彼らは、図書館や地下鉄で、彼の本を読んでいる。彼の著作に特化したオンライン読書クラブを立ち上げた。音声と映像を何時間分もアップロードし、彼の革命思想の教えを広めた。
毛沢東は、中国のZ世代(訳注=1995年以降の生まれで、高度経済成長期やデジタル時代の進行とともに成長した世代を指す)の間で復活を遂げつつある。数十年にわたる不断の政治キャンペーンで何百万もの人命を奪った中国共産党の最高指導者は、1976年の死去からずっと後の生まれで当時の影響を被っていない彼らを奮起させ、元気づけている。彼らにとって毛沢東は、もがき苦しむ名もなき存在の絶望的な自分たちに語りかけてくれる英雄なのだ。
社会的不平等の拡大問題に取り組む現代の中国にあって、搾取的なビジネス階級に向ける多くの若者たちの怒りの感情を毛沢東の言葉は正当化してくれる。彼らは、毛沢東の足跡をたどって中国社会を変えたいと望んでおり、中には、必要なら資本家階級に対する暴力の行使を語る者さえいる。
毛沢東フィーバーは、今年7月1日に創立100年を祝った中国共産党が直面する矛盾した現実をあらわにしている。国家主席の習近平のもとで、党は中国人の生活のほぼすべての側面における中心になった。中国が成し遂げた経済発展を党の功績だと主張し、中国人民に対して党に感謝するよう求めている。
その一方で、経済成長は鈍くなり、若者たちにとっての好機は減退している。経済格差の広がりや高騰し過ぎて手が出ない住宅、労働者保護の欠如を非難する声は、党内にはない。そうした状況の後押しを受けて台頭した新世代の毛沢東主義者を、党はなだめるか、手なずけるかする方法を見つけ出す必要がある。さもなければ、統治上の難題に直面するかもしれない。
「新世代は、この分断された社会で居場所をなくし、問題解決のカギを探し求めているのだ」。ソーシャルメディアのWeChatに、毛沢東主義者のブロガーの一人がそう書いている。「つまるところ、彼らは間違いなく毛沢東に行きつくだろう」
インタビューやオンラインの投稿で多くの若者たちが、中国社会を抑圧者と被抑圧者との間断なき階級闘争だとした毛沢東の分析に共感できると言っている。
「多くの若者と同じように、私も国の将来については楽観的だけれど、自分自身については悲観的だ」と23歳のトゥー・ユイは言う。中国のハイテク都市・深圳で仮想通貨スタートアップのエディターだったが、その仕事を最後に燃え尽き症候群に苦しんでいる。彼によると、毛沢東の著作は「私のような、田舎の若者に精神的な安らぎを提供してくれる」というのだ。
中国の技術労働者は、週6日、朝の9時から夜9時まで働くことをしばしば期待されている。これは非常に一般的な慣行で、「996」と呼ばれている。トゥーの労働状況は、さらに悪かった。昨年末は3日間で5時間しか睡眠がとれず、その後、動悸(どうき)や息切れを起こし、体の動きが鈍くなった。すぐに辞職したが、3カ月間は求職活動をせず、めったに外出しなかった。医師は、軽度のうつ病と診断した。
「私が知っている仲間は、まだ成功したいと思っている」とトゥー。「私たちは単に搾取と無意味な努力に反対しているだけなのだ」と言っていた。
毛沢東は消え去ることはなかったが、時代遅れとされていた。1980年代に自由と自由市場がもてはやされると、若者たちはフリードリヒ・ニーチェやジャン=ポール・サルトル、ミルトン・フリードマンの著作に目を向けた。学校では毛沢東を勉強することが必須だったが、多くの学生はその授業をすっぽかした。1989年の天安門事件(訳注=学生を中心にした若者たちの民主化要求運動を政府が弾圧した事件)後は、武道小説や成功した起業家の本がベストセラーになった。
だが、中国には毛沢東復活の肥沃(ひよく)な土壌ができてきた。
名ばかりの社会主義国である中国は、世界で最も不平等な国の一つだ。全人口の43%に当たる約6億人は、わずか150ドル相当の月収しかない。多くの若者は、中産階級への仲間入りや収入面で両親を追い抜くことは不可能だと思っている。社会的な上昇可能性の欠如は、党の純正さに疑問を投げかけた。多くの若者は、党が資本家階級に対してあまりにも寛容であると思っているのだ。
日常生活における党の存在感の拡張も、毛沢東主義へと傾く道を開いた。習近平のもとでの教義の植え付け強化は、若者たちをより民族主義に向かわせ、共産主義イデオロギーへのさらなる傾倒を促した。
「国家のために死ねるか? イエス」。あるネット上に書き込まれたスローガンだが、こう続く。「資本家のために死ねるか? 絶対にノーだ」
賃金が低迷するなか、若者たちは「消費の切り詰め」について話している。雇用主が彼らを一生懸命に働かせるので、自分たちのことを「賃金の奴隷」「企業の牛」「残業する犬」と呼ぶ。ますます多くの人が中国語の「タンピン(横になる)」という言葉を使って、むしろ怠け者になりたいと言うようになっている。
こうした態度は、「毛沢東選集」全5巻を再び人気にするのに役立っている。おしゃれな服装をした若者が地下鉄や空港、カフェでそうした本を読んでいる写真がオンラインに出回っている。北京の清華大学図書館では、同図書館の公式WeChatアカウントによると、2019年および20年、学生たちはどの本よりも多く「毛沢東選集」を借りていた。
「私は将来、きっと『毛沢東選集』を何度も読み返すだろう」とMukangchengを名乗る若いブロガーはDouban(トウパン=豆瓣)に書いている。Doubanは本や映画その他のメディアに焦点を当てた中国のソーシャルメディアサービスで、そのブロガーはこう書き添えている。「暗闇の中で探究する者に光を見せてくれる力がある」
本名を明かさなかったMukangchengは、「Left Left」というメールアカウントを使っている。赤い毛沢東バッジを肖像にしている。豚肉の高値や電話代支払いへの不安について投稿している。彼は2018年、かつて上海で開かれた共産党の第1回全国代表者大会の記念館を訪れた時、(そこに置かれてあった)訪問者ノートに「階級闘争を決して忘れるな」という毛沢東の言葉を引用して記帳した。
「毛沢東選集」に関する他のネット上のコメントは、彼らが若き毛沢東に自らを重ねている。1900年代初期、停滞した地方で教育を受けた一人の青年、若き毛沢東はPekingと呼ばれた頃の大都会・北京で身を立てようとしていたのだ。彼らは一般に、毛沢東を「先生」と呼ぶ。毛沢東自身、そう自称するのを好んでいた。
多くのソーシャルメディアのユーザーは、「毛沢東選集」第1巻の最初の文章を引用したがる。「誰が我々の敵か? 誰が我々の友か?」と毛沢東は1925年に書いている。「この問題は革命にとってもっとも重要な問題である」
多くが言うには、彼らの最大の敵は彼らを搾取する資本家たちだ。彼らの怒りの最大の標的は、電子商取引帝国アリババの共同創業者ジャック・マー(馬雲)である。そのマーはかつて、チャイニーズドリームの体現者として喝采を受けた。ところが今や、彼らは、996の労働文化を支持し、ビジネスこそが最大の慈善事業だとするマーのコメントを嘲笑している。
「労働者は彼のような人物のための金もうけの道具にすぎない」とシュイ・ヤン(19)は言う。ヤンは、マーのような人たちは「物理的にも精神的にも排除される必要がある」とまで言っている。マーは後日、仕事への愛情ゆえに長時間働く労働者に敬意を表したいだけだったと語り、自らの発言を撤回した。
毛沢東主義青年たちの反体制感情が向けられる先は、資本家階級にとどまらない。過激派は、党がなぜ社会的不平等の深まりを許したのかに疑問を突き付けている。
「プロレタリアート(労働者階級)は革命に勝利したのではないのか?」とシュイは問いかける。「それが今なぜ、国の支配者が底辺に置かれ、プロレタリア独裁の標的が上に立つのか? 何を間違ったのか?」
昨年、シュイは同級生に毛沢東の著作を紹介されてから、検閲の厳しいウェブサイトにアクセスするため、ソフトウェアを駆使して中国の暗部を探った。彼は、中国政府がいかにして、労働組合の結成を手助する若いマルクス主義活動家たちの取り組みを打ち砕き、より良い労働権の保護を求めて仲間を組織化した食事配達労働者を逮捕したのかを知った。
「官僚機構と資本は高度に統合されている」とシュイは言う。「私たちの反乱の対象が、資本家レベルにとどまることはないだろう」
中国政府は激化する反感を警戒し、一部の毛沢東関連の投稿や議論の検閲を開始した。広く回覧され、その後削除されたある記事は、毛沢東の革命が今日の中国で成功する可能性が低いかについて分析していた。その理由は、政府の監視と履歴調査だ。
「100年前には、毛沢東のような人物が新聞に書くことができた」とシュイは言う。「今や何であれ、我々が大きな声を出すと、すぐさま消し去られてしまう」(抄訳)
(Li Yuan)©2021 The New York Times
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