1. HOME
  2. World Now
  3. <ナゴルノ・カラバフ往還記①>最果ての地へ、「幻の国家」目指して向かった

<ナゴルノ・カラバフ往還記①>最果ての地へ、「幻の国家」目指して向かった

ヨーロッパから見る今どきの世界 更新日: 公開日:
ナゴルノ・カラバフの象徴であるモニュメント「我らの山」。観光名所になっているが、旅行者の姿は当然ない=ステパナケルト郊外、国末憲人撮影

■世界は米大統領選とコロナだけじゃない

日本からも、私が駐在するロンドンからも、そこは最果てに見えた。

旧ソ連南部のナゴルノ・カラバフは、アジアと、欧州と、中東のはざまに位置する山岳地帯である。取材を思い立った背景には、現地の実情を知りたい意識に加え、ある種の気負いがあった。

この地域を公式に領有するアゼルバイジャンと、実効支配を続けてきた隣国アルメニアは、9月27日に武力紛争に突入した。連日の激しい戦闘で何千人もの死者が出たというのに、10月末の国際ニュースは、米大統領選と新型コロナウイルスの話題で埋まっている。それだけが「世界」じゃないだろう。この出来事を無視していいのか。

と拳を振り上げてみたものの、当方間もなく58歳。以前はイラク戦争などの取材に携わったが、近年は戦争報道から遠ざかり、最前線への従軍など体が持ちそうにない。それでも、現地の様子を知る関係者に、戦場から少し離れたところで話を聴くぐらいならできるかも知れない。

アララト山を望むアルメニアの首都エレバン=国末憲人撮影

そう考えて、当事国双方に取材を打診した。アゼルバイジャンから返事はなかったが、アルメニアは「ぜひ来てください」と即答してきた。

ロンドンから首都エレバンに飛び、関係先を回ると、ナゴルノ・カラバフの記者証を即日入手することができた。現地ではそれまで激しい攻防戦が繰り広げられていたが、数日前から小康状態になっており、「今なら車の行き来もある」という。すでに各国から400人近くの記者が取材に訪れ、遠くはニュージーランドからも1人来たというが、日本人はまだいないとのことだ。「あなたが初めてです」と、アルメニア外務省の担当者は告げた。

今さら「行かない」とは言いにくい。遠くから眺めるつもりだったのに、いつの間にか現地に入る手はずが整っていた。

■戦場取材、買い出しがカギ

夜、エレバン市内のスーパーで買い出しをする。非常灯や工具のほか、非常食も。色とりどりの干しフルーツが豊富なようだ。欧州だと果物は何より生だが、中東風に干したのをここではよく見かける。食糧確保の当てがない戦場では、閉じ込められても持ちこたえられるよう、自らの食料を準備していくのが鉄則である。

戦場取材では、食料持参が原則。出発前に、エレバンのスーパーで買い出しをする。中東と欧州のはざまにあるアルメニアでは、干したフルーツが豊富=2020年11月1日、国末憲人撮影

荷物を満載した車で、アルメニア東部の国境の街ゴリスに着いたのは、11月2日の午後だった。

「ミサイルはいつでも飛んでくる。エンジンのような音が聞こえたら、車を飛び出して伏せろ」

ゴリスを出る際、ナゴルノ・カラバフに私を導くコーディネーター兼運転手が忠告した。ここから先は戦場である。急カーブが連続する約100キロの山岳道路で、アゼルバイジャン軍の攻撃対象となっているという。

ナゴルノ・カラバフに向かう道のアルメニア領内はのどかな農村。羊の群れが行く手をふさぐ=2020年11月2日、アルメニア東部ゴリス近郊、国末憲人撮影

街を出てしばらくはアルメニア領内で、はるかな山並みを望む高原の道だ。道路際の草地からあふれ出てきた牛や羊の群れに、時折行く手を阻まれる。一見のどかな道のりだ。

しかし、その雰囲気は国境に近づくと一変した。

■ポンポンと響く音の正体

ナゴルノ・カラバフは山また山。急カーブとつづら折りの道が延々と続く=2020年11月2日、ゴリス-ステパナケルト間、国末憲人撮影

アゼルバイジャンの旧自治州ナゴルノ・カラバフは、飛び地状態で、アルメニア本土とはわずかな距離ながらつながっていない。両者の間には、アゼルバイジャン領内ながらやはりアルメニアが実効支配する深い谷が横たわる。近くにある街の名から「ラチン回廊」と呼ばれ、その谷のつづら折りを降りきったところに、「国境」検問所がある。

しかし、実際に通りかかると建物が粉々に破壊されていた。その先のアカリ川にかかる橋も一部が崩れ、迂回を強いられる。アゼルバイジャンがイスラエルから購入した最新鋭の準弾道ミサイルに狙われたのだという。

アルメニアからナゴルノ・カラバフ地域に入る途中の道路脇にあった検問所の跡。アゼルバイジャン軍の砲撃で破壊されたという=2020年11月2日、アゼルバイジャンのラチン近く、国末憲人撮影

被害を横目に、急ハンドルを切りながら車は飛ばす。山また山。つづら折りが連続し、日本になぞらえると「平家の落人伝説の村」を訪ねるような行程だ。

1時間半ほど走り、中間点のリサゴル村で小休憩を取った。標高約2000メートルの高台の集落。警備の兵士が立つ以外に人気がない。車を降りて背伸びをして、ふと気づくと、ポンポンと遠くで音が響く。砲撃だ――。

イメージでしかなかった戦争が、急に現実味を帯びてきた。

山腹を横切って開かれたナゴルノ・カラバフへの道=2020年11月2日、ナゴルノ・カラバフのリザゴル村近く、国末憲人撮影

ナゴルノ・カラバフはかつて、ソ連・アゼルバイジャン共和国の自治州だった。ソ連末期の1988年ごろ、それまで共存してきた多数派アルメニア人と少数派アゼルバイジャン人との対立が激化した。

両国がソ連から独立した1991年には全面戦争となり、アルメニアから全面的な支援を受けた自治州は同年「ナゴルノ・カラバフ(アルツァフ)共和国」として、アゼルバイジャンからの独立を宣言した。

アゼルバイジャンの国内政治が当時安定しなかったこともあり、紛争は94年、アルメニア側の勝利に終わった。「ナゴルノ・カラバフ共和国」の大部分と、「ラチン回廊」など周囲の地域は、アルメニア側の実効支配下に入った。その地域に暮らしていたアゼルバイジャン人の多くは、国内避難民となって退避せざるを得なかった。

アカリ川にかかる橋。アゼルバイジャン側からのミサイル攻撃で一部が破壊され、通行止め=アゼルバイジャンのアルメニア支配地域ラチン近く、2020年11月2日、国末憲人撮影

以後、四半世紀あまりが経つ。この間に小競り合いは何度も起きたが、全面的な衝突はなく、「凍結された戦争」と呼ばれていた。アゼルバイジャンにとって、今回は失地を回復しようと満を持して望んだ戦いだった。

「ナゴルノ・カラバフ共和国」は、日本を含むほとんどの国から存在を認められていない幻の国家である。その領内をたどって約3時間。山道が途切れた先の眼下に、「首都」ステパナケルトが姿を現した。(つづく)

ステパナケルトの中心部。都市計画に沿ってつくられた新しい街で、1990年代の紛争で一度破壊された後に復興された=国末憲人撮影