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「言いたいこと言わない日本人、自分の首を絞めてない?」日本に住んだシリア人の疑問

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避難民キャンプで暮らす子供たち。2019年12月ごろから戦闘が激化した際には100万人近くが避難した=2020年3月9日、シリア北西部イドリブ県カファルルシン

【前の記事を読む】独裁を倒したら、強権が来た もの言えぬエジプトの萎縮、今も

■「日本人と私たちは似ている」

ダマスカスのスーク(市場)は、内戦中とは思えないほど多くの人たちでにぎわっていた=2018年10月、ダマスカス、高野裕介撮影

学生だった16年前の夏、私はバックパックを背負って隣国レバノンから日本円で600円ほどのバスに揺られ、シリアの首都・ダマスカスにたどり着いた。

シリアは平穏そのものに感じた。印象に残るのは、日本で言えば銭湯にあたるハマムで、サダム・フセインのような口ひげを蓄えたおじさんと背中を流し合ったことくらい。そんな話を今シリア人にすれば、たいていあきれられる。「君は何もわかってなかったんだな」と。

11年3月、「アラブの春」はシリアにも飛び火し、アサド政権への抗議デモが起きた。

「まるで背中に羽が生えたような気分だった。本当に、飛べそうだったんだ」

ペルシャ湾岸諸国に暮らす30代のシリア人男性に久々に再会すると、当時の興奮をそう振り返った。約40年に及ぶアサド家の支配は、情報機関が市民生活の隅々まで網を張り巡らせて監視する権威主義体制を敷いた。それが、永遠に続くと思われただけに、初めて目にするデモの光景が信じられなかった。「アサドの『終わりの始まり』だと確信した」。だが、その日の夜、家に戻った弟の言葉で我に返った。「絶対に成功しない。シリアはチュニジアやエジプトじゃない」

弟の言うとおりだった。政権はデモを徹底して弾圧。武装した反体制派との衝突から内戦に陥り、ISも台頭して泥沼化した。「今世紀最悪の人道危機」と呼ばれ、兄弟は国を逃れた。

5月中旬、難民となり、今は北隣のトルコ・イスタンブールに暮らす弟(36)に、私は会いに行った。当時、政府系機関の職員だった彼は「アサドが倒れるのを夢にまで見た。でも僕たちは小さな虫に過ぎず、踏みつぶされるだけだと思った」と語った。

首都ダマスカスの中心部

シリアの難民や国内避難民に話を聞くと、多くが10年前の反政府デモで希望を抱いたと語っていた。それだけに、彼の「冷めた見方」は意外だった。

背景には、幼少期に植え付けられた「掟(おきて)」がある。監視社会のなか、誰が見ているかわからない、余計なことは口にするなと、祖父母や両親に教育された。1980年代、中部ハマで蜂起した反体制派らが弾圧されて1万以上とも言われる死者を出した。その記憶は今も人々に生々しく残る。「心の中ですら、アサドの悪口を言うのがためらわれた。もしかしたら、心の声が誰かに聞こえてしまうんじゃないかって」

内戦への混乱から10年を経ても、670万ともされる難民が帰還できない理由には、経済や生活への不安に加えて、拘束や徹底した監視など、アサド政権の強権統治があると言われる。政権はその存在を否定するが、ドイツの裁判所は今年2月、市民らの拷問に関与したとして治安機関の元職員に「人道に対する罪」を幇助したとの判決を下した。

「生活のすべてに意見ができること。そんな人生が欲しかっただけだ」

そう語る一方で、彼は「アラブの春」の枕詞(まくらことば)になる「民主化」という言葉には違和感があるという。それぞれの勢力が自己の利益のために悪用してきたと感じるからだ。「シリアだけでなく、アラブの多くはその理念を知らない。私たちがそんな形にたどり着くには、欧米よりもっともっと長い年月がかかる」

■薄れゆく関心のなかで

シリア人らが多く集まり、地元で「シリア通り」とも呼ばれる地区。人々の会話に耳を澄ませば、アラビア語が聞こえてくる=2020年11月16日、イスタンブール、高野裕介撮影

在英の反体制派NGO「シリア人権監視団」は6月、内戦の死者数が約50万人に上ったと発表した。国連によると、東京都の人口に匹敵する規模の約1240万人が食料支援を必要としている。

でも、内戦が長期化するなか、世界の関心は薄れつつあるように私には思える。日本も例外ではない。シリアの惨状と私たち日本人との間につながりはないのだろうか? 私は久々にシリア人の友人と連絡を取った。

「なんでそんな格好なの?!」

「だって社会人だもん」

5年ぶりにZoomの画面越しに見た彼は、白いワイシャツにストライプのネクタイ姿だった。30代で今は関東地方に住んでいる。「俺、結構仕事取ってるんだよ」。最近彼女ができたらしく、「明日家に来るんだよ」と照れくさそうに笑った。彼の弾む言葉に、胸にうれしさがこみ上げた。

来日後、彼の日本観は変わった。はじめのころ、シリア出身だと言うと「怖い」「行きたくない」と否定的なイメージばかりを口にされ、ショックだった。「大変だね、という一言でなく、どうしてシリアがこうなってしまったのかという部分にも思いをはせて欲しい」

その思いの裏には、同じ頃に起きた東日本大震災がある。当時、津波や原発事故のことは中東の多くの人たちに知られた。彼自身、仙台や岩手を訪れ、着実な復興に驚かされたという。「僕は日本の10年前の出来事を知りたいと思ったから、日本の人がシリアの現状に関心を持ってくれないのは悲しい」

ただ一方で、「日本人がシリアのことを知って、何の役に立つの?」という、あきらめのような気持ちもあるという。

日本では、何でも好きなことが言えて、警察に理不尽に逮捕されることもない。反乱分子の芽を摘む独裁体制で、治安機関に逆らえないシリアでは考えられなかった世界だ。でも、実際に住むと印象は変わった。日本の人々は気を使いすぎて言いたいことも言えず、自分で自分の首を絞めている。そんな風に感じた。「センシティブな話を怖がる。自分と周囲の生活が安定していればそれで満足してしまう。そんな人たちを見ると、もしかしたらシリアとどこか同じかもって、思う」

避難民キャンプで暮らす子供たち。2019年12月ごろから戦闘が激化した際には100万人近くが避難した=2020年3月9日、シリア北西部イドリブ県カファルルシン

4時間以上の会話で、シリアの民主化は「まだ可能性がある」と彼は繰り返した。この10年で人々は「強さ」を手にしたと感じるからだ。「僕よりつらい経験をした人のことを思えば、10年前の出来事を胸を張って正しいとは言えない。でも、立ち上がる大切さを知り、強さを得たことは将来に生きる」と力を込めた。「もしかしたら、僕はシリアに帰れず日本で死んでいくかもしれない。でも、100年かかっても前に進めると信じている」

■言いたいことが言える「貴さ」

「アラブの春」が起きた10年前、日本では東日本大震災が起きた。

突然、煙が濛々と立ち上る東京の様子がテレビに映し出された。10年前のあの日、兵庫県西部の警察署で署長と雑談をしていた私は、言葉を失った。「電話に出ろよ!」。何度目かの着信にガラケーを開くと、上司の怒鳴り声が響いた。その夜、私は勤務地の神戸を発ち、車で津波に襲われた東北へ向かった。

学生時代にイスラム諸国を一人旅したことで、「いつか中東で働きたい」と思うようになった私。だが、担当する事件・事故の取材に追われる日々で正直、多くの日本の人々と同じように中東の出来事を遠くに感じていた。

18年にドバイ支局に赴任。昨年にイスタンブール支局に異動した。テロ、災害、強権統治による抑圧――。市井に生きる人々の声にできるだけ耳を傾けようと心がけてきた。

中東の人々を取材したノートを見返すと、憤りにかられる。なんて理不尽なんだ、と。

政府に不都合なことや批判を発する彼らの言葉を紡ぐとき、私たち記者は名前や年齢を掲載していいのか最後まで悩む。取材に応じてくれた彼らに不利益になってはならないからだ。今回も名前や年齢を伏せたのには、そうした理由がある。SNSでつながっていた人は万一を考え互いにリストから削除した。

そんな人々の声を聞くうちに、自分なりに分かったことがある。「アラブの春」の枕詞(まくらことば)である「民主化運動」が目指したのは、「言いたいことが言える」自由の獲得だったのではないか。もちろん単純化はできないし、「経済的な安定がなければ意味がない」というチュニジアの人々の意見も当然だ。

この10年、民主主義は逆風にさらされているように見える。中国などが権威主義的な政治体制で経済発展を遂げる一方、民主主義を旗印に掲げてきた先進諸国は社会の分断や格差拡大にあえぐ。ミャンマーでは軍事クーデターで民主化が逆戻りした。

だが、民主主義の退潮が叫ばれる今こそ、「自由にものを言えることが様々なことに通じる」というシリア人男性の言葉は、私たち日本人にも普遍的な重みを持つはずだ。

イラクやスーダン、レバノンなどではここ数年、「アラブの春2.0」とも呼べる現象が起き、多くの若者たちが世の理不尽を叫んでいる。イラクではそれを取材したジャーナリストら知人2人が暗殺。私自身、中東のある国で武装組織の「不都合」を取材して拘束され、恐怖と怒りに震えた。「言いたいことが言える」という日本では当たり前の環境が、これほど「貴い」と感じたことはない。

「アラブの春」で人々が手にしたものは、絶対に逆らえなかった相手に対して立ち上がったという事実ではないか。「2.0」が起きて、今もデモが絶えないのはその証左だ。

為政者がどんなに強権的な手段を使っても市民を黙らせることはできない。中東で一人ひとりが私に託した言葉には、そんな意味が込められていると思う。(おわり)