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ナポレオンの名前冠したケーキ、ジョージアで根強い人気 フランス文化が伝わった秘密

荻野恭子の 食と暮らし世界ぐるり旅。 更新日: 公開日:
ナポレオン=竹内章雄撮影
ナポレオン=竹内章雄撮影

連載34回 ジョージア ジョージアの菓子店に入ると、ショーケースの中に決まって目にするケーキがあります。「ナポレオン」です。サクサクのパイ生地でクリームを包んだ、いわゆるミルフィーユのことですが、なぜ、ジョージアでフランスの英雄の名前が付いた食べ物が人気なのでしょう。そのルーツを探ります。

ナポレオンの発祥はもちろん、フランスです。19世紀初頭に誕生したとされ、薄いパイ生地のミルフィーユにクリームをはさんで何層にも重ねる独特なスタイルのお菓子です。皇帝ナポレオン1世にちなんだネーミングも相まって、世界中に広まりました。

日本では「ナポレオンパイ」、もしくは「イチゴのミルフィーユ」という呼び名で親しまれています。今でこそイチゴがのせてあったり、中に入っていたりするのが主流ですが、私が子どものころにはプレーンなタイプも売れていました。

そしてジョージアでよく目にするのもイチゴがないものです。

私は1990年代初頭から2018年までジョージアを何度も訪問してきましたが、菓子店にはいつもナポレオンが並んでいました。

ジョージアの菓子店に並ぶナポレオン(中段)=荻野恭子提供
ジョージアの菓子店に並ぶナポレオン(中段)=荻野恭子提供

ジョージアで初めて食べたナポレオンは、滞在先のお母さんの手作りでした。

ペレストロイカ直後の1993年ごろ、古都カへティアに住むミラさんという方のお宅にお世話になったことがあります。

カヘティアには大小含め多くのワイナリーがあり、どの家でもジュースのようなフルーティーな自家製ワインを作っていて、がぶがぶと飲んでいたのにも驚きました。

ミラさんは当時80代のお母様と一緒に暮らしていて、彼女はとても料理が上手な方でした。私は様々な郷土料理を教わりましたが、その中にあったのがナポレオンでした。

ちなみにほかの料理は、ハチャプリ、ヒンカリー、ナスのペースト、サツィヴィ(鶏のくるみソース煮)、タバカ(鶏の開きのグリル)、ブリンチキ(キャベツの炒めたものなどを入れて、春巻きのような形にし、バターで焼く料理)といった、この国の定番メニューでした。

郷土料理のナスのペースト=荻野恭子提供
郷土料理のナスのペースト=荻野恭子提供

そうした中にナポレオンが入っていたため、私はこのケーキが特別な意味を持つのではないかと思いました。

お母様直伝の作り方で顕著だったのは、カスタードクリームではなく、卵黄の入らない白いバタークリームを使うことでした。

生地もフランス菓子店で見かけるような薄くて繊細ではなく、素朴に焼き上げた感じのものです。

フランスでは生地とバターを折り込んで重ね、層にしていきますが、ジョージアや中央アジアでは生地を薄く大きく伸ばしてバターを塗り、くるくると棒状に巻きます。それを台湾のネギ餅のように渦巻き状にしてから平らに伸ばし、層状にします。これはシルクロードに古くから伝わる生地の生成方法でもあります。

そうして焼き上がった生地を重ねてサンドします。まさに家庭のお菓子といった風情です。

他のどの場所でも味わえないさっぱりとした優しい味わいに、とりこになってしまいました。

ミラさんのお宅は、建物自体が伝統的な石造りでした。ダイニングルームの壁にはかまぼこ状にレンガが積まれ、日本の雪のかまくらをほうふつとさせる伝統様式です。

年代物のシャンデリア、凝った装飾が施されたくるみの木の重厚な食器棚も印象的で、部屋数も多く、客人も多く宿泊できる広さでしたので、一目見て裕福なお宅だと分かりました。

意匠を凝らした食器棚の上には、ロシアンティーに欠かせない給湯器サモワールがありました=荻野恭子提供
意匠を凝らした食器棚の上には、ロシアンティーに欠かせない給湯器サモワールがありました=荻野恭子提供

以前は貴族階級の方だったのでしょうか。お嬢さんはバイオリンやピアノをたしなんでいて、フランス留学の話題が会話の端々に上っていました。

「あれっ」と思ったのは、食事の支度の時でした。

慣れた手つきでテーブルをセットするお母様の様子を見ていると、フォークの歯を伏せて並べているではありませんか。カトラリーを伏せて置くマナーはフランス式です。ナポレオン同様、興味がわきました。

フランス式にフォークの歯を伏せてセッティングするお母様=荻野恭子提供
フランス式にフォークの歯を伏せてセッティングするお母様=荻野恭子提供

ジョージアがフランスの生活様式や文化の影響を受けているのは、ロシア(ソ連)が関係しています。

というのも、ジョージアはかつて、フランス文化を積極的に採り入れてきた帝政ロシアの一部だったからです。帝政、ソ連の両時代を通じ、食文化にまでフランス流が共有されるのは自然な流れでしょう。

その名残は、1991年に独立を果たした後も随所に残されています。

では、帝政ロシア時代、フランス文化はどのように浸透していったのでしょうか。18世紀初頭、ピョートル大帝は貴族や上流階級の人々に対し、西洋の習慣を身に付けるよう求めたといいます。

その一環として、パリの一流レストランで修行を積んだフランス人シェフたちが大勢呼び寄せられていました。

ロシアはフランスとは違って気候風土が厳しく、極寒の地です。たくさんの料理を一度に並べると、どれも冷めてしまい、美味しくいただくことは難しい。

そこで、食べきれる量に分けて、温かい状態で提供する「ロシア式サービス」が誕生したと考察できます。

これが「前菜、スープ、メイン料理、デザート、お茶」の流れを作ったと言われており、後にフランス料理のコースに「逆採用」されるようになりました。

ピョートル大帝に続き、18世紀末のエカテリーナ2世もまた、フランス文化を積極的に取り入れたと言われます。

東洋と西洋とのはざまにあるロシアという国を、一気に西洋化したいとの思いで作り上げたサンクトペテルブルクの街は、沼地を埋め立て、ベネチアのように運河で行き来できるよう作られました。この街が「北のベネチア」と呼ばれるゆえんです。

同時に、貴族たちはフランス語を話すことを義務付けられ、フランスのマナーを身に付けることなどが強要されたそうです。

このような背景から、ナポレオンとともに、フランス文化に関する文化や風習もまた、フランスからロシアへ、支配下にあったグルジアをはじめとする周辺国へと伝わったのだと思います。

ミラさんのお母様のテーブルウエアの並べ方は、とてもきちんとしたものでした。若い頃に身についた習慣は抜けないのでしょう。

意識しなければ気づかないような些細なことだったかも知れませんが、これを見て私は、この国がロシア(ソ連)の一部であったことを実感したのでした。

素朴なナポレオン=荻野恭子提供
素朴なナポレオン=荻野恭子提供

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ジョージアで教わったナポレオンパイ

●材料

<パイ生地>
薄力粉、強力粉 各50g
塩 少々
水 約1/4カップ
バター(室温にもどす) 70g

<クリーム>
砂糖 100g
薄力粉 20g
牛乳 1カップ
生クリーム 1/2カップ
バニラエッセンス 少々
バター(室温にもどす) 50g

●作り方

  1. パイ生地を作る。ボウルにバター以外の材料を入れて練る。ラップに包んで30分ほど休ませる。直径50㎝くらいに丸く薄く伸ばし、柔らかくしたバターを塗る。手前からくるくると巻いて棒状にしたものを渦巻き状に巻き、ラップをかけて冷蔵庫でしばらく冷やす
  2. クリームを作る。ボウルにバター以外の材料を入れて混ぜ、ザルでこして鍋に入れる。そのまま火にかけ、もったりするまで練って火を止める。冷めたらバターを加えて混ぜ、白く滑らかになるまで泡立て器でかくはんする
  3. パイ生地を焼く。1を綿棒で30×40センチ程度に四角く薄く伸ばし、表面にフォークで穴を開ける。長辺を3等分に切る。天板にオーブンシートを敷いて生地をのせ、210℃に熱したオーブンで15分ほど焼く
  4. 仕上げる。4の1枚に2のクリームを塗り、同様に繰り返して3段に重ね、粉糖をふる