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ベラルーシの民主化を牽引する地域は? ウクライナとの比較考察

迷宮ロシアをさまよう
東ベラルーシ・モギリョフの行政府庁舎。両大戦間期に、ミンスクが対ポーランド国境に近すぎることを懸念したソ連当局が、モギリョフへの遷都を想定し建てたいわくつきの庁舎。いかにもソ連というテイスト(撮影:服部倫卓)

ベラルーシはロシアの「保護国」に成り下がるのか

本連載でこのところずっと取り上げているベラルーシ情勢は、どうも憂慮すべき方向に進んでいるようです。ロシアの全面バックアップを受け、ルカシェンコの恐怖政治が当面延命されるという見通しが強まってきました。

ただ、それはルカシェンコ体制がこれまでと同じように続くということは意味しないでしょう。ルカシェンコは従来、ベラルーシの主権をロシアに譲り渡すことには、頑として抵抗してきました。しかし、ここ何日かの動きを見ていると、支援と引き換えに、ロシアに無条件降伏したような印象です。果たしてベラルーシはこのまま、一人の男の保身だけのために(そのルカシェンコにしてもいずれお払い箱になるでしょう)、ロシアの「保護国」に転落してしまうのでしょうか。

本稿を執筆している9月6日の時点では、依然として事態は流動的であり、目先の情勢分析などはすぐに陳腐化してしまいそうです。そこで今回も、ベラルーシ情勢を理解するための基本的なところについて解説したいと思います。この連載では8月25日に「2020年のベラルーシと2014年のウクライナはこんなにも異なる」というコラムをお届けしました。その時には割愛した「地域」という観点から、改めてベラルーシとウクライナを比較してみたいと思います。

「東のナントカ、西のナントカ」は信じるな

ウクライナ情勢について、日本のマスコミなどで取り上げられる際に、必ずと言っていいほど語られるのが、ウクライナにおける東西のコントラストという言説です。「東の親ロシア、西の親EU」、「東の重工業地帯、西の穀倉地帯」、「東のロシア語、西のウクライナ語」、「東の正教、西のカトリック」などというのが、お決まりのフレーズです。

はっきり言って、あまりに的外れであり、どこからツッコんでいいのか、途方に暮れてしまいます。ウクライナについての解説で、東のナントカ、西のナントカという紋切型の話が出てきたら、その時点でもう読む価値はないというのが、筆者の持論です。

だいたい、専門家の間では、現代ウクライナの政治・経済・社会分析で、東・西などという雑な区分が用いられることは、まずありません。シンクタンクによって微妙に異なりますが、少なくとも4つくらいのマクロリージョンに区分するのが常識です。上に掲げたのはその代表例であり、ピンク色が西部、黄色が中部、緑色が南部、青色が東部という区分になっています。

ちなみに、21番がロシアによって併合されてしまったクリミア自治共和国、22番が軍港都市として特別市になっているセバストーポリ市です。ドンバス紛争に揺れているのが、26番のドネツク州と27番のルハンスク州。首都キエフは11番の丸の位置です。

さて、18番は有名な港町オデッサを中心としたオデッサ州です。地理的には、西寄りに位置しており、EU圏のルーマニアとも隣接しています。しかし、この州はバリバリのロシア語圏であり(ただし非常に特徴的なロシア語で「オデッサ語」などと呼ばれることもある)、「西のウクライナ語」などという言説は一瞬で崩れ去ります。

非常に興味深い存在は、ウクライナの中で最も西寄りに位置している6番のザカルパッチャ州です。この地域ではハンガリー系の住民が多く、過度なウクライナ・ナショナリズムへの警戒感が強いため、かつてはウクライナ民族派の政党よりも、親露とされるヤヌコービッチの地域党の方が優勢だったほどです。ウクライナの地域は多様で複雑であり、西へ行けば行くほどウクライナ語一色などというわけではないのです。

ザカルパッチャ州のウージュホロドにあるカルバン主義の改革派教会。ハンガリー語とウクライナ語の礼拝が別々に行われているようであり、それぞれの言語でその開催時間が記されている(撮影:服部倫卓)

ウクライナ・ナショナリズムを牽引するガリツィア地方

一般にイメージされる「西ウクライナ」の特徴とは、ウクライナ語が支配的であり、カトリックの影響が強く、強烈な反ロシア感情を抱き、EUへの統合を志向する、といったところでしょう。それに典型的に合致するのは、地理的な西ウクライナの中でも、ガリツィア(ハリチナー)地方にほぼ限られます。上の地図で言えば、1番のリビウ州、2番のイワノフランキフスク州、3番のテルノーピリ州がその領域に該当します。

ガリツィアは、1772年の第1次ポーランド分割により、ロシアではなく、ハプスブルク帝国に組み込まれました。20世紀となり、第1次世界大戦後も、ソ連ではなくポーランドの版図となります。ガリツィアがロシア/ソ連の支配下に組み込まれたのは、ようやく1939年のことでした。それゆえガリツィアでは、ロシア/ソ連では圧迫されがちだったウクライナ語と「ユニエイト教会」が、命脈を保ったのです。なお、ユニエイト教会は、16世紀に正教会とカトリックを折衷して生まれた宗派であり、ギリシャ・カトリック、東方典礼カトリック教会などとも呼ばれます(ウクライナではローマ・カトリック教徒はごく少数)。

ソ連時代の末期に、ウクライナ・ナショナリズムが高まりを見せ、ウクライナ独立およびソ連邦の崩壊をもたらします。その際に、まるでタイムカプセルのようにウクライナの民族的アイデンティティーを守り続けてきたガリツィア地方が果たした役割は、非常に大きなものでした。そして、ガリツィアはウクライナ独立後も常に、ロシアとは一線を画す独自のウクライナ国民国家を建設するという路線を牽引してきたのです。

ガリツィア地方の中心都市、リビウの旧市街はユネスコの世界文化遺産にも登録されている(撮影:服部倫卓)

ベラルーシの地域概況

さて、それではベラルーシの地域事情はどうなっているでしょうか。ウクライナのガリツィアのように、民族・国民理念を主導するような地域は、ベラルーシにはあるでしょうか。

ベラルーシには7つの地域が存在し、その区画地図は下に見るとおりです。ベラルーシでは、首都のミンスク市こそ他を圧する大都市であるものの、その他の6つの州は人口も経済力も、どんぐりの背比べです。ウクライナのドネツク州のように、かつてその政治・経済パワーで国全体を動かしたというような、そういう突出した地域はありません。

強いて分類すれば、グロドノ州とブレスト州が西部であり、ビテプスク州、モギリョフ州、ゴメリ州が東部ということになるでしょう。ベラルーシにも、東西のコントラスト的なものは、一応は見て取れます。グロドノ州はポーランドとの繋がりが深く、住民の25%はポーランド系であり、ベラルーシで唯一、正教よりもカトリックが優勢な地域となっています(ウクライナのギリシャ・カトリックと違い、こちらはローマ・カトリック)。それに対し、前回の「ベラルーシの農村にルカシェンコ独裁のルーツを見た」で触れたとおり、東部のモギリョフ州はルカシェンコが足跡を残した地域であり、それも納得という土地柄です。

筆者がベラルーシの各地を訪ね歩いた経験からも、西ベラルーシが中東欧的な雰囲気を漂わせているのに対し、東ベラルーシではいかにもソビエトという情景が広がっています(冒頭の写真も参照)。両大戦間期にポーランド領だったベラルーシ西部と、早くからソ連体制に組み込まれたベラルーシ東部・中部とでは、違いがあることは事実です。

ベラルーシにはガリツィアがない

遺憾なことに、ベラルーシでは過去数年、まともな世論調査ができない状態が続いてきました。ベラルーシの東西で、ルカシェンコへの支持の度合いや、対ロシア統合についての意識にどのような違いがあるのかということを、知るすべがほぼ存在しないのです。

そうした中、注目すべきことに、2019年にロシアのモスクワ国際関係大学の研究者らが、ベラルーシ国民の対ロシア統合に関する意識を調査しました。この調査で、どのようなロシアとの関係を望んでいるかを問うたところ、57.6%が「連合関係」、31.8%が「パートナー関係」、10.2%が「中立的関係」、0.2%が「敵対的関係」を望んでいるという結果となりました(0.2%が回答困難)。

「連合関係」というのは、二国間で国家連合を形成し統合を進めていくことを意味します。筆者の感覚から言うと、ベラルーシにおける対ロシア統合の支持はそこまで高くはなく、特に現在は国民の意識が高揚しているので、統合熱はさらに下がっているはずです。モスクワ国際関係大学による調査は、7,000以上の電話をかけてようやく500の回答を得たということであり、回収率の低さゆえにバイアスが生じたのかもしれません。

それでも、この調査で興味深いのは、地域別の回答状況も示されている点です。それをまとめたのが、下表になります。これは、なかなか衝撃的なデータではないでしょうか。EUに隣接している西のブレスト州やグロドノ州で、対ロシア統合へのかなり高い支持があります。逆に、ロシアと隣接したビテプスク州、モギリョフ州の数字は、全国平均より低くなっています。結局のところ、ベラルーシにおいてはウクライナのような地域による対ロシア関係の意識の違いは見られず、首都ミンスクVS地方という差しかないのだというのが、この調査の結論となっています。

面白いのは、現実のロシアとの関係は、地理的条件によって左右されていることです。すなわち、「しばしばロシアに出かける」という回答者は、ロシアと国境を接する東ベラルーシに多く、西ベラルーシには少ないという結果が出ています。対ロシア統合に関する意識が、そうした実際のロシアとの繋がりに左右されていないとしたら、なかなか不可思議な現象です。

今日の反ルカシェンコ運動は全国的

このように、ベラルーシでは、首都ミンスクを除くと、ベラルーシ・ナショナリズムや民主化運動を牽引するような有力な地域が、存在しません。ルカシェンコが正教寄りなので、カトリック地帯のグロドノ州に期待をしたいものの、どうもそこまでのパワーは感じられません。実は、歴史的に見ると、ベラルーシ・ナショナリズム揺籃の地はビルニュスという街だったのですが、ビルニュスはベラルーシではなくリトアニアの首都になりました。

他方でベラルーシには、ウクライナにおけるクリミア自治共和国のように、ロシア系住民が過半数を占めるような特殊な地域はありません。クレムリンは、周辺国のロシア語系住民の親ロシア感情に訴えて分離主義運動を焚きつけるのが得意技ですが、ベラルーシは国全体がロシア語圏のようなものなので(もちろん民族独自のベラルーシ語もある程度は根付いていますが)、そういう分断工作はできないでしょう。「モギリョフ人民共和国」の類をでっち上げて揺さぶりをかけるといったことは考えにくいと思います。ベラルーシは国全体が比較的均質なので、もしもロシアが本気でベラルーシに介入しようとすれば、国全体を支配下に置くしかありません。

確かにベラルーシには、首都ミンスク市以外には、民族主義・民主主義の強力な地盤は見当たりません。しかし、それだけに、今日の反ルカシェンコ運動は、多少のグラデーションはありながらも、全国的な広がりを見せていると感じます。

西ベラルーシのグロドノにあるカトリック聖堂(撮影:服部倫卓)