件などを紹介している。情報機関の暴走を防ぐためには、民主的な統制が必要になるという。
また、本書は2003年のイラク戦争の際、イラクに大量破壊兵器が存在するとした米情報機関の報告などの実例などを紹介。「政策部門が主導することで、インテリジェンスが政治化する問題」や「収集と分析、作戦の各部門が独立していることの長所と短所」などを解説している。米国はこうした経験や原則を踏まえながら、インテリジェンスの改革を行っているという。
過去の取材で、政府関係者の1人から聞いた話だが、かつて日本の情報関係機関のトップが交代した。トップの交代に伴い、求められる報告書の内容が変わったという。この関係者は「前任者は、確実な情報を求めていた。ところが新任者は、確実な情報のほかに首相官邸が喜ぶ情報を求めてきた。新任者になって、報告書の量が増えて大変だった」と語っていた。
■「日本にもCIAを」だけでいいのか
また、本書は、12年1月3日付の米フォーリン・ポリシー誌が掲載した「米国におけるインテリジェンスの失敗10大事例」を紹介している。1941年の真珠湾攻撃、79年のイラン革命、91年のソ連崩壊、上述したイラクの大量破壊兵器問題などだ。米国情報機関は事件を予測できなかったり、誤った判断をしたりして米国の国家安全保障を大きく傷つけた。
日本でインテリジェンス機関の創設を求める声が上がる際、よく耳にするのが「米CIAのような機関を作れ」という主張だ。ただ、本書に出てくるような、インテリジェンスを巡る原則や様々な失敗例を踏まえた論理的な主張は、ほとんど見られない。
日本では最近、米、英、豪、カナダ、ニュージーランドの英語圏5カ国が電波・電子情報を中心に協力するネットワーク「ファイブ・アイズ」への加入を求める声も上がっている。
日米両政府の関係者らによれば、ファイブ・アイズは主に通信傍受システム「エシュロン」を共同運用し、電波やメール、インターネットなどの「電子情報収集(signal intelligence=シギント)」を行っている。5カ国は自国や在外公館などに通信傍受施設を設け、電波情報を収集・交換しているという。情報の95%は企業や金融機関などの経済情報といわれているが、もちろん、北朝鮮の核・弾道ミサイル開発や中国海軍の動向など、軍事情報も含まれている。
豪情報評価機関ONAの長官を務め、現在は豪シンクタンク、オーストラリア国際問題研究所(AIIA)のアラン・ギンジェル所長は「ファイブ・アイズは第2次世界大戦の頃から続く非常に古い関係だ。第2次大戦当時、5カ国はシギントを共有していた。それは必然だった。世界中でシギント情報を収集し、共有する必要があったからだ」と語っていた。
ただ、ファイブ・アイズに入ることが、日本の国家安全保障の判断において必要不可欠だと言えるだろうか。ドイツやフランスのようにファイブ・アイズに入らない先進国もある。
高橋礼一郎前駐オーストラリア大使も「ファイブ・アイズの協力は歴史上、様々な積み重ねがある。このような積み重ねの歴史を知ったうえで、日本がどのような貢献ができるのか、どのような組織が必要なのかを、しっかり考える必要がある。大切なのは実質的な協力を充実させる議論であり、加入するか否かという議論ではないだろう」と語る。
日本政府関係者の1人は本書について「日本では、インテリジェンスの理論について体系的に研究した初めての書物だろう」と語る。インテリジェンスの重要性が指摘されている昨今、その理論をまず頭に入れる重要性を指摘した意味は小さくない。