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グーグルの姉妹会社はなぜ撤退したか トロントで挫折したスマート・シティ  

小笠原みどりの「データと監視と私」
アルファベット社の子会社、サイドウォーク・ラボがスマート・シティ建設を予定していたカナダ・トロントのウォーターフロント地区=2019年4月3日、ロイター

5月末に日本の国会で「スーパーシティ」法案なるものが成立したことを、どれだけの読者がご存知だろうか? 自民、公明、日本維新の賛成によって、このヘンテコな名前の法律が参議院で可決された5月27日といえば、ほんの2日前に新型コロナウィルスによる緊急事態宣言が解除されたばかりで、世間の政治への関心はコロナ対策と検察庁法改定案に集中していた。言ってみれば、待ったなしのコロナ対策を差し置き、批判を集めた検察幹部の定年延長問題の影に隠れて、政府がこっそり採決したのがこの「超都市」法だ。

最新技術が社会問題を解決?

この和製英語の意味するところは、英語圏ではもっぱら「スマート・シティ」と呼ばれてきた。「スマートホン」や「ビッグデータ」と同じで、厳密な定義はなくイメージが先行しているが、注意すべきは、現代で「スマート」(賢い)と呼ばれるものの大半は、電子的な監視が介在しているという点だ。

スマート・シティは、そこに住む人たちや、通勤、観光などで訪れる人たちの携帯電話やパソコンなどから収集したビッグデータと、そのビッグデータを分析して開発した人工知能(AI)を介在して都市を運営する。人々の動きに応じて効率的で環境に優しいエネルギー消費を目指し、最新技術によって都市問題、社会問題を解決することを約束する。日本のスーパーシティ構想は、自動運転、キャッシュレス、ドローン配送、遠隔医療、遠隔教育の実現などを掲げている。技術が込み入った問題を簡単に解決してくれる、夢のような未来を想像する人もいるかもしれない。

が、コロナ下で「不要不急」だったこの法案を、政府が火急に成立させたのは、実は、世界中の注目を集めていたあるスマート・シティ計画がほぼ時期を同じくして無残にも挫折したからではないか、と私は勘ぐっている。鳴り物入りで始まった計画がプライバシー侵害の危険性から失速したと日本に伝われば、すでに一度廃案になっていた法案を通すことはますます困難になると焦ったのではないか、と。

儲からないから撤退

このスマート・シティ計画の場所は、私が暮らしているカナダ・オンタリ州最大の都市トロントのウォーターフロント地区(12エーカー、約48,500平方メートル、東京ドーム1個分)。計画を手掛けたのは、世界的なIT企業グーグルの親会社アルファベットの子会社、サイドウォーク・ラボ。グーグルの姉妹会社が、まだ何も建設されていない更地で一からまちづくりをするとあって、IT業界はもちろん、都市計画、土地開発、建築、建設の分野でも期待と関心が高まった。

カナダ・トロントのスマート・シティ予定地にあるオフィス=2020年5月7日、ロイター

実際、2017年10月にカナダ政府、オンタリオ州、トロント市でつくる事業主体「ウォーターフロント・トロント」がサイドウォークを再開発の担い手として選んでから、同社は人々がうっとりせずにはいられないような案を次々と提示してきた。最新技術を駆使した木造建築、冬には暖かいタイルの歩道、ゴミを仕分けるロボット、地域まるごとアクセスできるインターネット、交通量に応じて動く交通機関など。地価が高騰しているトロントで、手頃な価格の住宅を設計するというのも目標の一つだった。まさに環境に優しく、エネルギー効率のいいスマート・シティを世界に先駆けて実現するかに見えた。

ところが、コロナ危機まっただなかの5月7日、サイドウォークはトロントからの撤退を突然表明した。ダン・ドクトロフCEOはその理由をこうコメントした。

 「真に誰をも受け入れる、持続可能な共同体をつくるために私たちがウォーターフロント・トロントと計画した内容のうち、核心部分を犠牲にせずに12エーカーの土地開発を財政的に成り立たせることは難しくなった」

コロナで計画の先行きが読めなくなったことも理由とされたが、つまりはアルファベット・グループ全体にとって十分な収益が見込めなくなったので降りる、という訳だ。

儲かりそうもない、となぜ判断したのか。サイドウォークは19年6月、予定より大幅に遅れて「マスター・プラン」を発表したが、ここで当初の約16倍、190エーカーに対象地区を広げると提案し、自治体側を驚かせた。結局、自治体側の説得に応じて拡大案を引き下げたが、ドクトロフCEOはそれ以来「12エーカーで収益を出す」ことの困難を言い続けた。計画を大規模化し、広範囲にわたって住民データを収集しなければ、データを元にAIや商品を開発する企業側は儲からない、というわけだ。

トロントのスマート・シティ計画を発表したアルファベット社による記者会見の前に、子どもたちが作った町のモデルを見て微笑むカナダのトゥルードー首相(左)とサイドウォーク・ラボ社のドクトロフCEO) =2017年10月17日、カナダ・トロント、ロイター

本当のねらいは個人データ

しかし、この住民データの大規模収集こそが、実際には計画を袋小路に追い込んでいた。夢のような案をどうやって実行に移すのかという段階で、街中に電子センサーを張り巡らせ、人々のスマートホンを追跡し、誰とどこで何をしているのかという個人データを集めることが判明したのだ。市民からは、監視都市の実験台にされるのはまっぴらと、すぐさま「ブロック・サイドウォーク」(「歩道を封鎖せよ」の意味)などの反対運動が起こった。オンタリオ州の前プライバシー・コミッショナーとして知られるアン・カブキアン氏は「センサーは24時間動き続けて個人が識別できるデータを収集し、人々はそれに同意したり拒否したりする機会がない」とサイドウォークの相談役を辞任した。弁護士らがつくるカナダ自由人権協会は、プライバシー侵害の訴えを起こした。携帯端末ブラックベリー 社の元共同代表ジム・バルシリー氏も、本人の同意を得ない大量データ収集を批判した。

その結果、カナダのトゥルードー首相も同席した華々しいスタートとは裏腹に、計画への失望が広がっていった。「サイドウォークは口ばかりで、実現できなかった。約束を実行するための詳細があいまいだった」と語るトロント市議や、「サイドウォークが産んだものは驚くほど少なかった。経営困難に陥った、両手で数えるほどのスタートアップ企業と、失敗した土地開発の展示場だけ」というスマート・シティ専門家の厳しい言葉を、全国紙グローブ・アンド・メールは報じた

データが集まらない=儲からない=撤退という企業の論理によって、トロントの都市問題は放置された。本来なら、国や自治体が責任を持つべき住宅供給や交通機関の改善は、個人データの収集を目的とする企業が請け負ったことで難航した。ビッグデータなどあえて絡ませず、正面から住宅と交通の改善に取り組んでいたなら、少なくとも2年半の膨大な経費とエネルギーは無駄にならなかったろう。ある建築批評家は「トロントからサイドウォークが去った今こそ、スマートになろう」と題した文章で、こう書いた。「私たちにとって朗報なのは、全方位のデジタル監視塔や複雑なこと抜きでも、サイドウォークが示した基本的な問題は解決できるということだ」

おそらくこれこそ、スマート・シティ計画を推進する企業・政府が最も隠したい真実ではないだろうか。都市問題はビッグデータなしでも取り組める。問題の所在を明らかにしたいなら、人々をスパイしなくても、人々の声を聞けばいい。スマート・シティは、往々にして住民ではなく、企業の都合を優先させている。

住民のための技術でなく、技術のための住民

日本のスーパーシティは、トロントよりあからさまに新技術の実験場として提案されている。自動運転、キャッシュレス、遠隔医療、遠隔教育、ドローン配達を本当に望んでいる住民はどれだけいるだろうか? 医者に対面で診察してもらうよりも、ビデオチャットの方が安心できるという患者や、教室で友人と一緒に勉強するよりも、録画された授業を一人で受けたい学生が、大勢いるとは考えにくい。人々の願いとは掛け離れた未来が、新しい商品を売りたい企業と、低コストで人々を管理したい政府の視点から設計されているのだ。住民のために技術が使われるのではなく、技術のために住民が使われる。トロント市民たちは、この本末転倒を見抜き、拒否したといえるだろう。

ビッグデータとAIが都市問題、社会問題を解決する、というスマート・シティの大風呂敷はトロントで剥がれた。だが、日本では候補地の選定が進み、あなたの街も実験室にされるかもしれない。その背後には、私たちの生活の細部にまで入り込んで市場を開拓し、購買を促したい現代の「監視資本主義」が潜んでいる。次回はそこにまで踏み込んで、対処法を考えよう。