巣ごもりを強いられるロシア国民
前回のコラムでお伝えしたとおり、5月に入ってロシアでは新型コロナウイルスの感染確認者が1日ほぼ1万人ペースで増え続けてきました。ロシアは、アメリカに次いで世界で2番目に感染確認者の多い国になってしまいました。ロシア全体としての一斉休業・外出制限措置は5月11日で解除されたものの、感染者の集中する首都モスクワ市では、5月一杯は外出を控えることが一般市民に求められています。
不自由な生活を余儀なくされたロシアの人々にとって、強い味方となっているのが、フードデリバリーサービスです。出来上がった食事を自宅や職場に届けてくれるフードデリバリーサービスは、諸外国と同じように、ロシアでも数年前から成長していました。それが、今般のコロナ危機で、さらに加速しているようです。4月に入り、休業を余儀なくされた多くの外食店が、デリバリーに参入。市民のデリバリーサービス利用も、危機前と比べて数十%増えているようです。
そんなわけで、今回のコラムでは、コロナ危機によってかえって脚光を浴びることとなったロシアのフードデリバリーサービス事情について語ってみたいと思います。
ヤンデックスとデリバリークラブの2強体制
筆者の印象では、特徴的なリュックを背負い自転車を駆るフードデリバリー配達員の姿が街角で目立つようになったのは、東京よりもモスクワの方が早かったような気がします。フードデリバリーの流行は、IT化や新サービスの普及が進むロシアを象徴する現象と位置付けられるようになりました。
はっきり言えば、ロシアのフードデリバリーは世界の多くの国で起こっているのと同じ現象であり、そこに際立った固有の特徴があるわけではないでしょう。注文されている料理も、スシ、ピザ、ハンバーガーなどが多く、そこにロシアらしさは見て取れません。
ただ、食事は自宅で用意するものという風潮が根強いロシアで、ITが媒介することにより(大部分の注文はスマホのアプリ経由)、食生活の選択肢が広がったことは、やはり大きなイノベーションだったと思います。ついでに言えば、ロシアでは元々、大都市では自転車というものをほとんど見かけなかったわけで、それが今日フードデリバリーと自転車の普及が同時並行的に進んでいる感もあります。昭和の時代から、蕎麦屋や中華料理屋に電話をすれば、自転車やカブで出前をしてくれた日本とは、新サービスのありがたみが違うのです。
あるレポートによれば、ロシアにおける料理のデリバリーサービスの市場規模は、2019年に1,700億ルーブルに達し、前年から25%成長したということです。1,700億ルーブルは、同年の平均レートで換算すると、2,900億円程度。一方、日本の市場規模は2018年の時点で4,084億円でしたので(エヌピーディー・ジャパン㈱発表)、ロシア市場はそれほど遜色ありません。外食産業に占めるデリバリーの比率は、日本が2017年時点で約3%であるのに対し、ロシアではすでに10%に達しているとされ、国際的に見てもかなり高い比率です。
ロシアのフードデリバリー市場で売上高が大きいのは、ドド・ピザ(年商120億ルーブル)、ドミノ・ピザ(45億ルーブル)、パパ・ジョンズ(19億ルーブル)などとされています。ただ、これらは以前からあったピザ宅配チェーンであり、昨今脚光を浴びているような新しいタイプのフードデリバリーとは性格を異にします。
ロシアのライフスタイルに新風を吹き込んでいる、新しいタイプのフードデリバリー企業としては、ヤンデックス・エダーと、デリバリークラブの2社が、双璧となっています。イメージカラーは、前者が黄色、後者が緑であり、最近ロシアの大都市では黄色と緑の配達員がしのぎを削ってきたわけです。
ちなみに2019年には、ヤンデックス・エダーの女性配達員とデリバリークラブの男性配達員が、ロシアのある地方都市の街角で抱き合っている様子の写真がネットで拡散し、「現代のロミオとジュリエット」として大いに話題になりました。これに反応したデリバリークラブが2人にフランス旅行をプレゼントすることを申し出、ヤンデックス側も現地の観光費用を負担すると表明するなど、世間の注目を浴びました。残念ながら、その後の続報が伝えられていないのですが、こうしたネタになるほど、黄と緑が今のロシアの大都市を二分しているということです。
なお、日本市場を席巻しているウーバーイーツは、現在ロシアには存在していません。これにはちょっとした経緯があり、米系のウーバー(タクシー配車サービス)、ウーバーイーツはいったんロシアに進出したものの、ロシア最大のITグループであるヤンデックス傘下のヤンデックス・タクシーがウーバーを吸収した関係で、ウーバーイーツもヤンデックス・エダーに吸収されたのでした。一方、デリバリークラブは2009年にベンチャー企業として誕生し、2016年にIT大手の「Mail.ru」グループに買収されて、現在に至ります。
懸念材料は配達体制か
日本でも、ロシアでも、街を颯爽と走り抜けていく若い配達スタッフを見ると、「頑張ってるなあ」と感心し、応援したくなります。日本のウーバーイーツや、ロシアのヤンデックスおよびデリバリークラブは、自社で配達スタッフを抱えるのではなく、一般人を「配達パートナー」として起用し、その都度アプリを通じて運び手を募るというのがビジネスモデルの肝です。空き時間に副業として配達を行うようなことが可能になり、働き方改革の一助にもなると期待されています。
しかし、ロシアでは配達パートナーの待遇がどうも良くないようです。ヤンデックス・エダーの配達員がSNSで自らを「黄色い奴隷」と自虐するようなケースも目に付きます。特に、ロシアでも配達員を最も悩ませているのが、配達に要する時間。顧客満足のためには、30分程度で料理を届けることが必須とされます。日本については存じ上げませんが、ロシアの配達員は注文ごとに設定される所定時間内に配達を終えないと、ペナルティが課せられるということです。
日本の配達員は、店で商品をピックアップして、そのまま自転車やスクーターで配達先まで運ぶことが多いはずです。しかし、ロシアの大都市はスケールが大きいので、配達員が電車やバスに乗って(自転車を電車内に持ち込んだりする)目的地に向かうこともしばしばあり、その交通費は配達員の自腹です。また、ロシアの住所は「レーニン通り5番」などと基本はシンプルで良いのですが、その場所に行ってみると複数の棟があり、目的の棟がどれなのか、そしてその入り口がどこにあるのか、迷うことがあります。こうしたことから、配達先に辿り着く苦労は日本よりもロシアの方が大きく、これが定時配達を難しくしているのではないかと想像します。
そして、筆者が最も心配なのは、ロシアにおける冬場の配達です。ロシアのユーザーにアンケートをとると、フードデリバリーを利用する動機として、時間を節約したいという回答の次に来るのが、悪天候を避けたいというものです。ロシアの冬にありがちなマイナス10~20℃といった気温、吹雪などは、悪天候の最たるものでしょう。冬には、雪が積もったりアイスバーンになったりするので、自転車での配達はまず無理なのではないでしょうか。凍てつく寒さの中、重い荷物を背負い、歩きで配達することが多くなるわけですから、それに見合った報酬を約束してあげてほしいものです。
(参考文献:牧野寛「ロシアで普及するレストランフードデリバリー」『ロシアNIS調査月報』2019年3月号、徳山あすか「進化するロシアのフードデリバリー」『ロシアNIS調査月報』2020年1月号)