関西を拠点に、長年にわたって映画の配給・宣伝に携わってきたキノ・キネマ代表の岸野令子さんの私的な映画史「ニチボーとケンチャナヨ 私流・映画との出会い方2」(せせらぎ出版)が今月出版された。
ニチボーはロシア語、ケンチャナヨは韓国語(朝鮮語)で、「大丈夫」「心配ない」「気にするな」といった意味だ。岸野さんが特に関心を持つこの二つの言葉の国と民族の映画を中心に書かれている。
岸野さんは1970年から89年まで全大阪映画サークル協議会事務局に勤め、89年に映画パブリシストとして独立、94年に配給・宣伝の会社キノ・キネマを立ち上げた。今回の本は、91年から始まり、ここ30年、岸野さんが参加した国内外の映画祭や、映画にまつわる旅の記録だ。その時々に書いたものを一冊にまとめた。
私が岸野さんに出会ったのは、2013年、朝日新聞大阪本社で文化担当記者だった頃。ぬっと現れて、「これおもしろいよ」と、商売っ気なく映画を売り込む岸野さん。少し話せば韓国映画にとっても詳しいことはすぐに分かった。岸野さんが手がけるのは大手がやらない作品だ。「他にやる人のいない作品。でも、ぜひ見てほしいと思う作品をやってきた。会社は赤字になっても有意義なことだと思っている」と話す。
例えばイ・ジュンイク監督の「金子文子と朴烈」(2017)は、韓国では好評だったが、なかなか日本の配給が決まらなかった作品の一つだ。日本の皇室批判に関わる部分があったのが、その理由だろう。結局、太秦とキノ・キネマが共同配給した。韓国のタイトルは「朴烈」だったが、実際に映画を見ると朴烈のパートナーの金子文子が、朴烈に勝るとも劣らない存在感で出てくる。金子文子を演じたチェ・ヒソは韓国の俳優だが、日本で暮らしたことがあり、日本語のセリフも自然だった。韓国では金子文子役で多数の新人賞を受賞した。そんな経緯もあり、日本のタイトルを「金子文子と朴烈」に変え、宣伝にチェ・ヒソが来日して多くのインタビューを受けた。一部の映画館には右翼が街宣に来て上映を妨害する動きもあったが、大きな影響はなかった。話題作となって全国50館ほどの映画館で上映できたのは、宣伝の工夫が奏功したようだ。
岸野さんは、1996年に始まった釜山国際映画祭にもほぼ毎年参加している。最初の参加は97年で、「アジア映画の窓」部門では北野武監督「HANA-BI」が一番人気だったと書いている。この頃は日本の大衆文化が韓国で開放される直前で、韓国の映画ファンは映画祭でしか日本映画が見られなかった。この年、韓国映画ではチャン・ユンヒョン監督の「接続 ザ・コンタクト」がヒット中だったようで、主演のハン・ソッキュについて「今いちばんの売れっ子」と書いている。この後カン・ジェギュ監督の「シュリ」(1999)でハン・ソッキュが主演し、韓国で大ヒット、日本でも韓国映画として初めてのヒットを記録した。
この本を通し、日韓の映画交流史や、90年代後半から目覚ましい発展を遂げた韓国映画の軌跡も見えてくる。
もう一つ、注目すべきは岸野さんが早くから韓国の女性監督や女性を描いた映画に目を向けていたことだ。特に、チョン・ジェウン監督、イム・スルレ監督とは友人としての付き合いが続いている。
チョン監督は「子猫をお願い」(2001)で知られ、中山美穂、キム・ジェウク主演の「蝶の眠り」(2018)などの作品がある。「子猫をお願い」は同じ高校を卒業した5人の女の子の青春映画で、ペ・ドゥナが主演した。それぞれ社会に出て様々な壁にぶつかりながら、時々集まってワイワイ騒ぎ、新たな道を模索する。岸野さんは2001年の釜山映画祭でこの作品に出会い、「久しく出会わなかった女性による女性のための女性映画だった」と書いている。日本公開時にはキノ・キネマが宣伝を手がけた。
岸野さんがイム監督と出会ったのは、2003年の釜山映画祭で「もし、あなたなら~6つの視線」が上映された時だ。イム監督のほか、チョン監督、パク・チャヌク監督ら6人の監督が撮った短編6本のオムニバス。イム監督は、「彼女の重さ」で女子高校生が就職にあたって外見で評価される問題を描いた。国家人権委員会が製作し、人権をテーマに教育問題や障害者問題などを風刺したオムニバスで、日本ではシネマコリアとキノ・キネマが配給した。
イム監督は、「ワイキキ・ブラザーズ」(2001)で注目を浴びて以来、「私たちの生涯最高の瞬間」(2008)、「リトル・フォレスト 春夏秋冬」(2018)など、最も息長く韓国映画界で活躍を続ける女性監督だ。今年公開予定の「交渉」はヒョンビンとファン・ジョンミンが主演し、ドラマ「愛の不時着」でヒョンビン人気に火がついた日本でも期待を集めている。
現在日本で上映中のキム・チョヒ監督の「チャンシルさんには福が多いね」(2020)も、リアリーライクフィルムズとキノ・キネマの共同配給。女性監督、女性主演で好評を得ている映画の一つだ。
「ニチボーとケンチャナヨ」の最後のコラムも「時代の変化を象徴する韓国女性監督の活躍」で締めくくられている。映画は時代の鏡。岸野さんが見聞きした30年の映画の旅を追体験させてもらった。