フランス・パリの象徴、エッフェル塔で聞こえてきたのは野鳥のさえずりばかり。足元を流れるセーヌ川沿いや公園まで見渡しても、人影は数えるほどだ。入場口には「新型コロナウイルスのため当面の間閉鎖します」との表示。3月16日のパリで目にしたのは、世界一の外国人観光客数を誇る観光大国の変貌ぶりだった。
記者(太田)は別の取材でイタリアに出張する予定だったが、感染リスクの高まりで断念。フランスでの新型コロナ関連の取材に変更した。マスクや消毒綿を多めに持参してパリの街に入ったが、状況は想定外の速さで悪化していた。
ベンチに座って力なく塔を見上げていたのはコロンビアから来たダニエル・ロハス(26)。「休暇のはずが、悪夢になった」。欧州各国を巡る旅の途中、この日、憧れのパリに到着したばかり。だが、外出禁止になりそうだと、急きょ、夜の便でオランダに飛ぶと決めた。「せめてシャンゼリゼ通りは見たい」と、スーツケースを引いて歩き去った。
サンジェルマン・デ・プレでは、老舗カフェの「レ・ドゥ・マゴ」が閉まっていた。政府が前日の15日から生活必需品を扱わない商店や飲食店の営業を禁止していた。フランスの哲学者サルトルや米国出身の作家ヘミングウェーら世界中から集まった思想家や芸術家らがパリのカフェで語り合ってきた。通訳のセザール・カステルビが嘆いた。「カフェが閉じたパリなんて信じられない」
そんな中、スーパーは買い物客で混雑していた。夕食を買いに行くと、最初の店は入店規制で20人ほどの列。別のスーパーでは列に並ぶと、店員が「一緒ですか?」。前の人と別会計なら1メートル以上離れてほしいという。前日には言われなかった。急速な警戒感の高まりを実感した。
ホテルに戻ると、マクロン大統領が17日正午からの外出禁止措置を発表した。もはや取材は難しい。日本に戻れなくなる心配もあった。急いで帰国便を探し、翌朝、慌ただしくパリを飛び立った。
■揺れる欧州の理念
2度の世界大戦の舞台となった欧州。パリは、その反省から生まれたEU(欧州連合)の出発点でもある。何度も敵対したフランスとドイツが手を握り、1951年のパリ条約で欧州石炭鉄鋼共同体が発足。戦略物資の「主権」を譲る画期的なアイデアだった。それを受け継いだEUは、大半の加盟国と周辺国の一部で往来を自由化して「国境なき欧州」を実現。通貨統合も含め、かつてないレベルで民主的な地域統合を成し遂げた。パリの国際経済予測研究センターのセバスチャン・ジャンは「移動の自由はEU一体性の要。今回の危機にも協調して対応する必要がある」と話す。
だが、ウイルスへの恐怖がEUの理念を揺さぶっている。一部の国が入国制限を始め、主要国ドイツにも広がった。ユーロ危機、難民危機に続き、EUは再び加盟国の結束を問われている。
欧州政治に詳しい北海道大公共政策大学院長の遠藤乾は「イタリアにはルサンチマン(恨み)が蓄積している」と指摘する。
新型コロナの被害が集中し、街に遺体があふれるような絶望的な状況になったイタリアを尻目に、EU主要国のドイツまでもがマスクの輸出制限に踏み切るなど、「自国ファースト」の姿勢を強めた。その後、ドイツによる医療支援も始まり、ユーロ圏で5400億ユーロ(約63兆円)の緊急財政支援策に合意を見たことでEUは面目を保った形だが、苦境の加盟国を支援するEUの「コロナ債」発行では、被害が大きいイタリアやスペイン、フランスと、ドイツやオランダなどが対立し、EUの南北問題が再燃している。
EU市場や通貨統合の恩恵を受けて富を増してきたドイツなど北部の国々に対し、これまでもイタリアなど南欧の国々には、ユーロ危機や難民危機でも支援が少ないとの不満があった。19年の欧州委員会の世論調査では、EU全体で68%が加盟を「利益になる」と回答したが、イタリアでは41%と、加盟国で唯一、「利益にならない」(49%)を下回った。こうした世論を背景に、イタリアではEUに懐疑的な右派勢力も台頭している。
遠藤は「危機の時は、例外的に国家主権が前面にせり出してくる。それを最小限に抑える枠組みとしてEUは機能してきた」と評価する。ただ、「今後、金融などで危機が深まる可能性は高い。うまく対応できなければ、EU内の分断が広がりかねない」と懸念する。