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【吉田都】新国立劇場の芸術監督に就任、コロナ禍で自分に言い聞かせた言葉

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新国立劇場オペラパレスの扉の前に立つ吉田都さん。9月1日に同劇場バレエ団を率いる舞踊芸術監督に就任した=鬼室黎撮影

新型コロナウイルスの感染拡大が収まらず、不安を抱えた日常生活が続いています。どうすれば視界は開けてくるのでしょうか。ヒントを求めて、連載「突破する力」にこれまでに登場した5人を再訪し、その「突破哲学」に迫りました。
1人目は、世界三大バレエ団に数えられる英国ロイヤルバレエ団で日本人女性初の最高位ダンサー「プリンシパル」を長年務めた吉田都さん(54)。9月1日、新国立劇場バレエ団を率いる舞踊芸術監督に就任しました。その準備を進めていた矢先、新型コロナ禍に見舞われました。現役時代、精緻(せいち)なテクニックと豊かな表現力で「ロイヤルの至宝」とたたえられた吉田さんは突然の試練にどう向き合ったのか。インタビューを進めると、豊富な経験に裏打ちされた、揺るがぬ信念が見えてきました。(聞き手・構成 渡辺志帆)

【企画特集】ブレイクスルーはここにある コロナに向き合う私たちの「哲学」

  1. 吉田都さん「コロナ禍で自分に言い聞かせた言葉」(9月2日配信)
  2. 為末大さん「苦しい時は自分の心を観察する」(9月3日配信)
  3. 大江千里さん「いつか来る収穫の日のために」(9月4日配信)
  4. 尾畑留美子さん「環境を変えられないなら、自分を変える」(9月5日配信)
  5. 山田拓さん「クールな田舎を作る 目標は揺るがない(9月6日配信)

連載「突破する力」はこちらでお読みいただけます。

■踊れない日々「私が現役ならパニック」

――新型コロナウイルスの広がりで、新国立劇場バレエ団にはどんな影響がありましたか。

自粛期間中、70人の団員はずっと自宅で稽古していました。劇場に戻ってこられるようになってからは、とにかく「密」にならないように、少人数を徹底しています。普段なら数十人がいっしょに稽古するところ、約10人ずつの八つのグループに分けました。当初は、劇場に入りきらない団員のためにオンラインで稽古を配信し、私は自宅から参加していました。私は普段は稽古をつけることはしないのですが、こんな事態になっては、やるべきだと思い、何回か教えました。

――これほどの空白期間は、ご自身もあまり経験がなかったことでしょうか。

もし私が現役だったら、きっとパニックですね。これだけ長い間、舞台に立てないと、どうやって体を戻したらいいんだろう、と。どれだけスタジオでリハーサルを重ねても、1回の本番にはかなわないものです。にもかかわらず、今回はスタジオでの稽古さえできていない状態だったので、本当にもしこれが自分だったらと思うと、途方にくれてしまう感じがします。

――バレエは一日一日の稽古の積み重ねが大切だそうですね。

その通りです。私も現役時代、日曜はお休みにしていたんですけれど、月曜にはいつも体の感覚が変わってしまうんです。若い頃は、多少長く休んでも筋肉痛を我慢すれば戻れるくらいで、そう大変でもなかったのですが、年齢を重ねると、休まず踊っていた方が楽でした。体を休めるために1日のオフは大切ですが、体を戻すのにはその倍以上時間がかかります。

2004年の新国立劇場バレエ団「ライモンダ」にゲスト出演した吉田都さん。踊りのパートナーはイーサン・スティーフェルさん。瀬戸秀美氏撮影=新国立劇場提供

――自粛期間中、どんなことが励みになりましたか。

稽古やトレーニングなど、ダンサーたちがやるべきことに黙々と取り組んでいる姿に支えられました。家で稽古というのは本来、難しいのですが、できる範囲でみんな頑張ってくれました。それから(ウクライナ出身の人気ダンサー)ウラジーミル・マラーホフさんやイングリッシュ・ナショナル・バレエ団芸術監督のタマラ・ロホさん、オランダ国立バレエ団など、普段なら稽古なんて受けられないというような著名なバレエダンサーや先生がインスタグラムや(ウェブ会議システムの)Zoomで稽古を無料配信してくれました。そういう方たちの気持ちに本当に心が温まり、ありがたく思いました。世界中のみんなが思いを共有していることが心強く感じられました。

■開幕公演の延期も決断

――10月に予定されていた開幕公演「白鳥の湖」の延期を決めました。

英国がロックダウンしてしまったので、準備がまったく進まなくなってしまったのです。英国から振り付け指導の先生も何人か来てくれる予定でしたし、日本で衣装を作るために、衣装職人も招く予定でした。衣装の見本や舞台セットを日本へ送ってもらう手続きを進めていたさなかに突然、途切れてしまったので、これは間に合わないと諦めました。やるとなったらしっかり準備したいんです。ちゃんとできないなら、やめようと思いました。だから、「白鳥の湖」の代わりに、3月にリハーサルを始めていながら5月に中止になった「ドン・キホーテ」を上演できることを、私としてはうれしく思っています。

――「白鳥の湖」は自身も得意とした思い入れのある古典の名作です。延期の決断に、落ち込むこともあったのでしょうか。

自分では平気と思っていたのに、知らず知らずちょっと沈んでいた時期もありましたけれど、基本的にはポジティブです。これだけのことが世界で起きているので、演目の変更もちゅうちょしませんでした。ダメージは、団員たちほどは受けていないと思います。焦らずやろうという気持ちです。

■自分にできることを、長い目で

――困難に直面したときの、吉田さんのポジティブさはどこからくるのでしょう。

現役時代に、いろいろなトラブルを経験しましたから。何かあったときは、自分にできることをやるしかないんです。何をすべきかを見極めれば、そんなに焦ることもないと思います。どんなにあがいても、どうにもならないことってありますから。今回の新型コロナも、本当にお手上げです。しょうがない、それはそれ。私は「じゃあ、何ができるか?」を考えます。今回のコロナ禍のようなことが起きても、バレエ団は100年、200年続いていくので、長い目で見なくてはいけないと思います。一方で、来シーズンの演目選びも影響を受けますし、劇場としても今までと同じではいられません。新しいことにもチャレンジしていかなくてはと思っています。

――舞踊芸術監督としての抱負を教えてください。

オーディションでバレエ団に入ってくるダンサーたちを見ると、体格も恵まれているし、テクニックの水準も高い。みんなしっかり踊れるんです。新国立劇場では世界レベルの作品も上演されます。それを考えると、ダンサーたちを取り巻く環境も、世界レベルに変えていかなくてはいけません。英国のロイヤルバレエ団では、劇場の中でトレーニングもできるし、けがをすれば治療を受けられ、精神的なケアもしてくれます。ダンサーを助けるプロが周囲に大勢いる環境で私も育ちました。これから大切なのはそこだと思うのです。ダンサーたちが、プロとして自分の踊りに集中できる環境を整えれば、踊りも変わってくると思います。日本はこれだけバレエが人気なのに、給与制度を含めて十分ではありません。体を休めてほしい休日に劇場の外でゲストとして踊る仕事を入れている団員もいます。経済的な理由など事情もさまざまで一概にだめとも言えないし、けがも心配です。新国立劇場くらいは、海外のバレエ団と同じような環境を目指したいのです。

――東日本大震災から間もない時期にバレエ公演を行い、被災者に喜んでもらえた経験を著書で紹介していました。芸術はどんな時でも必要だと考えますか。

難しいところですが、生きるか死ぬかという時には当然、水と食料が大切です。それとは比べようもないですけれど、少し落ち着いて、みんなが劇場に行こうという気持ちになれた頃なら、バレエから「心の栄養」がもらえると思っています。芸術に触れて、生きる力やパワーが湧いてくると思います。だからこういう時こそ、より多くの人に劇場に足を運んでもらいたいですし、私たちは、あまりバレエに接したことのない方でも見たいと思うような作品作りをしていかなくてはと思っています。

――吉田さんが考える日本らしいバレエ、「ジャパンスタイル」とはどんなものですか。

英国から戻って違いを感じるのは、日本人のきまじめさが踊りに表れている点です。一糸乱れずそろった「コール・ド・バレエ」(群舞)は美しいし、世界に自慢できると思いますが、もう少しダンサーそれぞれの個性を出してほしいと思います。そうなった時に踊りがどう変わっていくか、とても楽しみです。バレエは、お客様がいてこそ仕上がります。だから生の舞台がとても大切なんです。生の舞台には、ダンサーと観客の視線や呼吸で、「気」の交流みたいなものがあるんですよ。それはきっとコロナがどうなってもなくならないでしょう。

■トーシューズに未練なし

2004年の新国立劇場バレエ団「ライモンダ」にゲスト出演した吉田都さん。瀬戸秀美氏撮影=新国立劇場提供

――現役引退から1年たちますが、舞台が恋しいと思ったことはありましたか。

引退したダンサーたちから「自分を表現できる場がなくなって苦しい」と聞いていたので、長年踊ってきた私はどうなってしまうんだろう、同じくらい情熱を傾けられることが出てくるのかなと当初は心配でした。でも次の大きな目標で頭がいっぱいで、今のところ恋しい思いはありません。あまりに長く踊りから離れてしまったので、「もう無理」というのもありますしね。トーシューズも履いていませんし、トー(つま先)でも立っていませんから。引退に後悔はまったくありません。もっと重い仕事を頂いている感じで、新しいことにわくわくしています。

――尊敬する仲間が世界で指導的立場に就いていますね。

何かあったときに相談できる仲間がいることはありがたいなと思います。(恩師の)ピーター・ライト卿や(ロイヤルバレエ団芸術監督の)ケビン・オヘアさんら、仲間たちが芸術監督などとして世界中でがんばっていて、アドバイスもくれるのが心強いです。公演の配役を決めるなど、芸術監督は、時につらい決断を下さなければいけません。公演も役柄の数も限られているので、一つの役にあるダンサーを入れたら、そこにいたダンサーが踊れなくなることもあります。そういう決断について、どれだけやっても楽にはならない、誠実に、やるべきことをやるしかない。(バレエ団が)前に進むためにはそういう決断も必要だから長い目でしっかり見るように、と助言をくれました。

――座右の銘を教えてください。

何かあったとき、「下がれば上がる」といつも思っています。そこで学ぶことは多い。失敗だと思ったら、次に生かせばいいんです。「これだけ悪いことが起きたんだから、次のいいことが楽しみだな」と自分に言い聞かせたりします。また恩師の言葉「Respect the past, Herald the future, Concentrate on the present(過去に学び、未来を開き、現在に集中せよ)」を守って芸術監督を務めたいと思います。 

吉田多麻希氏撮影=新国立劇場提供

新国立劇場バレエ団公演情報

吉田都さんの芸術監督就任1年目の新シーズン開幕を飾るのは古典バレエの名作「ドン・キホーテ」。大原永子前監督のもとでの5月の上演が新型コロナの影響で中止され、吉田新監督が引き継いだ。1023日~111日の計7公演。一般チケットの発売は912日から。新国立劇場バレエ団の公式ホームページはこちら

■9月6日(日)発行の朝日新聞朝刊別刷り「GLOBE」にもインタビュー記事を掲載します。