コロナ危機で悪化する雇用
ロシア統計局によれば、国際労働機関(ILO)の基準による5月のロシアの失業率は、6.1%だったということです。これは、2012年以降で最悪の数字。2月の時点では4.6%でしたから、コロナ危機を受け、ここ3ヵ月ほどで急激に悪化した形です。失業者は3ヵ月で100万人以上増えました。専門家は、コロナの第2波が来て、この秋~冬に再びロックダウンといった事態になれば、失業率は8.0~8.3%程度にまで高まるという見通しを示しています。
ただ、6.1%という失業率は、国際的に見てそれほど深刻な水準ではありません。問題は、この数字がどこまで実態を反映しているのか、定かでないことです。もともと、公式的に発表される失業率の数字は、ロシアの経済・社会統計の中で、最も信用できないものの一つでした。ロシアでは、制度的に解雇が難しいためか、景気が悪化すると、不完全就業が拡大する形で、労働市場が調整される傾向があります。つまり、クビにならないまでも、無給の自宅待機を余儀なくされたりする人が多いのですね。最近ロシアで行われたある調査によれば、回答者の6.4%が、コロナ危機によってそうした不完全就業に陥ったと回答しています。
確かに、筆者もロシアの地方都市などに出かけると、「仕事がまったくない。ほとんどが失業者だ」といった話をよく聞きます。統計局が発表している公式的な失業率が、どうも実態に合っていないのではないかというのは、筆者も日頃から感じている点です。
先日、「底辺で喘ぐ旧ソ連の出稼ぎ労働者 安住の地はロシアか?EUか?」というコラムをお届けしました。その中で論じたとおり、近年ロシアの大都市部では、低賃金の単純労働が中央アジアをはじめとする近隣諸国からの労働移民によって担われる傾向が見られます。現地のロシア人は、そうしたキツい低賃金労働を敬遠するので、出稼ぎ労働者がその空白を埋めているわけです。
そうした中、アレクサンドル・シュストフという経済問題の専門家が先日、「ロシアに必要なのはどのような移民か」という興味深い論考を発表しました。この中でシュストフは、ロシアの雇用環境悪化に伴い、ロシア人の間でも低賃金労働を厭わない人が増えており、外国からの労働移民と競合する場面が出てきたと指摘しています。そして、それが移民に対する排斥的なムードを高めることへの懸念を表明しています。
今回のコラムでは、主にシュストフ氏の議論に依拠しながら、ロシアにおける移民の受容について考えてみたいと思います。
中央アジアからの移民が拡大
上掲の表は、ロシア内務省が発表している、同国に滞在した外国人の人数のデータです。2016年は1,434万人、2019年は1,952万人でした。その多くを、旧ソ連の新興独立諸国(NIS諸国)の国民が占めます。もちろん、この数字は労働移民だけでなく観光旅行客なども含んでいます。ただ、NIS諸国からの訪問者は、かなりの部分が出稼ぎ労働者だと理解していいと思います。
なお、シュストフ氏の指摘によれば、NIS諸国民はビザなしで最大90日ロシアに滞在でき、いったん外国に出て再入国すればまた90日という具合に、延長していくことが可能だそうです。多くの人々が特別な書類申請なしにロシアに長期滞在しており、そうしたケースは内務省のデータに記録されず、したがって実際の数は上の表で見るよりもかなり多いということです。
表を眺めて、やはり目立つのは、中央アジア諸国からの移民の波です。ただし、中央アジア5ヵ国の中で、カザフスタンは石油・ガス資源に恵まれた比較的リッチな国ですので、他国に労働者を送り出すということはあまりありません(むしろ他の中央アジア諸国の労働者を受け入れる側)。また、トルクメニスタンは閉鎖的な国なので、やはり出稼ぎ現象とは無縁です。今回のトピックにかかわってくるのは、所得水準の低いウズベキスタン、タジキスタン、キルギスの3ヵ国ということになります。また、地理的には中央アジアでなく南コーカサスの国ですが、アゼルバイジャンも位置付けとしてはやや近いかもしれません。
興味深いのは、上表によれば、2016年からの3年間で、キルギスよりも、ウズベキスタンやタジキスタンからの移民の方が増大していることです。キルギスは2015年にロシア主導の経済同盟「ユーラシア経済連合」に加盟し、その枠組みでの単一労働市場の恩恵を受けているはず。
ところが、実際には未加盟のウズベキスタン、タジキスタンからの流入の方が大きく増えているのです。ちなみに、ロシアはウズベキスタン、タジキスタンとそれぞれ労働移民に関する政府間協定を結んでおり、両国で人材を組織的に募集してそれをロシアが受け入れるという試みも手掛けています(実際にはあまり機能しておらず、自然発生的な移民の方が圧倒的に多いようですが)。
一方、西NISでは、ウクライナ、モルドバからロシアへの労働移民の流入が減少しています。この2国はもともと出稼ぎ先としてロシアに深く依存していましたが、2014年に欧州連合(EU)と連合協定を結び、その後はEUとのビザなし関係も成立したため、現在はヨーロッパに働きに出ることが主流になっているわけです。
ベラルーシはやや特殊で、同国の場合はロシアとの国境があってないようなものなので、「通勤感覚」でロシアに働きに出かける人が多数に上ります。そういうカジュアルな出稼ぎは、統計ではほとんど把握されないので、現実の出稼ぎ依存、ロシア依存は上表で見るよりもはるかに大きいと考えられます。
ロシアが本音で歓迎するのは東スラブ系の人々
プーチン大統領は7月3日、憲法修正作業グループのメンバーたちとの会合の席で、次のように述べています。
「私は深く確信しているが、ロシアは新たな市民の流入を必要としている。もちろん、今後も国内の出生率の向上にも取り組んでいくが、それと同時に、外国からの人々の受入も必要である。当然のことながら、それが我々の同胞、ロシア語・ロシア文化を有する人であれば、なおさらである。我々は、広い意味で自分のことをロシア国民と感じている人であるならば、そういう人々の受入には2倍、3倍の関心を持っている」
ロシアの側から見ると、在外ロシア人に加え、同じ東スラブ系民族であり言語・宗教・文化面で近いウクライナ人やベラルーシ人こそ、そのような存在です。シュストフ氏によると、ロシアで先日採択された国籍取得に関する法律は、まさにプーチンの立場に沿った内容であり、ウクライナ人・ベラルーシ人であれば、ロシア語試験は免除され、審査期間も3ヵ月に短縮されるということです。ロシアはすでに、ウクライナ人と、同国からの分離独立を掲げているドンバス地方の住民については、積極的に帰化させる政策をとっています。
シュストフ氏によれば、ロシア当局のこうした政策は、一般国民の意識にも見合っているということです。ロシア国民は、ウクライナ人やベラルーシ人のことを、言語や文化の面でロシア人と大差のない人々と捉え、「移民」とはあまり見なさない。ロシア国民が「移民」という言葉でイメージするのは、中央アジアや南コーカサスの出身者であると、シュストフ氏は解説しています。実際、ロシア人にとって中央アジアやアゼルバイジャンの人々が「他者」と見なされやすい存在であることは、否定できません。彼らは、ロシア語を話すにしてもだいぶ訛りがあり、宗教はイスラムで、肌の色や顔立ちもロシア人とは大きく異なるからです。
これに関連して、注目すべき社会調査結果があります。レバダ・センターが実施しているものであり、ロシア国民が様々なカテゴリーの人々についてどれくらい共存可能と思っているかという意識を調べたものです。この中で、「ロシアでの居住を制限すべき」とされた対象を時系列的に跡付けたのが、下の図になります。やはり、ロシアにとってごく身近な存在ではあっても、中央アジアやコーカサスの出身者については歓迎しない空気もあることが読み取れます(なお、この場合の「コーカサス出身者」とは、南コーカサス諸国の人々だけでなく、ロシア国内の北コーカサス地方のチェチェン人なども含んでいると考えられる)。一方、ウクライナ人については、2014年以降の政治関係の悪化で、見る目が若干厳しくはなっているものの、中央アジア出身者などに比べればいまだに許容するムードが強いことが確認できます。
前掲の表と下図を見比べれば、最近のロシアでは、国民が異文化ゆえの距離を感じやすい中央アジア出身者が大量に流入し、逆に「ほぼ同胞」と見なしているウクライナ人の流入数は減っているという結論になります。
低賃金労働を奪い合う
こうした中、シュストフ氏が指摘するのが、雇用環境の悪化により、ロシア国民が低賃金労働を移民と奪い合うようになっているという点です。これまでは、「ロシア国民は移民がやるような安くてキツい仕事はやりたがらない」というのが常識でしたが、それが変化してきているのだとか。ロシア国民がレジ係、配達員、運転手といった職種で求職する際に希望する賃金が、労働移民の希望額よりも低いような現象も生じているのだそうです。
おそらく、いくら景気が悪くなっても、モスクワっ子が今さら清掃員や建設労働者といった重労働を引き受けることは、考えにくいと思います。しかし、モスクワなどの大都市には、中央アジアだけでなく、ロシアの田舎からも仕事を求める人々が押し寄せているはずで、その両者が労働市場で競合するということは充分ありうるでしょう。出稼ぎ労働者に対する排斥が広がらないことを祈るばかりです。