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ナイキCMにまつわる騒動が私たちに問いかけたもの

ニッポンあれやこれや ~“日独ハーフ”サンドラの視点~ 

先々月に発表されたナイキのCM【動かしつづける。自分を。未来を。The Future Isn`t Waiting.│Nike】では、外国にルーツのある学生3人が自らのアイデンティティーについて葛藤を抱えながら、スポーツ(サッカー)を通して状況を打破していくストーリーが展開されました。そのなかで外国にルーツを持つ生徒に対する日本の学校でのいじめやインターネットでの中傷も描かれていたことから、これが賛否両論を巻き起こしました。ナイキのCMについて、なぜ論争が起きたのか。今回、その背景にあるものを考えてみたいと思います。

「日本人全員が加害者として描かれている」という批判

CM動画が発表された直後からSNSでは「これでは、まるで日本人全員がいじめを行っているみたいだ」「日本人全員が加害者であるかのような描き方はどうかと思う」という批判も多くみられました。

確かに動画は「イジメを受ける側の外国人(または外国にルーツのある人)」VS「イジメをする側の日本人」という構図になっています。しかし日本に外国人または外国にルーツのある人がいじめを受けているという事実は確かに「ある」のです。ナイキのCMはその事実にスポットを当てただけともいえます。

もちろん日本の社会で、外国人の子供や外国にルーツのある子供「全員」がいじめられているわけではありません。しかしその一方で一部の子供が「いじめられている」という問題が昔からあるにもかかわらず、そのことにスポットが当たる機会はあまりありません。マイノリティーである上にイジメに遭っていれば、その立場上、声は上げにくいものです。また実際に声を上げても、たちまちどこからか「イジメを乗り越えることで強くなれるはず」と精神論を唱える人が出てきたり、周囲の大人たちが「あなたの考え過ぎ」「あまり悩まないほうがいいんじゃないの?」といった具合に問題を過小評価してしまうことが少なくありません。

そういった経験をした子は、その後更に声を上げにくくなりますが、声を上げる人が少ないからといって、いじめや差別がなくなったわけではありません。差別やいじめはマジョリティーである日本人側からは「見えにくい形」になっているだけとも言えます。

他の先進国と比べると、日本では外国人の数が少ないこともあり、マイノリティーの声が届きにくく、その結果「マジョリティー側の感覚」が「当たり前」だとして世間で幅をきかせている現状があります。「差別を身近に感じる」人の数が少ないため、「日本の社会にも差別がある」ことを意識していない人が多いのではないでしょうか。

そういった状況のなか、企業がマイノリティーにスポットを当て差別問題を扱うことはあまりありありませんでした。CMの中心となっているのは、常にマジョリティー側だと言っても過言ではありません。そう考えると、ナイキのように逆に「マイノリティーが抱える問題」にスポットを当てたことは画期的だったといえるでしょう。むしろ、そういったCMがなかった今までの状態はバランスの悪いものでした。

「企業が社会問題を取り上げるべきではない」という考え方

ナイキのCMへの反発の声のなかには「社会問題について声を上げるのはいいけれど、それは企業がやるべきことではないのでは?」という声もあります。企業は商品を売ることを目的としているため、そのことに専念するべきであり、政治的な話題や社会問題を取り上げるべきではないという考えです。

しかし世界では米ナイキが過去にも社会派のCMを製作しています。2018年、米ナイキは、警察による黒人への暴力に抗議するため2016年のNFLの試合で国歌斉唱の際に起立をしなかったコリン・キャパニック氏をCMに起用しました。見方によっては政治的ともいえるこのCM起用についてアメリカでは批判の声も多く、一時期はナイキ不買運動も起きました。しかしCMが公開された直後の週末のネット販売は前年の同時期と比べて31%も増加しました。つまりマーケティングの面でこのCMは大成功を収めたわけです。

その背景には、アメリカのナイキの重要な購買層に、差別の対象となりやすい有色人種や移民の若者も多く含まれていることが関係しているので、日本の社会と単純に比べられるものではないかもしれません。

ただ前述通り、日本に外国人や外国にルーツのある人への差別は「ない」わけではなく「見えない」だけなので、ここを「見えるようにした」ナイキのCMは、少なくとも外国にルーツのあるマイノリティーには勇気を与えるものでした。

差別について「誰が・いつ」発信すればいいのか?

「企業が政治的なことや人種差別などの社会問題について発信するのはどうかと思う」という意見の背景に「発信はそれに適した人がすべき」という考えがあるのだとしても、前述の通り「当事者の発信」は難しいことが少なくありません。

法務省が明らかにしているように日本社会に人種差別は存在しているのですから、全員が「差別は存在する」ということを前提に考える必要があり、場合によっては差別に抗議することが求められます。抗議の手段として、デモをすることも可能ですが、コロナ禍の今はそれが難しくなっています。

そう考えると、差別について発信する「タイミング」だとか「誰が発信するか」ということにあまりにこだわっていると、いつまで経っても誰も何も発信できないことになりかねません。ナイキのCMはそういった風潮に一石を投じた形になったのではないでしょうか。

「自分は差別を目撃したことがないから、差別はない」という解釈の危うさ

ナイキのCMにはチマチョゴリを着て歩く女性が出てきます。神戸市会議員の岡田ゆうじ議員はナイキのCMが公開された直後に「というか、わが選挙区の垂水区に朝鮮学校があるが、チマチョゴリで通学してる子なんて、見たことない… #火のない所に差別 #NIKE #NIKEの印象操作に抗議する」とツイートしました(現在は削除)。ただ同氏が「チマチョゴリで登校する子を見たことがない」理由はかつてのチマチョゴリ切り裂き事件と無関係ではありません。民族衣装を着用することで暴力を受ける恐れがあるため「自由に着られない」状況があることを考慮すべきでした。

CMに出演しているチマチョゴリを着ている女性について、実際に「どこの学校に通っているのか(日本の学校か、それとも朝鮮学校か)」など憶測の投稿が飛び交いましたが、「CMに出演している俳優が実際にどの学校に通っているか」など実生活を探ることに意味があるとは思えません。スナック菓子のCMに出ながら実生活では体型維持のためにスナック菓子など一切口にしない女優さんはゴマンといます。

……話がややそれましたが、いじめや差別は時に巧妙な形で行われることも多いので、「自分が見たことがないから」という理由で「自分の周りに(イジメや差別は)ない」と言い切ることには慎重になったほうがよいでしょう。

ところでBLM運動が盛んだった昨年、日本でも東京を中心に「黒人の命は大切」運動のデモが行われました。それに対して当時は「アメリカや欧米の差別問題を日本に持ち込まないでください!」という内容の批判を頻繁に聞いたものです。しかし今回ナイキが「日本国内の差別問題」を扱った途端、今度は「欧米と違って日本には差別なんてないのに、こんなCMを作るなんて……」というリアクションが見られました。「差別はある」と認めた上で「どのようにしたら状況が改善されるのか」を考えることは、それほどまでにもハードルが高いことなのでしょうか。

1月21日(木)の20時から星野ルネさんと一緒に「ナイキのCMが投げかけたもの」というテーマについて、お話しします。オンライン配信のお申込みはこちらです。