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<ナゴルノ・カラバフ往還記③>暮らしの場所を地下に移す市民

ヨーロッパから見る今どきの世界 更新日: 公開日:
2020年11月3日に攻撃を受けて燃えた車。5日に持ち主が確認にきていた=ステパナケルト、国末憲人撮影

旧ソ連南部、コーカサス地方と呼ばれるナゴルノ・カラバフで昨年秋、大規模な軍事衝突が起きたのを覚えていますか。アルメニアとアゼルバイジャンとの間で約1カ月半続いた紛争は、アゼルバイジャンが事実上の勝利を収めました。数千人の犠牲者が出たこの戦争がなぜ起きたのか。戦火の下で人々はどう暮らしていたのか。戦争末期にあたる11月初め、現地に入って垣間見た実情を報告します。11月3日夜、ナゴルノ・カラバフの「首都」ステパナケルト市内でインタビューを終えて暗闇の中をホテルに向かって歩いていると、突然、空が真っ赤に。間髪を入れず大音響がとどろき、その後もしばらく爆発が連続しました。近くに着弾したのです。 (国末憲人、文中敬称略)

後日、その現場に行った。攻撃されたのは、ステパナケルト中心部の古い住宅街だった。

現地を訪れると、道ばたに駐車されていた乗用車が直撃を受けて、黒こげになっていた。奇妙なのは、被害が車だけではないことだ。すぐ北隣のビルは、車がある場所とは反対側のガラスが割れている。その隣の商店も、あらぬ方向の窓が壊れた。南側の住宅の屋根には大きな穴が開いている。あちこちで小爆発が起きたと見える。

攻撃を受けて破壊されたナゴルノ・カラバフの中心都市ステパナケルトの民家。住民は避難して無事だったという=国末憲人撮影

近所に住む女性リタ・バルセリアン(60)は「被害が散らばっているから、クラスター爆弾を使ったに違いない。この周りには軍事目標なんてないのに」と語った。確かに、攻撃当夜も、大爆発の後に小さな爆発が連続して聞こえていた。

子爆弾を周囲にまき散らすクラスター爆弾は、単に被害を広げるだけでなく、かなりの割合の子爆弾が不発弾として残る。物陰や草むらに入ったままになり、戦争終結後に子どもが触れて犠牲になるような事故が後を絶たない。

市民を巻き添えにする残酷な兵器として、NGOの主導でクラスター爆弾禁止条約が2008年に採択され、10年には発効した。ただ、アルメニアもアゼルバイジャンもまだ批准していない。今回の紛争ではアゼルバイジャン側が使用していると疑われ、国際NGOが非難していた。

2020年11月3日夜に攻撃を受けて破壊された民家。住人は地下にいて無事だったという=11月5日、ステパナケルト、国末憲人撮影

燃えた乗用車のすぐ近くにある農業大学校教師セルゲイ・ハイラプティヤン(63)宅も、同じ夜の攻撃の直撃を受け、家屋の大部分が崩壊していた。「でも、地下壕の中にいたから、家族の誰もけがをしなかった」と、片付けを始めたハイラプティヤンは語る。多くの家は、こうした爆撃に備えてシェルターを用意しているという。

「ナゴルノ・カラバフ共和国」当局のまとめによると、9月27日の開戦から11月初めまでの1カ月余の間、民間人の死者は46人、負傷者は142人に達した。現地で活動する唯一の国際機関といわれる赤十字国際委員会(ICRC)のナゴルノ・カラバフ事務所代表パスカル・アント(54)は「住民は強い恐怖感を抱いている」と心配した。

もっとも、連日の攻撃にもかかわらず犠牲者がこの数にとどまっているのは、多くの市民が生活場所を地下に移し、外出も控えているからだ、ともアントは説明する。時間が止まったような街で、人々はひっそりと、ある意味でたくましく暮らしている。

この周辺はマーケット(青空市場)にも近く、頻繁に攻撃を受けており、被害を受けて崩れた家が目立つ。その一角で、道ばたの落ち葉を掃き集めて燃やしている夫婦がいた。近くで鮮魚店を営むガリーナ・マルラロシアン(50)夫妻で、声をかけたら、自宅に招き入れてくれた。

そこには、この地域ではごく普通であろう田舎町の生活が息づいていた。母屋脇の金網に押し込められた鶏の一群がコッコと鳴き声を上げる。庭の一角にはハーブが茂り、菜園の果樹には大きな実がなっている。欧州では珍しいが、ここでは頻繁に目にする柿だ。実をむいて、庭に置いた乾燥機に入れて、カラバフ流干し柿を製造中。味見すると生っぽい。「我が国の方が甘い」と言うと、日本のように軒先につるす方法でもっと甘くできる、とのことだった。

ガリーナ・マルラロシアンさん宅にあった干し柿製造用乾燥機=ステパナケルト、国末憲人撮影

砲撃音がひっきりなしに響く中庭で、コーヒーをごちそうになった。マルラロシアンの息子(28)は鮮魚店の跡取りだが、兵士として前線に出ているという。「周りのみんなは避難してしまったけど、息子が帰ってくるから、私はここから逃げない。街にとどまる義務があります」

息子が生まれた1992年も、アゼルバイジャンとの紛争のさなかだった。「それから30年近く経って、戦争をすっかり忘れていたよ。同じことの繰り返しだね」

攻撃被害に遭った市場近くに暮らすガリーナ・マルラロシアンさん(右)夫妻。「息子が兵士として前線に出ているので、逃げずにとどまる責任がある」と語る=ステパナケルト、国末憲人撮影

「ナゴルノ・カラバフ共和国」には、議会の任命に基づく公職ながら政府から独立して調査する権限を持つ「人権オンブズマン」の制度がある。現在その職にあるのは、国際関係専門の米大学院フレッチャー・スクールで学んだ政治学博士のアルタク・ベグラリヤン(32)だ。家族を避難させて自らはステパナケルトにとどまり、地下室に寝泊まりをしながら紛争被害の調査を続けている。視覚障害者のベグラリヤンを、数人のスタッフが常時支える。

その調査によると、ナゴルノ・カラバフで攻撃を受けた集落は全体の約65%にあたる160で、家屋損壊は1万3100軒、車両破壊は約2000台。公的施設や企業の損害は2700カ所に及び、学校全220校のうち61校が何らかの被害を受けた。幼稚園10園や変電所、電話局も含まれる。

全人口約14万7000人のうち、すでに9万人が難民や避難民となってすみかを離れたともいう。

「アゼルバイジャンはイスラエル製の自爆型無人攻撃機『ハロップ』を配備しており、軍事目標を高精度で定めることができるはずです。なのに、なぜ周囲に軍事目標もない住宅地を攻撃するのか。住民に恐怖を与え、街から出て行くよう促しているのだと想像できます」

「住民がパニックに陥ると、前線にいる家族や親戚の兵士にその様子が伝わります。それは、兵士の戦う意思をそぐことにつながるからです」

ナゴルノ・カラバフ人権オンブズマン(当時)のアルタク・ベグライヤン氏。独自の調査で紛争被害の解明に取り組む。地元の視覚障害者協会の会長も務める=ステパナケルト、国末憲人撮影

そう分析するベグラリヤンは、自らの立場と活動の難しさを淡々と訴えた。

「赤十字以外の国際機関は、ここにはありません。他の機関が調査に入ろうとしても、活動を展開しようとしても、ナゴルノ・カラバフの独立が承認されていないために、アゼルバイジャンの反対によって実現しないのです。他国と直接連絡を取ることもできない。孤立した私たちは、世界とのつながりを持てないでいるのです」

ナゴルノ・カラバフは山ばかりで資源に乏しく、農業以外に大した産業も見当たらない。なぜそんな場所で血みどろの戦いが続いてきたのだろうか。(つづく)