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独裁を倒したら、強権が来た もの言えぬエジプトの萎縮、今も

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エジプト・カイロのタハリール広場で2011年2月、ムバラク大統領の退陣後、軍の装甲車に上がって喜び合う市民たち=越田省吾撮影

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■「写真は撮るな」エジプト人の忠告

エジプト・カイロのタハリール広場で2011年2月、ムバラク大統領の退陣を知り国旗を手に喜ぶ女性=越田省吾撮影

「アラブの春」と聞いて、エジプト・カイロのタハリール広場を思い出す人は多いだろう。

4月下旬、かつて民衆が革命に沸いた広場を訪れると、イヤホンを付けた治安要員が目を光らせていた。「トラブルに巻き込まれたくなければ写真は撮るな」。旧知のエジプト人にそう忠告された。

チュニジアに触発され、民主化を求めるデモがこの広場で始まったのは11年1月。30年間続いたムバラク独裁政権の崩壊は、「決して倒れるはずのないものが倒れた」とも言われ、世界中に衝撃が走った。

あれから10年。この国は再び強権的な政権に統治されている。14年に発足したシーシ政権は、テロとの戦いや経済再建に力を注ぐ一方、デモや報道を締め付け、政権批判を抑え込んだ。「アラブの春」が広がる一因ともなったSNSの監視にも腐心する。

私は15年から1年間、アラビア語の勉強のためエジプトで過ごした。ISが中東や欧州で猛威を振るった時期と重なり、この国でも治安改善は最重要課題だった。当時、IS系組織がカイロ近郊で拉致した外国人の殺害予告動画をネットに公開。夜中に爆発音が響き、思わず身がすくんだこともある。友人の招きで、ピラミッドで知られるギザ近郊の村に何度も泊まったが、外国人もいない土地で目立ってしまい、不安になった。

それでも、市民の「萎縮」は今ほどではなかったように思う。自制はあるにしても、当時は若者とカフェで政治的な話ができた。民主化デモが始まった1月25日の記念日には、政権支持者ではあるけれど多くの人たちがタハリール広場に集まり、私も自由に写真を撮っていた。

この5年ほどで締め付けは強まった。乗車したタクシー運転手(61)は、「物言えば唇寒し」の現状をこう皮肉った。「シーシがいなくなれば、スフィンクスすらしゃべり出す」

■「この状況、予想できた」

カイロのタハリール広場で2011年2月、デモの合間にイスラム教の礼拝をする市民たち=越田省吾撮影

今、人々は「アラブの春」にどんな思いを抱くのか。本音に迫りたくて、留学時代の友人らに連絡を取ってみた。

「一番好きな漫画は、まだスラムダンク?」

「そうだよ。変わってない」

カイロの新興住宅地にあるアパートで、30代のカメラマンの友人が迎えてくれた。

ムバラク政権崩壊の日、彼はタハリール広場に集った群衆の中にいた。「賄賂や警察の横暴、就職の不公平。理不尽がなくなると思った」。でも、続く言葉は意外だった。「今の状況は、予想できたことだ」

え? 身を乗り出した私に、彼はこう言った。「あの日、広場で隣にいた男がつぶやいたんだ。ムバラクは『頭』に過ぎない、軍という『体』はまだ残っているって。そのときは言葉の真意を理解できなかった」

エジプト・カイロのタハリール広場で2011年2月、ムバラク大統領の退陣後、戦車の上で兵士と記念写真を撮る子どもたち=越田省吾撮影

彼が抱いた不安は13年、現実のものとなった。国政に絶大な影響力を持つ軍が介入して、民主的に選ばれたムルシ大統領を引きずり下ろし、当時国防相だったシーシが翌年、大統領になった。この動きは、今年、軍がクーデターを起こして権力を掌握したミャンマーの状況にも通じるかもしれない。

友人は悔しそうに言った。「アメリカを見て欲しい。トランプが大嫌いでも4年間は待つ。軍がトランプを引き倒すなんてことはないんだ。こんなのはおかしい」

それじゃあ、君たちが「民主化運動」に望んでいたものは何だったの?

「悪いことは悪いと言える社会が欲しかった」。10年前、SNSを見れば、他の国の若者たちは自分たちの元首を批判していた。大統領が嫌いなら、嫌いと言える。そんなささいなことが、うらやましく思えたと彼は言う。

あきらめたのか? 私が問うと、「政治は忘れた」と彼は答えた。傍らには、私と離れていた5年間で手に入れた、かけがいのない存在があった。妻と長男だ。「何もしなければシーシ政権が続く。何かすれば刑務所行き。もう僕たちに行き場はない」。将来に向けて貯蓄をし、妻子のために生きることが、今は何よりも大切なのだという。

■「市民の不満は『ノイズ』」

友人の自宅に滞在したギザ近郊の村では早朝、イスラム教の集団礼拝が行われた=2015年9月、ギザ近郊、高野裕介撮影

もう1人、会いたい人がいた。留学時代に喫茶店で政治談議をしたアラビア語の先生だ。シーシ政権を支持する60代の彼は早速、エジプト人らしく早口でまくし立てた。

「10年前(の革命で)、我々は(エジプトに)多くの課題があることに気がついた。放置されてきた貧困や格差、経済。シーシはそれらを短時間で解決しないといけない」

でも、市民は窮屈な生活を強いられているのでは? 彼は反論した。「理不尽に刑務所送りになる人がいるのも知っている。でもシーシの政治は、人を家に住まわせながら突貫工事をしているようなものだ。つまり、『ノイズ(雑音)』が聞こえるのは当然だ」

大事をなすためには、ある程度の犠牲は仕方がない。「現実主義者」を自認する先生らしい見方だと思った。

そんな彼の目に、エジプトの人権状況が悪化しているという欧米諸国の批判は「押しつけ」に映る。「欧米の民主化とは『個人主義』であって、エジプトに適さない。ここでデモをしたらどうなる? 広い歩道もないから大渋滞になり、カオスが起きるだけだ」

10年前の「アラブの春」から今も混乱が続き、「今世紀最悪の人道危機」が起きていると言われる国がある。シリアだ。かつて訪れた平穏な街は大きく姿を変えた。戦乱や弾圧を恐れて国を逃れた人たちは今、何を思うのか。(つづく)

【続きの記事を読む】「言いたいこと言わない日本人、自分の首を絞めてない?」日本に住んだシリア人の疑問