新型コロナウイルスは世界で300万人以上を感染させ、20万人以上の命を奪った極めて恐ろしい感染症である。その恐ろしさはただ単に感染力が強いとか、致死率が高いというだけではない。発症してから感染力を持つSARSなどと異なり、新型コロナウイルスは発症前であっても人を感染させ、また無症状の感染者からも感染する。そのため、感染者を発見するのが著しく困難であり、誰を感染させたかもわからない。理論的には世界中にいる人が、どんなに健康そうに見えても感染者である可能性があり、また、自分自身も全く自覚症状を持たないまま感染し、他人を感染させている可能性がある。さらに新型のコロナウイルスであるため、治療薬も治療法も確立しておらず、ワクチンもない。つまり、この感染症との戦いの唯一の武器は人と接触しない、ということである。
そのため、感染拡大が続く各国では都市封鎖のような強烈な措置から、日本における外出自粛要請などのソフトな措置に至るまで、様々な形で人との接触を減らす手段を取り、それが各国の経済活動に大きなストレスとなっている。中国の1-3月期のGDPは-6.8%、アメリカの第一四半期は-4.8%など各国とも軒並み経済成長率が下降しており、おそらく第二四半期にはさらなる落ち込みとなることは確実である。アメリカでは8週間で失業保険申請者数が3600万を超え、大恐慌以上の経済的混乱も予想されている。新型コロナウイルスとの戦いで唯一の武器は人との接触を避けることとはいえ、この状態を永遠に続けるわけにはいかない。
実際、各国で経済再開を求める動きは激しくなってきている。アメリカのいくつかの州では武装した集団が組織する反ロックダウンデモが起きており、また、イタリアやスペイン、フランスでも長期のロックダウンに耐えられず、新規感染者がやや減り始めたところで経済を徐々に再開している。こうした圧力の中で、各国とも徐々に経済活動を再開し、これまで通りとは行かないまでも、正常な経済・社会生活を取り戻すことになるだろう。
ここで大きなジレンマが起こる。人々が経済活動を再開し、人との接触機会が増えれば感染拡大の可能性はより高まる。もちろん、人々は進んで感染したいとは思わないだろうから、マスクの着用や「3密」と言われる密閉・密集・密接な環境を避けるであろうが、それでも無症状の感染者からも感染するため、何らかの不注意や不用意な接触によって再度感染爆発が起きる可能性もある。こうしたことを前提に、ポストコロナの世界で何が起こるかを考える上での補助線を引いてみよう。
グローバル化がもたらした感染拡大
中国で発生した感染症が急速に世界に広まったのは、人やモノやカネが国境を越えて移動し、拡大していったからである。こうしたグローバル化は世界経済を一つに結びつけ、TPPをはじめとした様々な自由貿易協定が結ばれ、より効率的に生産が出来る場所に生産拠点が移り、より多くの商品が売れるところに消費市場が広がっていった。それだけでなく、観光やMICE(企業等の会議<Meeting>、企業等の行う報奨・研修旅行<Incentive Travel>、国際機関・団体、学会等が行う国際会議 <Convention>、展示会・見本市、イベント<Exhibition/Event>)など、国境を越えて人が移動することで生まれるビジネスが盛んになり、グローバル化はあたかも所与の条件として世界経済を動かすものとして考えられてきた。
しかし、そのグローバル化が新型コロナウイルスを拡散し、さらに世界が同時に感染拡大を経験したことで、それに対して必要なマスクや医療用ガウン、使い捨て手袋などの医療防護具、そして人工呼吸器やECMOとよばれる人工心肺などの装置の需要が急速に伸びた。こうした医療防護具の生産の中心は中国であり、人工呼吸器などは欧州での生産が盛んであった。そのため、日本やアメリカはこれらの防護具や機器の備えが足りず、一体化した世界市場において「マスク争奪戦」や「人工呼吸器争奪戦」が起きる結果となった。
鎖国化する国々
他方で、グローバル化した世界から自国を守ろうとする動きが激しくなっている。全ての国家にとって、感染拡大を抑え込むことが最優先課題となる中、感染者が外部から流入することはもっとも望まないことの一つである。ゆえに各国は国境を閉ざし、外国に住む人々を国に帰還させ、鎖国とも言える対応を取らざるを得なくなっている。社会にとって人との接触機会を減らすことが感染拡大を防ぐ唯一の武器であるのと同様に、国際社会においては国家間の接触を減らすことが感染拡大を防ぐ武器なのである。今や国境管理と検疫は、空母やミサイルと同様、安全保障上の問題になったといっても過言ではない。
これは仮に感染が収まり、経済活動が再開したとしても継続されるものである。いや、むしろ感染が一国内で収まったとなればなおさら外国から感染者が入ってくることに対して警戒しなければならない。日本においても、当初中国からの感染者が起点となって広がった第一波がある程度収まった3月半ばに欧州からの帰国者が感染しており、それが第二波を生み出したことが明らかにされている。特に途上国において今後感染が拡大していくとなると、医療資源の乏しい国では感染が長期間にわたって続く可能性がある。例えば中東が発生源となったMERSは2012年に感染が確認され、それが2015年に世界的に拡大し、最後の感染者が確認され、終息したのは2019年である。MERSも飛沫感染や接触感染によって広がったが、その感染力は新型コロナウイルスほど強くなく、発症した後に感染力を持つため、封じ込めることが可能であった。しかし、新型コロナウイルスは潜伏期間や無症状の感染者からも感染するため、封じ込めることが難しく、世界のどこかで感染が続く限り、「鎖国」を続けなければならない。なぜなら、感染が終息していない国だけでなく、その国から第三国を経由して感染者が入国してくる可能性があるからである。ゆえに「鎖国状態」は長く続くことになるだろう。
これが特に明らかなのが、EUの域内での移動の自由を保障していたシェンゲン協定の無効化であろう。シェンゲン協定はEUの域内市場での統合を進める上で重要な役割を果たし、欧州が一体化する象徴でもあった。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大を食い止めるべく、各国はシェンゲン協定の緊急事態条項に基づき、国境を越えた人の自由移動を停止した。これはシェンゲン協定の規定に基づいた行動であるため、経済再開に伴って徐々に緊急事態を解除し、感染が収まりつつあるルクセンブルクとドイツの国境など、限定的ながら解除に向かう状況にはある。また同様に、共に感染が収まりつつあるオーストラリアとニュージーランドの間でもタスマニアン・バブルと呼ばれる二国間限定の往来を認めるようになっている。このように慎重に慎重を重ねながら人の自由移動が再開するであろうが、当面「鎖国状態」が必要とされる限り、全面的な渡航禁止の解除することも出来ない状況が続くであろう。
二元化する人の移動
世界が「鎖国状態」を続けるとなると、人の動きは停滞する。すでに現状では人の移動が止まり、航空会社をはじめ、これまで世界中で人が移動することを前提にしてきた運輸、交通、観光といった産業は極めて大きな打撃を受けることになるだろう。そして、この人の移動の停滞はこれまでのグローバル化のかたちを大きく変えることになるだろう。
一つには、これまでMICEやビジネス目的の移動が止まったとしても、それらのビジネスは引き続きグローバルであり続ける。新型コロナウイルスの感染が拡大する中で、望むと望まざるとにかかわらず、テレワークを導入せざるを得なくなり、これまでの働き方が変わってきている。これまでは時間と費用をかけて通勤し、出張することでビジネスを行ってきた人たちは、既に職場がコンピュータのスクリーンの中で完結するようになっており、テレワークで職場の会議をすることと、外国に出張に行って商談をすることに大きな差がなくなっていく(当然時差の問題は残るが)。そうなると、世界が「鎖国状態」を続けても、こうしたホワイトカラーのビジネスは引き続きグローバルであり続ける。
しかし、他方で人の移動がグローバル化に大きな障害となることもある。それが労働集約的な職場で働く人たちが集まらなくなる、ということである。多くの先進国で、農業の収穫期に大量の労働力を必要とするため、季節労働者を外国から雇い入れてきた。また、工場なども繁忙期に外国人労働者を活用することで人件費を抑制しながら事業を行ってきた。さらに、三次産業であってもビルの清掃や家事労働など、移民労働者に依存する経済が定着してきた。しかしながら、「鎖国状態」が続くことになれば、農家では収穫することが出来ず、工場は人手不足となり、先進国の生産性を支えてきた家事労働者が消えてしまうことになる。既にフランスでは移民労働者が農場からいなくなったことで困難に陥り、ロックダウンによって仕事を失った人たちを農業労働者としてかき集めたり、イギリスはすでにBrexitによってEU域内(特に旧東欧地域)からの労働者が帰国しており、新型コロナウイルスでさらに多くの移民労働者がいなくなったことで、ルーマニアにチャーター機を飛ばして労働者を集めるといったことを行っている。日本でも技能実習生の形で農家を手伝っていた外国人労働者がいなくなり、農作業が困難になっている。
戦略的産業の内製化
新型コロナウイルスのグローバルな感染拡大によって、国境における入国管理(感染管理)が強化されるが、それと同時に各国の自律性の強化も進んでいく。それは今回の新型コロナウイルスの感染によって明らかになった、人の命を守るための製品は戦略的製品であり、それらは国内で生産されなければならない、つまり中国に依存するわけにはいかない、というものである。既に述べたように、世界が一つの市場になったことで「マスク争奪戦」が起きたわけだが、それは感染症対策に不可欠な医療防護具の生産を、もっとも効率の良い中国での生産に依存してきたからである。これまでは「戦略的産業」といえば軍事部門に直結する製造業、ハイテク産業であり、また5Gの問題に見られるITや人工知能(AI)などのエマージング・テクノロジーであった。しかし、今回明らかになったのは、マスクなどの医療防護具に加え、新型コロナウイルスの治療薬やワクチンの生産を可能にする製薬会社なども「戦略的産業」に含まれる、ということである。人の命がかかる感染症は安全保障に準ずる、国家の存亡に関わる問題であり、兵器やエマージング・テクノロジーと同様に、マスク生産工場も国内で維持しなければならない、という「戦略的産業の内製化」という課題が浮き上がった。
しかし、新型コロナウイルスのような致死性が高く、感染力の強い感染症はそう頻繁に起こるわけではない。通常の状態であれば、マスクのような低付加価値製品は、アメリカや欧州で生産するにはコストが高すぎ、産業競争力を持たない。そのため、「戦略的産業」として位置づけ、内製化を進めたとしても、その産業を平時に維持することは極めて困難である。これが防衛産業やIT産業であれば、国家がてこ入れをして産業を支えることが出来るが、マスクの生産を継続的に維持することは極めて難しい。その意味では、世界がBrexitして人の移動は管理しても、ウイルスを運ぶことのないモノやカネの移動は自由な移動が継続される以上、比較優位の原則が働き、先進国におけるマスク産業は衰退し、結局中国に依存するという構造は残る。つまり、人のグローバル化は一定程度の期間、歯止めがかかるだろうが、モノやカネのグローバル化が止まるわけではない。そんな中で、各国に課された課題はポストコロナの世界で、「鎖国状態」を続けながら航空業界や観光業界などの産業再編を受け止め、モノやカネのグローバル化が続く中で競争力を維持しつつ、「戦略的産業を内製化」出来るか、ということになるだろう。